2014年6月30日月曜日

パクセー

パクセーという、やや大きめだが閑散とした街で連泊。

どういうわけか、ここは外国人旅行者がたくさんいる。
特に観光するものなどなさそうなのだが。
何にせよ、おかげでここは排他的な空気はなく、英語も通じやすく、ちょっとホッとしている。
宿も、競争原理が作用しているのか、特に不服のないちゃんとした部屋で、9万キープ(1193円)。
疲れがたまっていたので、深い深い眠りに落ちて、現在4泊目。

再びメコン川。




ここから北上するとしばらく、メコン川はタイとの国境をなす。
そう、すぐ西側はタイなのだ。





1.3kmほどの川幅に橋がかけられている。


ODAは、純粋な慈善でやっているわけではない。
日本企業が海外進出した際、その国のインフラが整備されていなければ、物資を運搬するにも何をするにも捗らない。
でも、その国には経済力も技術力もない。
じゃあ、日本がつくろう、ってなる。
インフラを整備すれば、人々は喜んでくれる。
喜んでくれれば、日本はその国において優位な立場につくことができる。
すでに経済発展を遂げて裕福になった国に対しても、いまだにODAを続けているのは、こういった背景がある。

日本だけではない、中国も韓国も進出してくる。
誰がここで一番強い影響力を持てるか。 
こんな異国の地でも、日中韓は火花を散らしている。
日本人としては、日の丸が描かれた橋や学校を見れば誇らしくなるが、中国人や韓国人が見たら、日本のあからさまなアピールに気分を害するのかもしれない。

僕は、自国のメリットを考慮した策略的なものであれ、ODAは大いにけっこう、今後もどんどんやったらいいと思っている。
ただ、ちょっと立場を変えれば、ODAもある意味ひとつの侵略とみなされる、そういう視点もありうる。

地元民の視点、競合国の視点、日本の視点。
橋をひとつ渡るにも、思いが錯綜する。
何もしていない自分としては、少なくともつくってくれた方々に感謝しながら、一歩一歩踏みしめる。





ラオスに入って初めてのスーパー。

期待して中に入ってみたが、ガランとしていて、かなりガッカリした。

ホームセンターもあったが、これにも期待を裏切られた。


どの店でも、店員がずっとこちらを監視しながら後をつけ回してくるので、とても落ち着いて買い物できない。
ベトナムやカンボジアでもそうだったが、特にラオスは人口が少ないせいか、店内に客は僕ひとりだけということが多く、ひとりの店員がピッタリ僕をマークしてくる。
こういうのがムダな人件費になるんだよ。
万引きなんかしないよ、くだらない。



スーパーなどの店は近代的というには程遠いが、ラオスは物が乏しいわけではなさそうだ。
マーケットではあらゆるものが売られており、食料も豊富で、活気がある。










メコンにはこんな魔物が棲んでいるのか。


せめてシートを敷いてあげればいいのに、アスファルトにじかに投げ出されてる。


カエル、生きてます。




頭も食べるのだろうか。


売り物です。








卵と小麦粉を揚げてシロップをかけたもの。


焼きそば。


安定の定食。

2万キープ(251円)。

外国人向けのレストランは割高なのだが、二度ほど入ってしまった。
たまに、スパゲッティミートソースとか、無性に食べたくなる。
和食屋もあった。


















Pakse, Laos



2014年6月27日金曜日

閉ざされた農村社会

ちょうど15日、ギリギリで出国。

イミグレーション手前に両替屋あり。
ラオスキープ入手可。

どうやらベトナムのイミグレーションは、自分で窓口の中にパスポートを入れ込んで待機する方式のようだ。
パスポートを持ったまま窓口の前で待っていても、係員も周囲の人も、誰も何も教えてくれないので、永遠にそこで待つことになる。
越境者はベトナム人とラオス人ばかりで、その他の外国人旅行者はまったく見なかった。

ラオスに入国。

日本人はノービザで15日滞在可。
US$30払ってビザを取得すれば30日滞在可。

どちらにすべきか迷ったが、ビザを取ることにした。
時間に追われながら旅をするのは嫌なものだし、ラオスは道路状況が悪いと聞いており、しかも雨季なので、思い通りに進めない可能性が高い。

国境でビザ取得可。
僕が通過したのは、Bo Y(ベトナム) / Phou Keua(ラオス)の国境だが、すべての国境でビザ取得できるわけではないらしいので、事前に要確認。
必要なものはUS$30のみで、顔写真不要。
所要10分ほど。

ベトナム人も、よく人の自転車に勝手に触る。
手続き中はなるべく目の届く場所に停めておく。
ビザ作成待機中、ちょくちょく確認していたのだが、案の定ベトナム人の集団が自転車を取り囲んで触ったりしていた。
ひとり、足で小突いているヤツがいたので、激怒。
そいつを突き飛ばし、人間であるならば最も侮辱的と思われるジェスチャーで追っ払ってやった。
でもそいつは終始、半笑いの表情だった。



ラオスについて。
14世紀にラオ族による王国が成立し、18世紀には分裂してタイやカンボジアの支配下に置かれ、1893年にフランスの植民地となった。
第二次大戦中は日本が占領し、1953年に独立。
1975年に王政を廃止して、ラオス人民革命党による一党独裁の社会主義国となった。
1986年に市場経済を導入。

