2010年11月27日土曜日

イメージ インド

11億の人口を抱え、世界7位の国土(日本の8.6倍)を有する南アジアの大国。
僕が子供の頃はインドの人口はたしか7億だった。

中国と同じく人口の多さが資本だが、単に人が多いだけはない。
古代より数学先進国で、現在も高度な数学教育で優秀な人材を生み出し、IT産業を中心に活躍している。
英語圏の国に移住するインド人は多く、アメリカの科学者の12%、NASAの科学者の36%、医師の38%、マイクロソフトの従業員の34%、IBMの従業員の28%がインド系アメリカ人だという。
また、アメリカの億万長者の10%がインド系で、ITの中枢を担うシリコンバレーに多く住んでいる。

GDPはまだ上位に入ってこないが、BRICSの一角としてめざましく成長している。
しかし、インフラ整備が遅れているようで、国民の半数は携帯電話を持っているのに、3分の1はトイレがないという。

BC1500年頃、中央アジアから来た遊牧民アーリア人は、インダス文明を築いたドラヴィダ人を征服した。
一部のドラヴィダ人はアーリア人から逃れてインド南部へ移動したため、今も南部はドラヴィダ人が多く住むが、現在のインド人の大半は、アーリア人とドラヴィダ人の混血民族。

さらにアーリア人はガンジス川流域に進出し、そこで都市や王国が形成され、インドの歴史の表舞台となった。
アーリア人が移動する過程で、先住民を差別するためにつくられた世襲的身分制度が、カーストである。
バラモン(司祭者)を最上位とするかれらの宗教はバラモン教と呼ばれ、輪廻転生を説き、また牛を神聖視する風習なども、現在まで受け継がれている。

4世紀には、バラモン教を母体として発展したヒンドゥー教が浸透した。
ヒンドゥー教は、創始者も経典もない民間宗教で、インド人独特の思考様式、社会習慣の総合であり、現在のインド人の生活とも深く結び付いている。

1526年、トルコ系民族が北インドに侵入してムガル帝国を建て、インド史上最大の帝国となった。
支配者のイスラム教とインドのヒンドゥー教とが融和してインド・イスラム文明が成熟した。
ムガル帝国最盛期の王妃ムムターズ・マハルの霊をまつるためにつくられた墓廟が、タージ・マハルである。
2万人の職人を使って22年間かけた代表作で、現在もインドのシンボルであり、新・世界の七不思議にも選ばれた。

17世紀にはポルトガル、オランダ、フランス、イギリスが、アジアとの貿易をめぐって競い、東インド会社を設立した。
これに勝ったイギリスがインドの商業を支配し、インド側の大反乱を抑えて1877年にイギリス領インド帝国を成立させた。

第1次大戦中、イギリスはインドに戦後の自治を約束したが、これを反故した。
これに対して、マハトマ・ガンディーが独立をめざして「非暴力・不服従」主義による抵抗運動を起こし、やがてインド全土に広まって民族運動に発展し、イギリスの統治を揺るがした。

第2次大戦後の1947年に独立したが、この時、イスラム圏はパキスタンとして分離独立した。
2006年ムンバイ列車爆破事件、2008年ムンバイ同時多発テロなど、パキスタンのイスラム過激派によるものとみられるテロが相次いでいる。
中国とも仲が悪い。

アーリア人、ドラヴィダ人、モンゴロイド、トルコ系、ペルシャ系など、多様な民族、文化によって構成されている。
公用語はヒンディー語。補助公用語は英語。憲法では22の言語が公的に認められている。
資料によって異なるが、主要言語だけで20ほど、方言も含めると850ほどの言語が日常語として話されている。
ヒンディー語の母語話者数は4億9000万人で、中国語、英語に次いで世界3位。文字はこんな感じ→हिन्दू धर्म
ヒンドゥー教80%、イスラム教13%、キリスト教2%、シク教2%、仏教0.8%。

  


インドの位置



2010年11月23日火曜日

休日

月休1日の生活もすっかり慣れた。
以前は、週に1度の休みは絶対に必要だと思っていて、休日はいつも夕方の5時まで寝ていた。
今は、その時間が無駄に思える。
脳が「金の亡者のごとく働きまくる」モードに切り替わり、毎日働き続けることが当たり前になると、もう休日なんぞどうでもよくて、このまま出発の日まで休みなしでもいい気がしてきた。

