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2010年11月3日水曜日

イメージ イラン

古来よりペルシャとして知られていたが、これは外国による呼称で、かれら自身は自国をイラン(「アーリア人の国」の意)と呼んでいた。

アメリカと真っ向から敵対している国だが、かつては親密な関係だった。
第2次大戦後、アメリカはイランの石油に目を付けて開発を支援し、イラン国内は西洋化が進められた。
しかし、1979年、復古的なイスラム国家を望む人々が革命を起こした。
国王を追放し、ルーホッラー・ホメイニ師を最高指導者に迎え、イラン・イスラム共和国が樹立した。
ホメイニ師を支持する学生が首都テヘランのアメリカ大使館を占拠し、大使館員を人質にたてこもった。
これを機にアメリカは国交を断絶し、レーガン大統領はイランをテロ国家に指定、ブッシュ大統領はイラン、イラク、北朝鮮の三国を「悪の枢軸国」と表現した。

中東には、アメリカのバックアップで圧倒的な軍事力を誇るイスラエルがある。
イスラエルはすでに核兵器を保有し、中東イスラム諸国に対して無言の圧力をかけてきた。
反米同様に反イスラエルを徹底するイランは、イスラエルに対抗するために核開発を進めている。

イランの核開発は国際社会から批判の的となっているが、これは西側諸国の考え押し付けで、イスラエルの核保有は見て見ぬふりをしてイランだけは許さない、というのは公平ではない。

核拡散防止条約は、すでに核兵器を保有してしまっている米露英仏中は保有し続けることを認め、他の国が新たに製造することは許さない、という西側に都合のいい不平等条約だ。
また、加盟していないインド、パキスタン、イスラエル、北朝鮮に対しては何も言えない。

イランは、世界最大の産油地帯であるペルシャ湾の入り口、ホルムズ海峡の鍵を握っている。
もしここが封鎖されれば、世界経済が大混乱に陥ることは必至である。
こういった脅威があるため、国際社会もイランに制裁を加えることには慎重になっている。
日本も、輸入している原油の8割がこの海峡を通過しているので、他人事ではいられない。

隣国イラクがアメリカにやられたことも影響してか、イランはIAEA(国際原子力機関)からの中止要請も無視し、ウランの濃縮を続けている。

1988年、イギリスの作家がムハンマドを題材にした「悪魔の詩」を出版したが、これはイスラムへの冒涜であるとされ、ホメイニ師はこの作家に死刑を宣告した。
作家は警察に保護されたが、日本語版の訳者であった筑波大の助教授が何者かに殺された。
犯人はまだ捕まっていない。

ペルシャ人51%、アゼリー人25%、クルド人7%。他の中東イスラム圏とは違い、アラブ人国家ではない。
公用語はペルシャ語。アラビア文字を使い、アラビア語からの借用語も多い。
シーア派が90%。イスラム圏で唯一、スンニ派ではなくシーア派が多数派となる国。

隣国イラクとは宗派も民族も言語も異なり、フセインがシーア派を弾圧してきたこともあって、仲が悪い。
1980年、石油輸出の要所である国境をめぐってイラン・イラク戦争が勃発した。
1988年に停戦し、犠牲者は両国で100万人と推定されている。

イラン・イスラム共和国地図  イランの位置



2010年7月8日木曜日

クルド人について

クルド人は、世界最大の「国を持たない民族」。
主にトルコ、イラン、イラク、シリアにまたがるクルディスタンという地域に居住しており、中東のその他の地域やヨーロッパ居住者も含めると総人口は2500~3000万人。
大半がイスラム教スンニ派で、言語はクルド語。

第1次大戦後の1920年、オスマン帝国の崩壊にともなって、クルド人の自治を認める条約が結ばれたが、クルディスタンに埋蔵されている豊富な石油の利権がからみ、イギリスとフランスの思惑によって反故された。