ラオ人60%、その他49の少数民族。
仏教60%、アニミズムやその他の宗教40%。
公用語はラオ語。

ラオスも右側通行。

社会主義国、あるいは中国との関係が深い国は、右側通行なのかな。

山道。
標高800mほどの峠がひとつ、あとは小刻みなアップダウンの連続。

ラオスの人口密度は26人/k㎡で、東南アジアで最も希薄。
隣国のベトナムが253人/k㎡だから、10分の1ほどだ。
特にこの山道は森林保護区になっているようで、人はほとんど住んでいない。
何よりも、交通量が激減してくれたので、ホッとする。
時々通る車はきっちりクラクションを鳴らしてくるので、やはりクラクション文化圏ではあるが、それでもだいぶ緊張感を緩められる。

ありがたい、救いの水。




小屋で1泊。


すぐそばにきれいな川が流れていたので、水浴びも洗濯もできた。

野宿は久々だな。


最近はずっとホテル泊で、すっかり野宿から遠のいていた。
東南アジアの宿はWi-Fiもよく整備されているので、毎晩ネットの海に沈み込み、あまり健全とは言えぬ日々が続いていた。
たまにはこうやって、ゆっくり本を読んで、日が沈んだら目を閉じてiPodで音楽を聴くのがいい。
人はまったくおらず、夜は車もほとんど通らない。
静寂の中で聴く辻井伸行のピアノの、なんと美しいこと。

山道が終わると、街や村が点在する。






突然、「ニホンジン?」と声をかけられた。

大阪に1年住んだことがあるらしい。













アッタプーという街で2泊。
今までにも何度か感じた、閉鎖的、排他的な雰囲気で、絶望的なまでに英語がまったく通じず、宿泊するにも食事するにもいちいち難儀するので、居心地は良くない。
すみやかに去りたい気分だったが、ホーチミンからここまで連泊せずにぶっ続けで来たので、どうにも体が重たくて、連泊。
2日目はほとんど外出せず、部屋に閉じこもってひたすら休養。

ラオ語はタイ語と同系統。
やはり発音が難しい。
でも、あいさつや食べ物の名前など、タイ語をあらかじめ知っていればラオ語もおぼえやすい。

文字もタイと似ている。


たいして栄えた街ではないが、ATMで現金を引き出せた。
1キープ=0.0127円。

カンボジア、ベトナムに引き続き、旧フランス植民地ということで、またサンドイッチ。


唐辛子が入っていないことは確認済み。


特に、特徴なし、ふつう。

東南アジアにおけるサンドイッチ選手権は、カンボジアの圧勝。
あのサンドイッチは本当に突出していたな。

レストランで、メニューも何もわからないので、適当に注文。

1万5000キープ(190円)。

見た目通りで、特に意外性のない味だが、おいしかった。
ライスはベトナムやカンボジアと同様、少し粘り気があって味もある。



セコン。














これだけ色とりどりでボリュームもあれば、ハシゴしなくてもいいかな。

2万キープ(253円)。











日本の援助でつくられた学校をいくつか見た。




ベトナムのフォーと同じ、フー。


米麺は、小麦粉麺と違った独特の歯ごたえがあって、僕は好きだ。



時々森林地帯で、以前かいだことのある懐かしい匂いが鼻をつく。
この匂いは何だったっけ、としばらく考えて、思い出した。
ユーカリだ。
オーストラリアの森林地帯では、ずっとこの匂いとともに走行していた。
ユーカリって、オーストラリア以外にも生息しているのだろうか?



いったん標高1300mほどまで緩やかに登った。

小さな街にも宿があるが、ベトナムやカンボジアと比べて宿のクオリティはぐっと下がり、料金はぐっと上がった。
一見ランク高めのまともそうなホテルでも、つくりがしっかりしておらず、水は詰まるし、窓の鍵が壊れていて簡単に外から侵入できてしまったり、 その他なにかと具合が悪くて、不便。
Wi-Fiも非常に不安定。
このロークオリティで平気で10万~15万キープ(1269~1903円)とかするので、ベトナムやカンボジアの宿がいかにリーズナブルであったかがわかる。
ミャンマーの宿もロークオリティ・ハイプライスだった気がするが、停電しないだけラオスはまだマシか。

宿でも店でも、英語が通じそうな可能性を少しでも感じた時は、最初に「Do you speak English?」と聞くのだが、すると若い女性従業員は笑い出して、返事もせずに後ろにいる仲間に向かって現地語で何やらゴチャゴチャ言ってこちらを放置する、というケースがあまりに多すぎる。
これはタイ、カンボジア、ベトナムなどでも共通する典型的な反応で、けっこうかなりイラッとくる。
英語が通じにくい土地柄を責めるつもりはないが(あるいは僕が現地語を話せないことを責めてくるのならまだわかる)、面と向かって客と接することもできないガキに仕事させるんじゃない!



下って、再び低地へ。
今のところ、道路はちゃんと舗装されている。



ラオスでも子供たちが、
「サバーイディ!」
「ハロー!」
「バイバーイ!」
とあいさつしてくれる。

でも、やはりあいさつするだけで、僕に近づいて来ることはない。

笑顔で手を振ってくれる子供たちだが、僕が立ち止まると表情がこわばり、緊張が走る。


カメラを向けたら、怖がって伏せてしまった。


外来の者との接触を得意としないのは、日本人を含むモンゴロイド系農耕民族に共通する性質だろうか。
かく言う僕も決して社交的とは言えず、対外どころか内輪でもコミュニケーションが上手ではなく、孤独癖の強い性格であったりする。


Pakse, Laos

14885km