でも、それだと人付き合いがおろそかになる。

そんなわけで、今日は同級生と会ってきた。
彼とは、小学校の時に自転車で飯能まで行った仲だ。
思えば、あれが人生初の自転車旅行だった。

子供の頃、あるいは学生時代に一度でも自転車で遠出をしたことのある人は、意外に多いんじゃないかと思う。
これをエスカレートさせれば、とんでもなく素晴らしい経験ができるのだが、大人になってやる人はあまりいないようで、物珍しそうな目で見られる。
僕自身、まさか大人になって、自転車旅行が人生のメインテーマになろうとは、当時は夢にも思わなかった。

この友人は、中学の時から建築士になると言っていたのを僕は覚えていて、その言葉通り、すでに一級建築士の資格を取って建築士として仕事をしており、いずれは独立するつもりだという。
こんな風に目標を実現し、貫き続ける人と接すると励みになる。

僕の目標は、社会に何の貢献もしない道楽にすぎないが、それでも応援してくれる人がいるのは本当にありがたい。

男2人でカフェでケーキを食べてきた。
男同士でこういうのも、悪くない。

明日は3時半起き。
もう寝る。



2010年11月17日水曜日

辻井伸行

辻井伸行を聴きに行った。
一度生で聴いてみたいと、ずっと思っていた。

「題名のない音楽会」の収録で、チケットは無料。
場所はシビックホール。奇しくも僕はここのガラス清掃もやっている。

辻井伸行はとにかく音がいい。
あれほど澄んだ透明感のある響きは、他に類を見ない。
演奏スタイルはオーソドックスなのにこれほど人を惹きつけるのは、音が何かを力強く物語っているからだろう。

初めて彼を聴いたのも、4年ぐらい前にテレビで「題名のない音楽会」を見た時だった気がする。
数人の若手ピアニストが順に演奏していて、その中で盲目のピアニストがひとりだけズバ抜けていい音を出していたのを覚えている。

僕は今まで日本人のピアニストを好きになったことがなく、ホロヴィッツやグールドなどの型破りな(異常な)ピアニストを好んで聴いてきたが、辻井伸行の出現で固定観念がすっかり崩れてしまった。

今日の曲目はチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番第1楽章(佐渡裕指揮、東京フィル)とオリジナル曲。
放送予定日は2011年3月13日。

彼の音は、すさまじい練習の積み重ねをしてきたことも強く物語っている。
僕よりひとまわりも年下のこの青年を、心から尊敬する。



2010年11月15日月曜日

まさかの自分がアシッドアタック

今日は外壁洗浄で酸を使った作業をした。
外壁にこびりついた黒ズミはアルカリ洗剤では落ちないので、酸で洗って溶かす。
ゴム手袋、長靴、カッパで完全防備(本来ならゴーグルも)するが、どこからともなく酸は侵入し、皮膚を焼く。



これぐらいは軽度だが、ゴム手袋の指先に穴が開いて爪の間にしみ込んだりすると猛烈に痛い。
原液の酸を顔にぶっかけられるパキスタンの女性の痛みは想像を絶する。

昨日は中学時代の同級生の依頼で仕事をしてきた。
ロープ作業で外壁のコーキングを修正してその上に塗装をする、という内容。
コーキングや塗装は初体験だったので仕上がりは自信なし。
でも、ロープ作業を清掃以外の分野でも役に立てることができたら光栄だ。

自分にとってロープ作業はごく日常的な仕事で、色々な感覚が麻痺してしまっているのだが、初めて見る人にはとても奇異な仕事に見えるようで、この同級生に「ドMだな。」と言われた。
僕はMではありません。たぶん。

僕をドM呼ばわりしている友人のブログ→http://ameblo.jp/shinei-toso/



2010年11月11日木曜日

衝撃ニュース パキスタン

引き続き、苦手な方はご遠慮ください。

イスラム圏では女性の地位が著しく低く、多くの女性が暴力を受けている。
中東からアジアにかけて、特にパキスタンでは、女性に酸を浴びせる「アシッドアタック」が多発している。

主な動機は、結婚を断られたことによる逆恨み、あるいは、家に女の子は2人もいらないからという理由で幼い子に酸をかけることもある。

裁判を起こす経済的余裕もなく、社会的にも女性は軽んじて見られているため、加害者が起訴されることは非常に少ない。
1994年以降で、パキスタンの首都イスラマバードでのアシッドアタックの被害事例は報告されているだけで7800、そのうち加害者が有罪となったのはわずか2%。
また、酸の購入には規制がなく、塩酸や硫酸などが市場などで簡単に買える。