第2次大戦後の1946年、イラン北部に駐留していたソ連軍の後押しがあって、クルド人民共和国として独立が実現したが、ソ連軍撤退後にイランに侵攻され、わずか1年で国は消滅した。

最もクルド人が多いのはトルコで、1200~1500万人がトルコ南東部にいる。
しかし、単一民族主義をとるトルコ政府は、クルド人という民族を認めず、かれらを「母国語を忘れた山岳トルコ人」と呼び、クルド語の放送やクルド語の教育を禁止した。
1999年、トルコ治安部隊は、独立を目指して武力闘争を展開してきたPKK(クルド労働者党)の党首を逮捕、死刑宣告したが、EUに批判され、2002年に終身刑に減刑した。党首は現在も投獄されている。
EU加盟を切望するトルコは、クルド人問題に難色を示すEUの顔色をうかがい、クルド語の使用を認めるなど、迫害の手を緩めつつある。

トルコに次いでクルド人の多いイラクでは、フセイン政権時にクルド人掃討が行われていた。
1988年、毒ガスや爆撃で18万人を殺害、4000の村を壊滅させた。
イラクのクルド人は米軍駐留を歓迎し、自治政府の設立を呼びかけてきた。
一方でクルド人は、反宗教的な行為をした者に対しての制裁が国際的な批判を受けている。
2007年イラクで、駆け落ちするために改宗した17歳のクルド人少女が、家族らによってリンチを受けて虐殺される映像がインターネットで公開された。

埼玉県蕨市には、約300人のクルド人がいる。
90年代にトルコの迫害から逃れて来日し、クルドの文化を紹介するイベントを開催するなどしている。
しかし、日本政府は一貫してトルコ政府側であり、かれらを難民として認定せず、強制退去や、逮捕された人もいた。
トルコと日本は、PKKをテロ組織とみなしているため、日本にいるクルド人もテロ支援者として疑われることがある。

複数の国に分割されてしまっているクルディスタンでは、各国で独立運動をしても連携がとれず、少数派による反政府運動としかみなされない。
互いに敵対しあう中東諸国に、石油地帯かつ水源地帯でもあるクルディスタンを手放して独立させろというのは、現実的には厳しいかもしれない。
もし将来独立が実現したら、イスラエルのような悲劇が繰り返されないことを祈る。



2010年7月6日火曜日

イメージ トルコ 2

・カッパドキア
アナトリア高原に100k㎡にわたって見られる奇岩群で、トルコ随一の名所。
6000万年前の火山で凝灰岩が堆積し、風雨の浸食によって残ったキノコ形の奇妙な岩石が林立している。
紀元前から、人々は柔らかい岩石をくりぬいて住居とし、4世紀頃からキリスト教徒が移り住み、弾圧から逃れるための隠れ家となった。
36の地下都市、30の岩窟教会が確認されている。
1965年に発見された地下都市は、地下8階、深さ65mにおよぶ。

・アララト山
アルメニア、イランとの国境近くにある、トルコの最高峰(標高5137m)。
ノアの方舟が大洪水の後に漂着した山といわれている。
今年4月に「アララト山で方舟発見」というニュースが報じられたが、すぐに捏造であることが発覚した。→参照
方舟の「発見」は頻繁にあるようで、まず信じない方がいい。
アララト山は紀元前はアルメニア王国の中心にあり、今もアルメニア人にとっての故郷であり、シンボルでもある。
オスマン帝国時代までは山麓に数百万人のアルメニア人が住んでいたが、第1次大戦中のオスマンによる強制移住の際、多数のアルメニア人が虐殺された。
アルメニア側は150万人が虐殺されたと主張し、トルコ側は戦時下の悲劇で30~50万人が犠牲になったが虐殺ではないと主張する、「アルメニア人虐殺問題」として現在も未解決。
第1次大戦後にアララト山はトルコ領となるが、アルメニアは認めておらず、現在もアルメニアの国章にはアララト山が描かれている。

