2009年6月28日日曜日

アーミッシュ

アメリカ旅行中、ジャガイモ畑が広がる田舎町で、奇妙な人たちを見たことがあった。
まるで中世のヨーロッパからそのまま出てきたかのような服装で、古風な自転車や馬車に乗っていた。
男性はモジャモジャのあごひげをたっぷりと生やし、女性は化粧っ気がなかった。
その時の僕には、かれらが何者なのかまったくわからず、旅を終えた後も謎のままだった。

最近ようやく、それがアーミッシュと呼ばれる人たちだということを知った。
アーミッシュとはキリスト教の一派で、もともとドイツにいたが、18世紀頃に迫害されてアメリカに移住し、現在はペンシルバニアやオハイオを中心に350ほどの集落があるという。

アーミッシュは平和主義を信条とし、近代文明を拒絶し、独自のコミュニティの中で暮らしている。
電気を使用せず、自動車も乗らず、自給自足の生活を営んでいる。
言葉は18世紀当時のドイツ語を話し、外部の者と話す時は英語を使う。
写真の撮影は拒否する。
布教活動もせず、自分たちのスタイルをアピールすることもない。

僕がアメリカを抜けてメキシコにいた頃、凄惨な事件が起きたらしい。
牛乳配達の男がアーミッシュの小学校に押し入り、少女5人を射殺したのだ。
犯人はその直後に自殺した。
少女たちが人質になった時、一番年長の子が、「私を撃って他の子を解放してあげてください。」と言ったらしい。

アーミッシュの平和主義は我々の常識をこえている。
なんと、かれらは容疑者の葬儀に(馬車で)参列しに行き、少女たちの葬儀には容疑者の家族を招いたというのだ。

憎しみや復讐を禁じ、同胞を殺した者さえも許してしまうアーミッシュの態度が、絶対的に正しいといえるのかどうかはわからないが、その生き方に尋常でない芯の強さを感じた。

かれらはあまり外部の者と接触しないというが、僕に話しかけてくれた人もいた。
今になって、もっと話しておけばよかったと思っている。



2009年6月19日金曜日

再会

3泊4日、出張で奈良へ。
いつものことだが、昼間東京で仕事して、その日の夜12時に出発し、夜通し運転して朝現場に到着し、そのまま夕方まで仕事、という非人道的なスケジュール。
いつか居眠り運転で死ぬ。

自転車旅行者のジュン君と再会した!
ジュン君とは中米ニカラグアで出会い、一緒に警察に捕まってしばらく拘束された仲だ。
彼は3年半かけて南北アメリカ大陸を縦断し、今年の1月に帰国した。

ジュン君は奈良の人で、僕が宿泊していたホテルから5kmほどのところに住んでいる。
連絡をとり、2日目と3日目、仕事を終えた後、会うことができた。

帰国して半年近くたつというのに、まだ仕事をしていないらしい。
よく金がもつなと感心する。

旅をしていた時とまったく変わらないジュン君の人柄は僕をホッとさせ、また刺激的でもあった。

2人でサイクリング


唐招提寺の小道(世界遺産)


薬師寺(世界遺産)
    

垂仁天皇の古墳。全然有名ではないが、古墳を生で見るのは初めてで、神秘的だった。
  
Googleマップの航空写真で見ると、鍵穴の形をした前方後円墳であることが確認できる。



2009年6月9日火曜日

静岡

出張初日、仕事を終えた後、ひとりで海沿いをドライブした。
自転車で何度か通ったことのある道。
10年も前のことだが、記憶が次々と蘇る。
ここも通ったな、ここも変わってないな、ここで野宿したな・・・
あの頃は国内でさえ未知の世界で、現れる情景のひとつひとつが新鮮だった。
たいした装備も持たず、無茶をすることもあったが、今はその時間をいとおしく感じる。

大崩海岸という難所がある。
狭くて、カーブとアップダウンの連続で、海の真上を道が通っていたりして、花がそえてあったりして、ちょっと小突かれようものならそのまま海に落ちてしまいそうな、恐ろしい道だった。
でも、車で通ってみると、あれ?今のが大崩?もう終わり?と思うほどあっけない。

遠州灘まで行ってきた。
ここは昔からお気に入りなのだ。
砂丘を突き抜けるここの自転車道は、日本の道ベスト5に入れていいと思う。
車の場合は、いったん停めてから歩いて海まで行く。
えんえんと続くこの無人の砂浜は、やはりいい。

ホテルに戻ったのが夜11時。150km走った。
ガソリン無駄使いしちゃってごめんなさい。

東京への帰り道、東名日本平PAで、安倍川餅ソフトを買った。
信玄餅ソフト並みに期待したが、見るからに手抜きで、たいしてうまくなかった。




2009年6月7日日曜日

息抜き

中学時代の友人にお誘いを受け、バーベキューに行ってきた。
皆家族を連れてきた。
総勢6家族+1名。
この1名は、3家族分ぐらい食べてしまったようだ。

小学校や中学校の同級生というのは、なんかいい。
仲が良かったやつも、それほど面識のないやつも、今会うと、あの頃を一緒に過ごしたという仲間意識を共有できる。あの頃はケンカやいじめもあったが、今はなんとも平穏だ。
ウソだらけの仕事の人間関係だけだと人格がおかしくなってしまいそうになるので、たまにこういう集まりに参加させてもらうのはありがたい。

久々に晴れ、涼しい風が吹き、心地良いひとときをすごした。

A君の娘(小3)はロシア人で、公園の池に躊躇なく飛び込み、ひとりでカメをつかまえて遊んでいた。
そのワイルドさに、皆唖然とした。
普通、男の子でもこんな濁った池には入らないだろう。着替えもないのに。


明日からまた出張。今度は静岡。



2009年6月6日土曜日

憧れの

クレジットカードがつくれない。
審査に落ちてしまうのだ。
格式の高そうなものから気軽につくれそうなものまで、色々申し込んでみたが、すべて撃沈。
僕は一定の収入があるし、金銭のトラブルを起こしたこともない。
他の点でも、問題があるとは思えない。
なぜ落とされるのか聞きたいが、こちらからの質問には一切答えてくれない。

ためしにネットで調べてみたら、審査に落ちてしまう人にアドバイスをするサイトがいくつかあった。
僕と同じ状況にいる人がけっこういるようだ。

まず、点数制らしい。
勤続年数が長い人ほど、大企業に勤めている人ほど、役職に就いている人ほど、点数が高い。
居住年数が長い人ほど、自己所有の家に住んでいる人ほど、点数が高い。
既婚の人も、点数が高い。
僕は自分が問題のある人間だとは思っていないが、総合点で基準に達しなかったのか。

それから、短期間に複数申し込むのは良くないらしい。
とてもお金に困っている人だと思われてしまうらしい。
自分が申し込んだデータは半年間保存される。
半年以内に新たに申し込むと、「この人はこれだけ申し込んですべて落ちました」というデータがまわされ、それがまた減点対象となる。
どうしてもカードをつくりたくて片っぱしから申し込むのは悪循環ということだ。

あと、今までカードをつくったことのない人は余計嫌がられるらしい。

「クレジット」は信用、信頼という意味だ。
僕は自分が問題のある人間だとは思っていないので、社会的に信頼されていないというのは少々心外である。
自分が問題のある人間だと思っていないことが問題なのかもしれない。

こんな僕のために、最も審査のゆるいおすすめのカード、というのがあり、最後のあがきでそこに申し込んでみた。
現在待機中。
これがダメだったら、データがリセットされるまで、半年待つしかない。