2012年10月30日火曜日

アララト山

晴れた!


トルコ最高峰アララト山(5137m)。
キリマンジャロ(5895m)よりは低いがモンブラン(4810m)よりは高い。
トルコ語では「アール」と言い、「アララト」と発音しても通じない。

ノアの箱舟が大洪水の後に漂着したのがこのアララト山だといわれている。

右端に小アララト山(3896m)。


小アララトがすでに富士山より高いとは。


アララト山の北東がアルメニア、南東がイラン。

紀元前、アララト山はアルメニア王国の中心にあり、今もアルメニア人にとって故郷であり、シンボルでもある。
第一次大戦中、オスマンによってアルメニア人はアララト山麓から強制移住させられたのだが、その際に多くのアルメニア人が虐殺された。
このアルメニア人虐殺問題は、トルコ側とアルメニア側の双方の主張が異なっており、いまだ未解決。
第一次大戦後にアララト山はトルコ領となったが、アルメニアはそれを認めておらず、現在もアルメニアの国章にはアララト山が描かれている。

そんなわけで、トルコとアルメニアは敵対しており、国境は閉鎖されている。
ルート的には、このまま東進してアルメニアに入れればスムーズなのだが。
僕のパスポートにはイスラエルのスタンプがあるので、イランにも行けない。
よって、この先は北上してグルジアへ向かう以外に選択肢はない。

トルコにとって、アララト山はアルメニア人の問題とクルド人の問題の前線であるため、ドウバヤズットには軍の施設がたくさんある。
観光地ではあるが、どこでも自由に撮影できるわけではない。
でも、軍人も僕に「ハロー! ハロー!」と言って手を振ってきたりするので、あまり緊張感はなかった。



































走行中に声をかけられ、昼食をごちそうになった。










この下りが大絶景で大感動!


しかし、残念ながら写真には表現されない。
ある一定のスケールを超えてしまうと、写真はなんともむなしい。
腕が悪いだけなのかもしれないが。







後ろを振り向けばアララト山。


























ガキどもの悪ふざけが度を越してきた。
「マニー! マニー!」と叫びながら通せんぼしたり、自転車をつかんだり、投石も何度かあった。
そんな可愛気のないやり方で金なんかやるわけないだろ。
たまたま大人が近くにいると、ガキどもをしかって止めてくれる。
紳士的なクルド人の大人と、恥知らずなクルド人のガキどもとの間にギャップがありすぎる。
僕はクルド人が好きだが、「治安は良い」とは書けない。
街を歩いているだけなら危険はないが、クルド人居住区を自転車旅行する予定の方は、それなりの覚悟で。


Iğdir, Turkey

23278km


2012年10月29日月曜日

ドウバヤズット

ドウバヤズット(標高1600m)は、トルコの東端に位置するクルド人の街。
人口の比率はわからないが、住民の大半がクルド人のようだ。
全体的に、濃い顔立ちで浅黒い肌。

今までのトルコ人の街は真新しくこぎれいな建物が並んでいたが、ここはトルコの近代化から取り残されたかのか、きれいではない。
しかし、かといって廃れている感じでもない。

うっとうしいほど子供たちが「ハロー! ハロー!」「マニー! マニー!」とからんでくる。
ちょっと遊んでやると、ケラケラ笑って喜ぶ。
大人も気さくに話しかけてくれて、 親切で人がいい。

クルド語という独自の言語があるらしいが、聞こえてくるのはトルコ語だ。
トルコ政府がクルド語の教育や放送を禁止していた時代があった影響だろうか。
それとも僕がトルコ語とクルド語を区別できていないだけだろうか。

トルコ人よりも英語が通じやすい。
ドウバヤズットの手前の(おそらくクルド人の)街でも、上手な英語を話す人に何度か出会った。

宗教はイスラム。
トルコ人と同様、髪や肌を隠していない女性もヒゲを生やしていない男性も多く、厳格ではなさそうだ。











交通はメチャクチャで、すぐ渋滞になる。










女の子もからんでくるが、撮影はかたくなに拒否。











屋台、串焼き。

こういうのはトルコ人の街にはなかった。



これはうまい。

2リラ(88円)。

アイランと呼ばれる飲むヨーグルト(0.5リラ)。

これはトルコに限らず、旧ユーゴなどでもポピュラーだが、甘くてトロッとした日本の飲むヨーグルトとは全然違い、しょっぱくてサラッとしている。
個人的には、これを飲むなら牛乳を飲みたい。







ロカンタは今までと変わりない。

15リラ(663円)。
たけえよ。











聞いて確認したわけではないが、軍人や警察はクルド人ではなくトルコ人っぽい。





長らくトルコ政府から虐げられてきたクルド人に悲劇的なイメージを抱いていたが、明るくたくましく生きるかれらの姿に心を打たれた。
民族も文化も違うのだから、独立させてあげたい気持にはなる。

クルド人の総人口は3000万人といわれており、ひとつの国として独立してもおかしくない。
もともとクルディスタンと呼ばれるクルド人居住区が明確に存在していたのだが、第一次大戦で敗北したオスマン帝国の解体時に、戦勝国であるイギリスとフランスが民族の居住区を無視した国境を画定してしまい、クルディスタンはトルコ、イラン、イラク、シリア、アルメニアの5ヶ国に分断されてしまった。
独立しようとしても国境で分断されてしまっているので連携がとりづらく、各国では少数民族の反乱因子としてしかみなされない。
資源の問題もからんでくるので、安々と独立はさせてくれないだろう。

トルコとの関係が良好な日本へ逃れてきたクルド人もいる。
埼玉県蕨市に、300人ほどのクルド人のコミュニティがあるという(ワラビスタン)。
しかし、日本政府からもいい扱いはされていないようだ。

滞在しているホテルは20リラ(885円)と安い。
トイレシャワー共同で、ネットはロビーでのみ使用可。
ロビーにはゲストブックがあり、ほとんどが日本語か韓国語で書かれている。
適当に選んだホテルなのだが、日本人がよく利用するようだ。
今はもうローシーズンなのか、旅行者は少ないし、日本人はまったく見ていない。
しかしこのホテル、どう見ても客より従業員の方が多い。

天気待ちで3泊したが、僕はこの街が気に入ってしまったので時間をつぶすのは苦ではない。


Doğubayazıt, Turkey