・トロイ遺跡
BC8世紀頃のギリシャの吟遊詩人ホメロスによる「イリアス」と「オデッセウス」に書かれているトロイ戦争(BC1250年頃)の舞台となった都市の遺跡。
ギリシャ軍が敗戦の意を示すために巨大な木馬をトロイ軍に献上し、トロイ軍が油断したところを、木馬の中にひそんでいたギリシャ軍が攻め込んでトロイを陥落した、という「トロイの木馬」の話が有名。
架空の物語だと思われていたが、1870年代にドイツのシュリーマンがトルコでこの都市遺跡を発掘し、その実在が証明された。

・パムッカレ
台地の斜面に沿って流れ続けた温泉の石灰分が沈殿して形成された、階段状の真っ白な石灰段丘。
岩肌を覆う結晶が鍾乳石や氷結した滝のような景観をつくりだしている。
古代から保養地となっており、最上部にはヒエラポリスという2世紀頃のローマ帝国の都市遺跡がある。



2010年7月3日土曜日

イメージ トルコ 1

日本国内を旅していた頃、岐阜県の関ヶ原を越えたら関西弁が聞こえてきた。
後で調べてみたら、たしかに関ヶ原は東日本と西日本の文化の境界とされており、ここを境に植生も変わるらしい。

前回の三大陸走破の時、アメリカからメキシコに入国した時の激変ぶりに驚かされた。
そこは、北米の白人社会と中南米のメスティソ社会の明確な境界線で、たかが国境をひとつ越えただけであんなにも別世界になってしまうのは、他にあまりないかもしれない(38度線はもっとすさまじいかもしれないが)。

次の旅で「境界」といえば、トルコだろう。
ヨーロッパとアジアという、まったく異質の文化が交じり合うこの国は、一体どうなっているのか?

13世紀末にトルコ人が築いたオスマン帝国は、1453年、ビザンツ帝国の首都コンスタンティノープルを陥落し、ここをイスタンブールと改称して首都とした。
15~16世紀には、中東からヨーロッパ東部、北アフリカにおよぶ大帝国に成長し、イスラム世界を支配した。

僕の知る限り、3人の作曲家(モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト)が「トルコ行進曲」を作曲している。
これは、17世紀のオスマン帝国による二度のウィーン包囲において、オスマン帝国の軍楽隊の音楽がヨーロッパに影響を与え、18世紀にトルコ趣味が流行したことによるようだ。

1914~1918年の第1次世界大戦でオスマン帝国は敗戦し、イギリスとフランスによって分割された。
1923年、残った領地にトルコ共和国が樹立。イスラム世界では初の政教分離がなされ、西欧化が進められた。

主要民族はトルコ人。他にクルド人、ギリシャ人、アルメニア人、ユダヤ人もいる。
公用語はトルコ語。アラビア語とペルシャ語がベースの言語だが、1928年にアラビア文字が廃止されてアルファベットになった。ブルガリア、ギリシャ、キプロス、ドイツなどにも話者がいる。
99%がイスラム教(大半がスンニ派)。

親日国として有名。

トルコ共和国 (写真提供:トルコ共和国大使館)  

オスマン帝国の領域
オスマン帝国の位置



2010年6月25日金曜日

イメージ シリア

「文明の十字路」と呼ばれる中東は、古代より文化交流の中心的な場となっていた。

エジプトとメソポタミアの中継地であり、また東地中海の出入口であるシリアでは、BC15世紀頃からアラム人やフェニキア人が貿易で活躍し、都市国家を形成していた。
フェニキア人は、BC6世紀頃まで地中海の海上貿易を独占し、エジプトとメソポタミアの先進文明を周辺国に伝えた。
かれらの使うフェニキア文字はギリシャに伝わり、後にアルファベットとなって世界に普及した。

