2014年7月30日水曜日

広西チワン族自治区 3

小さな田舎街で、60元(979円)のボロ宿に投宿。
かすかに嫌な予感はしていたのだが、まさか夜10時に公安が部屋までやって来て叩き起こされて、署まで連行されるとは思ってなかった。

たいていこういう小さな街には、外国人宿泊可の宿はない。
ここの宿は、外国人宿泊不可のルールを知らずに僕を受け入れてしまったようで、それが発覚してしまったのか。

署に連行されたものの、警察も誰一人として英語を話せないので、何のやりとりもできない。
しばらく待たされて、英語を話せる警察官と電話がつながり、どこの何者か知らぬがその者に電話で質問攻撃された。
「中国に何しに来た? どこの国境から入ってきた? 今日で滞在何日目だ? 自転車で2週間以内にマカオにたどり着けるのか?」
といった質問ならまだわかるが、
「日本では何の仕事をしている? クリーナー? 英語はどこで何年勉強した? 中学高校で6年? 英語を6年も勉強して英語を話せるのになぜクリーナーの仕事を選んだ? 家族はどこにいる? 妻子は? 独身? その年齢でなぜ結婚していない?」
なんじゃこの質問は?

夜11時、怒涛の質問攻撃が終わり、警官3人がかりで車で僕を宿まで送った。
ようやく解放かと思いきや、部屋まで来て今度は3人がかりで家宅捜査(?)が始まった。
バッグをひとつずつ開けて中身をチェック。
ラップトップ、iPad、iPhone、カメラの写真をチェック。
引き出しの中、ベッドの下までチェック。
宿のおばちゃんも不審な目でドアの隙間から部屋をのぞきこんでいる。

田舎街に外国人が1泊しただけで、この騒ぎ。

僕は、拘束されて自由を奪われると人一倍イライラしてしまう性格なのだが、この時はなんかおもろくて、けっこう落ち着いて状況を見つめていた。
国によっては、街を歩いていて「外国人だから」というだけで職質されることもめずらしくない。
所持品チェックをされることもある。
ふつうそういう時は、ドラッグや凶器などを所持していないかをチェックすると思うのだが、ここでかれらが探していた物は、ダライ・ラマの写真とか、天安門の写真とか、その手のものかな。

国内の人民を管理できたとしても(実際には管理しきれていないだろうが)、外国人に変な政治活動をされても困る、ということか。
たしかに我々は、チベットやウイグルの現状を知っているし天安門事件も知っている。
2008年の北京オリンピックの時も、「中国人以外は皆、それぐらい知ってるよ」ということを見せつけた。

ラップトップとiPadには、インドで撮ったダライ・ラマのポスターの写真が入っているのだが、1万5千枚ほどある写真をすべてチェックされたわけではないので、大丈夫だった。
もしそれを見られていたら、もっと面倒なことになっていたのかな。

一応フォローしておくと、警官も、電話の向こうの英語話者も、決して高圧的ではなく、礼儀正しかった。
「業務上やむをえないことなので気を悪くしないでほしい」という態度で接してくれたので、僕としてもあえて「ムキーッ」となる気も起きず、おとなしく従った。

社会主義。
その根本思想としては平等社会を理想とするため私有財産を否定し、国内に存在するものは国有のものとして国家が管理しようとするので、外国人に自由に旅行させるのも好ましくないことなのである。
ベトナムやラオスでは特に問題なかったが、旧ソ連の中央アジア諸国などは、外国人が旅行するには、面倒なビザ取得、無意味な滞在登録などの慣例がいまだに残っている。
元をたどればマルクスの思想、それをレーニンがソ連の政治に適用し、毛沢東が中国の政治に適用し、極限化して一国を崩壊させたのがポル・ポト。
ポル・ポト政権下のカンボジアなら僕は100%殺されていただろうから(外国語を話す人→死刑)、この程度ですむなら楽なものかもしれない。
でも、程度の差こそあれ、中華人民共和国も民主カンプチアも根底ではつながっているということを忘れてはならない。
いつの日か、この国が世界の覇権を握るのかもしれないと思うと・・・おっと、誰か来たようだ。