パキスタンのアシッドアタック(閲覧注意) 1
パキスタンのアシッドアタック(閲覧注意) 2
パキスタンのアシッドアタック(閲覧注意) 3



2010年11月6日土曜日

衝撃ニュース イラン

苦手な方は読まない方がいいかもしれません。

イスラム法では不貞行為はジナの罪と呼ばれ、婚前性行為や婚外性行為は重罪とされている。
処刑方法は、絞首刑、銃殺刑、鞭打ちの刑、石打ちの刑などがあるが、中でも石打ちの刑がむごたらしい。

イランの刑法によると、男性なら胸まで、女性なら首まで地中に埋めて動けないようにし、死ぬまで石を投げつける。
石を投げるのは裁判官で、石は大きすぎず小さすぎず、十分に痛めつけられる適度なサイズ、と規定されている。
この刑はイランの他、パキスタン、アフガニスタン、ソマリア、ナイジェリアなどで、現在も行われている。
→ソマリアでの石打ちの刑の様子(閲覧注意)

今年は、イランで不貞行為の容疑で石打ちの刑を宣告された43歳の女性が話題になった。→参照
彼女は裁判で自白を強要されたと主張し、容疑を否認している。
イラン司法局は世界各国から非難され、報道や人権擁護団体の運動も功を奏したのか、刑は延期され、判決を検討している。
しかし、イラン外務省報道官はこの問題について、西側諸国は、「恥知らずにも、犯罪と背信の問題を人権問題にすり替えようとしている。」とコメントした。
僕にはこの発言が最初から最後まで理解できない。

ちなみに、女性はレイプされても姦通罪になる。
女性は結婚するまで処女でいなければならず、結婚後は夫以外の男性と関係を持ってはならない。
2004年、レイプされた16歳の少女が絞首刑になった。→参照
イスラム圏では女性の地位が著しく低く、裁判でも女性の主張より男性の主張が優先される。
この件では、レイプした51歳の男性は95回の鞭打ちの刑ですんだ(95回も鞭で打たれたら死にそうだが)。

日本では、「この人痴漢しました」と言えばその男性の人生が終わるが、イスラム圏では、「この人レイプされました」と言えばその女性の人生が終わる。



2010年11月5日金曜日

イメージ パキスタン

BC2600~BC1800年頃、インダス川流域を中心に、四大文明のひとつであるインダス文明が栄えた。
モヘンジョダロやハラッパーなどの都市遺跡に象形文字が残されているが、いまだ解読されていない。

17世紀からイギリスの会社がインドに進出し、19世紀にはインドとその周辺は完全にイギリスの植民地となった。
第2次大戦後、ヒンドゥー教圏がインド、イスラム教圏が東西パキスタン、仏教圏がスリランカとして独立した。

ヒマラヤのふもと、カシミアのセーターで有名なカシミール地方は、住民の8割がイスラム教徒であったが、ここを統治していた藩主がヒンドゥー教徒であったため、パキスタンに属することを拒み、独立を望んだ。
これに対してパキスタンへの帰属を求めた住民が暴動を起こすと、インド、パキスタン双方が武力介入した。
これが1947年第1次印パ戦争。

以来、60年以上にもわたって、両国はカシミールの領有をめぐって対立している。
現在も世界地図を見ると、この付近の国境は実線ではなく点線で描かれている。

1971年の第3次印パ戦争では、東パキスタンがバングラデシュとして独立した。
この戦争でパキスタンはインドに大敗し、国土の20%、人口の60%を失った。

インドは、1974年と1998年に2度の核実験を行った。
これに脅威を感じだパキスタンは、世界各国からの警告を無視して核実験を決行し、核保有国となった。

その後も、1999年インド旅客機ハイジャック、2000年カシミール爆弾テロ、2006年ムンバイ列車爆破テロ、2008年ムンバイ同時多発テロなど、和解の兆しは見られなかったが、2010年、両国の首脳が会談し、今後も対話を続けていくと決めた。

2008年、アメリカがインドと協定を結び、インドに原子力技術を提供するようになった。
アメリカはイランの核開発を非難しながら、一方でインドにこういった協力をすることはダブルスタンダードである。
パキスタンも、核開発の指導者カーン博士が北朝鮮に技術を提供するなど、管理体制に不安が見られる。

パキスタンは、タリバンをつくりだした国であり、その本拠地でもある。
現在は、アメリカの思惑でパキスタン政府とタリバンは対立し、2008年頃からタリバンによるテロが多発。
兵士だけでなく多くの一般市民も犠牲になり、2009年にはパキスタンの避難民は415万人に達した。
タリバンは、パキスタンの核を奪ってアメリカに向けると宣言した。

・・・この国は無理かもしれない。
外務省は、パキスタンの大部分に「渡航の是非を検討してください」、イランとの国境一帯に「渡航の延期をお勧めします」、アフガニスタンとの国境およびカシミール地方に「退避を勧告します」、を発令している。
中央アジア経由にルート変更すべきか?
あるいは、イランからフェリーでインドに行けないだろうか?