首都のダマスカスは、世界一古くから人が住み続けている都市として知られている。
旧約聖書にも登場し、エデンの園のモデルとされるオアシスがある。
イスラム帝国ウマイヤ朝の首都であった7~8世紀が繁栄の絶頂期であった。
715年に建築されたウマイヤド・モスクは世界最古のモスクとして現存し、イスラム第四の聖地されている。

ローマ帝国支配時の都市遺跡であるパルミラは、シリアを代表する観光名所。
個人的にはパルミラより、隣国レバノンにあるバールベックの巨大な石柱を見てみたいのだが、レバノンは大部分の地域が「渡航の是非を検討してください」なので、今のところ行くのは難しい。

1920年よりフランスの委任統治領であったが、1946年に独立した。
アラブ人85%、クルド人10~15%。
イスラム教スンニ派70%、アラウィー派12%、キリスト教13%。
公用語はアラビア語。シリア語、クルド語、フランス語なども話される。

シリア・アラブ共和国地図  シリアの位置 



2010年6月20日日曜日

イメージ ヨルダン

「中東=危険」というイメージはおそらく偏見で、ヨルダンは政情も安定していて、観光国として人気がある。

観光のハイライトは、死海とペトラ遺跡。

言うまでもないが、死海は海ではなく塩湖。琵琶湖の1.4倍ほどの面積。
イスラエルとの国境に位置し、アフリカ大地溝帯の北端でもある。
世界一低い湖(湖面の海抜が-418m)であり、周囲の陸地も世界一の低さ。
通常の海水の塩分濃度が3%であるのに対して、死海の塩分濃度は30%。意外にもこれは世界一ではない。
一部の細菌類を除いて、生物はほとんど生息できない。

ペトラは、BC1世紀頃から栄えたナバテア人の都市遺跡。
「世界の七不思議」はBC2世紀に書かれた古典だが、2007年に「新・世界の七不思議」が定められ、ペトラがそのひとつに選ばれた。

イスラム帝国、オスマン帝国などを経た後、1919年にイギリスの委任統治領となり、1946年にトランスヨルダン王国として独立し、1949年にヨルダン・ハシェミット王国に改名した。
中東戦争によって大量の難民が流入し、現在は全人口の半数以上がパレスチナ難民。
ほとんどがアラブ人で、公用語はアラビア語。イスラム教スンニ派。

国土の80%が砂漠で、天然ガスは出るが石油は出ない。
中東といえば石油のはずだが、意外にも、原油の輸入依存度世界1位はイスラエル(99.979%)、2位がヨルダン(99.976%)。日本は6位(99.85%)。

ヨルダン・ハシェミット王国地図  ヨルダンの位置 



2010年5月24日月曜日

言葉の整理

・パレスチナ
元は「ペリシテ人の地」という意味。
ペリシテ人はBC13世紀頃から地中海とヨルダン川に挟まれた地域に住み着き、ヘブライ人の敵であったようだが、聖書以外の文献には登場せず、その後歴史から姿を消す。
古代よりめまぐるしく国名が変わるため、便宜上この地方を「パレスチナ」と呼ぶ。
現在はイスラエル国内のパレスチナ自治区(ヨルダン川西岸地区とガザ地区の2ヶ所)を指す。
主にアラブ人が住んでおり、分離壁によって隔絶されている。

・パレスチナ人
イスラエル建国以前あるいはシオニズム以前からパレスチナに住んでいたアラブ人のこと。
ユダヤ人に追放されて国外に流出した者も含まれる。
ペリシテ人とは関係ない。
現在の人口は1088万人で、うち400万人がパレスチナ自治区、125万人がイスラエル領、324万人がヨルダンにいる。
宗教はイスラム教で言語はアラビア語。
同じパレスチナ人でも、ヨルダン川西岸地区は穏健派ファタハで、ガザ地区は過激派ハマスで対立している。

・アラブ人
主にアラビア半島や西アジア、北アフリカなどに住み、アラビア語を話し、アラビア文化を受容している人。
「アラブ人=イスラム教徒」という認識でもだいだい差し支えないと思うが、アラブ人でもなかにはキリスト教徒、ユダヤ教徒がいる。中東イスラム圏でもトルコ人などはアラブ人とはいわない。

・ヘブライ人
元は「川の彼方より来た者」という意味。この場合の「川」はユーフラテス川を指す。
この呼称は異民族がつけたもので、ヘブライ人は自分たちのことを「イスラエル」と呼んでいた。
ユダヤ教を確立した後は「ユダヤ人」と呼ばれるようになる。
かれらの話すヘブライ語は、世界各地に離散したことで話者が減り、20世紀初頭にはヘブライ語話者はわずか10家族となったが、シオニズムによって再生され、現在のイスラエルの公用語はヘブライ語とアラビア語となっている。一度廃れかけた古代語が復活した例は歴史上他にない。
アラビア語と同じく、右から左に書く。文字はこんな感じ→מדינת ישראל

・ユダヤ人
旧約聖書によると、アブラハムの息子イサクにはヤコブという息子がいた。神はヤコブとその子孫にカナンの地(パレスチナ)を与えると約束し、ヤコブはこの後「イスラエル」と改称した。ヤコブの12人の子が氏族となり、古代イスラエル王国をつくった。12人のうち4番目の息子がユダであり、「ユダヤ」は「ユダの地」という意味である。ちなみに新約聖書に登場する裏切り者のユダはまったくの別人。
アブラハムのもうひとりの息子イシュマエルの子孫はアラブ人となった。
現在の定義では、ユダヤ人とは「ユダヤ人の母親から生まれた者、もしくはユダヤ教に改宗し、他の宗教を一切信じない者」とされている。形質的な区別ではない。

世界のユダヤ人の総人口は1300~1400万人で、うち527万人(40%)がアメリカにいる。
アメリカの長者番付に名を連ねる政治家、実業家、学者、音楽家などにユダヤ人が多く、かれらはイスラエルに多額の献金をしている。マスコミの有力者にもユダヤ人が多く、イスラエル偏向の世論をつくっていることも考えられる。
イスラエル建国の際にもアメリカの強力な圧力があり、建国以来アメリカはイスラエルに毎年30億ドルという突出した資金援助をしている。
人口の少ないイスラエルがアラブ諸国との戦いにことごとく勝ち続けたのも、アメリカという後ろ盾があったからである。

個人的に尊敬するユダヤ人またはユダヤ系
アルバート・アインシュタイン(物理学者、ドイツ→アメリカ)
ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(哲学者、オーストリア)
ジークムント・フロイト(精神分析学者、オーストリア)
カール・マルクス(経済学者、ドイツ)
ウラディミール・ホロヴィッツ(ピアニスト、ウクライナ→アメリカ)
ユーディ・メニューイン(ヴァイオリニスト、アメリカ→イギリス)
レナード・バーンスタイン(指揮者、アメリカ)
スティーヴ・ライヒ(作曲家、アメリカ)

その他の著名ユダヤ人またはユダヤ系
ブルームバーグ(ブルームバーグ創業者、ニューヨーク市長)
メイヤー(ワシントンポスト創業者)
ロイター(ロイター通信創業者)
バルマー(マイクロソフト社長)
デル(デルコンピュータ創業者)
リーヴァイ・ストラウス(リーヴァイス創業者)
ローレン(ラルフローレン創業者)
ラザラス(トイザラス創業者)
シュルツ(スターバックス社長)
ワーナー(ワーナーブラザーズ創業者)
フォックス(20世紀フォックス創業者)
スピルバーグ(映画監督)
キューブリック(映画監督)
ピューリツァー(新聞出版者、ジャーナリスト)
プルースト(作家)
ザメンホフ(言語学者)
ノイマン(数学者)
フランクル(精神科医)
フッサール(哲学者)
メンデルスゾーン(作曲家)
ビゼー(作曲家)
マーラー(作曲家)
ルビンシュタイン(ピアニスト)