自然災害でも大規模な被害。
2005年、カシミール地方でマグニチュード7.6の地震が発生し、9万人以上の死者。
2010年、洪水で死者1200人以上、200万人が家を失った。

パンジャーブ人56%、パシュトゥーン人16%、シンド人13%、バローチー人4%。
人口増加が激しく、現在は1億8千万人。
国語はウルドゥー語。ヒンディー語と同系だがアラビア文字を用いる。公用語は英語。
イスラム教97%、ヒンドゥー教1.5%、キリスト教1.3%。

  パキスタンの位置



2010年11月3日水曜日

イメージ イラン

古来よりペルシャとして知られていたが、これは外国による呼称で、かれら自身は自国をイラン(「アーリア人の国」の意)と呼んでいた。

アメリカと真っ向から敵対している国だが、かつては親密な関係だった。
第2次大戦後、アメリカはイランの石油に目を付けて開発を支援し、イラン国内は西洋化が進められた。
しかし、1979年、復古的なイスラム国家を望む人々が革命を起こした。
国王を追放し、ルーホッラー・ホメイニ師を最高指導者に迎え、イラン・イスラム共和国が樹立した。
ホメイニ師を支持する学生が首都テヘランのアメリカ大使館を占拠し、大使館員を人質にたてこもった。
これを機にアメリカは国交を断絶し、レーガン大統領はイランをテロ国家に指定、ブッシュ大統領はイラン、イラク、北朝鮮の三国を「悪の枢軸国」と表現した。

中東には、アメリカのバックアップで圧倒的な軍事力を誇るイスラエルがある。
イスラエルはすでに核兵器を保有し、中東イスラム諸国に対して無言の圧力をかけてきた。
反米同様に反イスラエルを徹底するイランは、イスラエルに対抗するために核開発を進めている。

イランの核開発は国際社会から批判の的となっているが、これは西側諸国の考え押し付けで、イスラエルの核保有は見て見ぬふりをしてイランだけは許さない、というのは公平ではない。

核拡散防止条約は、すでに核兵器を保有してしまっている米露英仏中は保有し続けることを認め、他の国が新たに製造することは許さない、という西側に都合のいい不平等条約だ。
また、加盟していないインド、パキスタン、イスラエル、北朝鮮に対しては何も言えない。

イランは、世界最大の産油地帯であるペルシャ湾の入り口、ホルムズ海峡の鍵を握っている。
もしここが封鎖されれば、世界経済が大混乱に陥ることは必至である。
こういった脅威があるため、国際社会もイランに制裁を加えることには慎重になっている。
日本も、輸入している原油の8割がこの海峡を通過しているので、他人事ではいられない。

隣国イラクがアメリカにやられたことも影響してか、イランはIAEA(国際原子力機関)からの中止要請も無視し、ウランの濃縮を続けている。

1988年、イギリスの作家がムハンマドを題材にした「悪魔の詩」を出版したが、これはイスラムへの冒涜であるとされ、ホメイニ師はこの作家に死刑を宣告した。
作家は警察に保護されたが、日本語版の訳者であった筑波大の助教授が何者かに殺された。
犯人はまだ捕まっていない。

ペルシャ人51%、アゼリー人25%、クルド人7%。他の中東イスラム圏とは違い、アラブ人国家ではない。
公用語はペルシャ語。アラビア文字を使い、アラビア語からの借用語も多い。
シーア派が90%。イスラム圏で唯一、スンニ派ではなくシーア派が多数派となる国。

隣国イラクとは宗派も民族も言語も異なり、フセインがシーア派を弾圧してきたこともあって、仲が悪い。
1980年、石油輸出の要所である国境をめぐってイラン・イラク戦争が勃発した。
1988年に停戦し、犠牲者は両国で100万人と推定されている。

イラン・イスラム共和国地図  イランの位置