2010年5月23日日曜日

パレスチナをめぐって 5

念願のユダヤ人国家が実現した翌日、これを不服とする周辺アラブ諸国(エジプト、ヨルダン、レバノン、シリア、イラク、後にサウジアラビア、イエメン、モロッコも加わった)が侵攻し、中東戦争が勃発した。
イスラエル側には主にアメリカ、アラブ側には主にソ連がつく代理戦争でもあり、3宗教にとっての聖地であるエルサレムの帰属問題が絡んだ宗教戦争でもある。

・1948年第1次中東戦争
アラブ兵15万人に対してイスラエル兵3万人という圧倒的な差にもかかわらずイスラエルが勝利した。80%の土地をイスラエルが占領し、残り20%はヨルダンが占領した。
・1956年第2次中東戦争
エジプトがスエズ運河の国有化を宣言したことに対して、株主であった英仏がイスラエルを支援してエジプトとの戦争を扇動した。イスラエル軍はエジプトのシナイ半島を占領し、英仏軍はスエズ運河に上陸したが、国連の停戦決議により、英仏は撤退した。これがPKOの起源となった。
・1967年第3次中東戦争
イスラエルが奇襲をしかけ、ヨルダン領のヨルダン川西岸地区、エジプト領のガザ地区およびシナイ半島、シリア領のゴラン高原を占領。イスラエル領は建国当時の4倍にまで拡大された。
・1973年第4次中東戦争
エジプトとシリアが失地回復のため逆襲、イスラエルの不敗神話が崩壊した。
この戦争でアラブ諸国はイスラエルを支援する国に対して石油戦略を発動し、世界的なオイルショックを引き起こした。

・1979年イスラエルエジプト平和条約
アメリカの仲介のもとで和解が成立し、シナイ半島が返還された。
この時のエジプト大統領サダトは、後に同じエジプト人のイスラム復興主義者によって殺された。
・1982年第1次レバノン侵攻
イスラエルは、アラファトをリーダーとするPLO(パレスチナ解放機構)の拠点となっていたレバノンに侵攻し、PLOを追放した。
・1987年第1次インティファーダ
パレスチナ人による市民蜂起。最新の兵器を使うイスラエル兵士に対して、パレスチナの少年が石を投げて戦う姿が世界に報道された。1500人が死亡。
・1993年オスロ合意
PLOを母体とするパレスチナ暫定自治政府が成立し、ヨルダン川西岸地区とガザ地区の行政権が与えられた。
この時のイスラエル首相ラビンは、後に同じユダヤ人の和平反対派によって殺された。
・2000年第2次インティファーダ
イスラエル首相シャロンが1000人の武装側近を率いて、エルサレムにあるイスラム教のモスクを強行訪問したことに対して、パレスチナ人が暴動を起こした。5400人以上が死亡。
・2006年第2次レバノン侵攻
レバノンのイスラム武装組織ヒズボラが、イスラエルとの国境を侵犯したことに対して、イスラエルがヒズボラをレバノンに追跡、侵攻した。一般市民や外国人旅行者を巻き込み、300人以上が死亡した。

・2008~2009年ガザ侵攻
PLOと決裂してガザ地区を武力制圧したイスラム原理主義組織ハマスの弱体化を狙って、イスラエルはガザ地区に大規模な空爆と市街戦を繰り広げた。多くの一般市民を含む1300人(うち400人が子供)が死亡した。4000軒の一般家屋が全壊、国連が運営する学校も砲撃され、そこに避難していた付近の住民も死亡した。

現在、ガザ地区では40%の土地を6000人のユダヤ人が占有し、残りの60%に150万人のパレスチナ人がひしめきあっている。難民キャンプの人口密度は世界最高といわれている。
道路も海も封鎖され、パレスチナ人にガザを出入りする自由はない。
水や電気、物資の供給はイスラエルによって厳しく制限されている。

現在の国内外のパレスチナ難民の総数は、550万人以上。

 


パレスチナ領(緑)の変遷
 







2010年5月22日土曜日

パレスチナをめぐって 4

第1次大戦中、莫大な戦費を必要としていたイギリスは、パレスチナにおけるユダヤ人国家の建設を約束することで、ユダヤ人豪商ロスチャイルド家から資金援助を得た。他方、イギリスはアラブ人に対して、パレスチナにおけるアラブ人国家の建設を約束することで、オスマン帝国に対する武装蜂起を呼びかけた。
こうした「二枚舌外交」を使い、1917年にイギリスはオスマン帝国を破り、パレスチナはイギリスの統治下となった。

ドイツおよびドイツの占領地では反ユダヤ主義が激化し、第2次大戦中にナチスは600万人のユダヤ人を虐殺した。
名目は「民族的純血の厳守」すなわち民族浄化であったためユダヤ人だけでなく、ロシア人、セルビア人、スラブ人、黒人、障害者、同性愛者、反ナチス運動家なども合わせると犠牲者は900万~1100万人ともいわれている。

この前後から、シオニズムが高まっていた。
シオニズムとは、世界各地に離散して迫害され続けたユダヤ人が、故郷のシオン(エルサレム)に帰って祖国を再建しようとする運動。
当然、すでにそこに住んでいたアラブ人(パレスチナ人)は抵抗し、イギリスも移民の制限をしたが、数十万人のユダヤ人がパレスチナになだれ込んだ。

大戦後、ユダヤ人とアラブ人双方が独立を要求してイギリスと衝突。各地で両者によるテロ、虐殺、暗殺が相次いだ。
イギリスは統治権を返上してこの問題を国連に委ねた。
1947年にはパレスチナにはアラブ人が131万人、ユダヤ人が63万人いた。
国連は、56.5%の土地をユダヤ人に、43.5%の土地をアラブ人に与え、エルサレムを国際管理とする決議を下し、1948年イスラエルが建国された。



2010年5月19日水曜日

パレスチナをめぐって 3

661年にシリアで始まったウマイア朝は、イスラム教の勢力を拡大し、中央アジアから北アフリカ、イベリア半島(現在のスペイン)にまで及ぶ、強大なイスラム帝国を築いた。パレスチナもその支配下となった。
750年にイランで始まったアッバース朝では、海陸ともに交易ルートを充実させ、大規模な国際貿易が行われた。この時代の様子は「アラビアン・ナイト」にも描かれている。
1038年に中央アジアで始まったセルジューク朝では、トルコ人がイスラム世界の実権を握り、勢力を拡大した。

活発な商業が行われた地中海は完全にイスラム世界に組み込まれ、ヨーロッパの内陸に押しやられたキリスト教は、聖地エルサレムの奪回を目的とする十字軍を派遣した。
1096年、第1回十字軍はイスラム教徒4万人を殺害し、エルサレム王国を建てた。
1187年、エジプトの支配者サラディンがエルサレムを奪回。
その後も、第7回十字軍まで奪い合いが続いたが、1291年に十字軍の最後の拠点が陥落し、エルサレムは再びイスラムの支配下となった。

7世紀から16世紀にかけて、巨大な都市文明を築いて最高水準に達していたイスラム文明は、10世紀頃まで素朴な農耕地域であったヨーロッパに強烈なインパクトを与えた。
インドの十進法やゼロの観念はイスラム経由でヨーロッパに伝わり、「アラビア数字」と呼ばれて現在も世界的に使われている(アラビア数字はアラビア語の数字ではなくインドの数字だが、ヨーロッパ人にとってはアラブ人がもたらしたものなのでこう呼ばれた)。
アリストテレスをはじめとするギリシャ哲学も、中国起源の火薬や羅針盤も、イスラム経由でヨーロッパに伝わった。
アルコール、アルカリ、ソーダ、シロップ、シュガー、コットン、パジャマ、ソファーなどの英語も、元々はアラビア語である。特にスペイン語やポルトガル語はアラビア語の影響を強く受けている。

1591年以降は、パレスチナはオスマン帝国の支配下となる。



2010年5月17日月曜日

パレスチナをめぐって 2

BC4年頃にパレスチナで生まれたイエスは、ユダヤ教の一派として活動していたが、他の宗派から反逆者とみなされ、AD30年頃、エルサレム郊外のゴルゴダの丘で十字架にかけられて処刑された。
弟子たちはイエスの復活を信じ、イエスこそがメシアであるとするキリスト教が生まれた。
「キリスト」は「メシア」のギリシャ語形である。
弟子たちによってイエスの教えがまとめられ、ユダヤ教の経典が「旧約聖書」、キリスト教の経典が「新約聖書」となった。
度重なる迫害にもかかわらず、キリスト教は広く普及し、392年にはローマ帝国の国教にまでなった。

570年頃にアラビア半島のメッカ(現在のサウジアラビア)で生まれたムハンマド(マホメット)は、610年に天使ジブリール(ガブリエル)から神の啓示を受け、イスラム教を創始した。
この時の啓示の言葉を記した「コーラン」(クルアーン)が、イスラム教の経典となった。
貴族であり、商人であり、軍人でもあったムハンマドは630年にメッカを征服し、やがてアラビア半島全域を統一した。
アラブの諸部族は彼の支配下に入ってイスラム教徒となり、「アラブ世界=イスラム世界」が形成されていった。

すべてのユダヤ人とアラブ人は、最初の預言者アブラハムの子孫であると考えられている。
つまり、ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も、ともにアブラハムという共通のルーツを持つ。
この3つをまとめて「アブラハムの宗教」と呼ぶこともあり、現在の信者の総計は34億人にもなる。
ムハンマド自身、ユダヤ教とキリスト教はイスラム教に先立つアブラハムの宗教であると認め、根本的にはユダヤ教もキリスト教もイスラム教と異ならないものとしていた。



2010年5月16日日曜日

パレスチナをめぐって 1

ヘブライ人がパレスチナの地に住みついたのはBC1500年頃で、一部はエジプトに移住した。
エジプトでの圧政に耐えかねたヘブライ人は、BC13世紀にモーセに率いられてパレスチナに脱出した。
その際、「十戒」を守ることを条件に脱出を助けたシナイ山の神、ヤハウェ(エホバ)を信仰するようになった。

BC11世紀、ヘブライ人はパレスチナに、エルサレムを都とするイスラエル王国を築いた。
王国はダヴィデ王とその子ソロモン王の時代に最も栄えたが、その死後、北のイスラエルと南のユダに分裂し、北はアッシリアによって、南はバビロニアによって滅ぼされた。
バビロニアに連行されたヘブライ人は、天まで届くバベルの塔の建設に従事させられた。

苦難の生活を強いられたヘブライ人の中に、神の意志を伝える預言者(カリスマ)が現れ、メシア(救世主)の出現を説く信仰が生まれた。
バビロニアから解放されたヘブライ人は、エルサレムにヤハウェの神殿を建て、戒律を定めた。
こうしてヤハウェを唯一神とするユダヤ教が確立され、ヘブライ人はユダヤ人と呼ばれるようになった。

その後もパレスチナでは強国による征服とユダヤ人による独立が繰り返されたが、AD135年にローマ帝国によって完全に制圧され、ユダヤ人は追放された。
それから実に1800年もの間、ユダヤ人は自分の国家を持つことができず、世界中を放浪し、迫害を受けることになる。