Yangjiang, China



2014年7月29日火曜日

広西チワン族自治区 2

なんかおもろい中国人が併走してきた。


自転車屋を経営しているらしい。
わずかながら英語を理解できること、そして自転車好き、ということで彼とは楽しく意志の疎通ができる。

ドリンクをおごってもらってしまった。


昼食をごちそうになってしまった。


ここぞとばかりに、彼に中国語を教わった。

若い世代はたいていスマホを持っていて、翻訳機能を使って僕とコミュニケーションをはかる。
音声入力したり、ディスプレイに文字を手書きしたりして入力している。
スマホに漢字入力するなら、こういうスタイルの方が速いのだろう。
ただし、翻訳の精度はまだまだ未発達で、まったく意味不明な文章になる場合が多い。
中国語って、疑問文に?マークをつけたり語順を変えたりしないのか、翻訳後の文章を見ても、質問されているのか命令されているのかさえわからない。

この日は100元(1631円)の中級ホテル。
初日とは大違いで、レセプションの女性たちはムダにギャーギャー騒ぐこともなく、会話はできないが筆談なら何とかなるということを瞬時に察して、わかりやすいシンプルな筆談をしてくれて、いともスムーズにチェックインできた。
しかも、真新しいきれいな建物にもかかわらず、自転車を室内に入れさせてくれた。
エレベーターも、自転車をそのまま入れられるほど広かった。
毎日こんな感じだったら楽なんだけどなー。

この手のレストランは、冷蔵庫にある食材を指で差して注文すると、適当に野菜を加えて料理してくれる。




なにかと難しい国なだけに、ホテルにスムーズにチェックインできただけで、レストランでスムーズに注文できただけで、妙な充足感がある。
ふつうのことなのに、店員がちょっと親切に対応してくれただけでうれしくて、笑顔で「謝謝」と繰り返し言ってしまう。



またなんかやってる。


この街灯(?)、見た瞬間、ひねくれたデザイナーがわざと崩したデザインで作ったアートなのかなと思ったのだが、どうも違うようだ。


歴史的大地震でも起きない限り、これは倒れちゃいかんやつでしょ。


そしてこの危険な状態のまま、周囲を封鎖したりなどの処置もせず人が通行している。


これがチャイニーズクオリティか。

楽しそうでなによりです。


長い歴史を誇る中国だが、街を歩いていても、歴史はまったく感じられない。
大きな街だと真新しい建物ばかり、小さな街だとボロイ建物ばかり、中くらいの街だとそのミックス。
寺などはあまり残っていない。

真新しい建物も、そう長くはもたなさそうだ。


小さい街の市場はこんな感じ。






あれ、前回の投稿で「とてもクリーン」って書いちゃいましたっけ?
すみません、忘れてください。




Yangjiang, China



2014年7月28日月曜日

広西チワン族自治区 1

国境は混雑していた。

越境者は全員徒歩。
車とバイクは制限されているのか、人々は手で大荷物を運んでいた。
ベトナム人からバイクを取り上げてしまったら、国境の街を行き来するぐらいで、そう遠くへは行けまい。

ちょっと面白いな。
中国がベトナム人の入国を制限したいと思ったら、入国審査基準を厳しくするとかじゃなくて、単にバイクを禁止すればいいだけの話、ということか。

よくわからないが、2万ドン(95円)払って通行証のようなチケットを買わされた。

見渡した感じ、外国人は僕ひとりだけ、自転車も僕ひとりだけ。
大注目を浴びながら、自転車とともに行列に加わる。
いったん自転車を建物の外に置いてからではなく、自転車ごと建物内に入って手続きするように指示されたのである。
待っている間、油断していると割り込まれるので、肘と自転車を使ってガードする。
後ろにいるヤツが自転車に積んである荷物をいじりだす可能性もあったので、ちょくちょく後ろを振り返って注意を払う。

ちょうど僕の番がまわってきたところで、停電したのかシステムがダウンしたのかわからないが、業務がストップしてしまった。
何十回も国境越えを経験しても、やはり緊張感がつきまとうもので、イライラするわけではないが、早く終わってほしいなと思う。
数分待たされて(この数分が長い)、無事出国。

橋を渡って、中国へ。


ふつうは出国より入国の方が時間がかかるものだが、何事もなくスムーズに手続き完了した。
入国カード記入もなし、質疑応答もなし、係員は感じ良かった。
ノービザで14日滞在可。
荷物は機械に通してチェックされるのでいったんすべて外して、その先は階段になっていたので担ぎ下ろした。

いつも感心するのだが、iPhoneとiPadの時計は、国境を越えただけで自動的に時差が調整される。
SIMを替えずとも、設定をいじらずとも、気づくとその国の時刻になっている。
これはGPS機能の一部なのか、それともその国の電話会社の電波をキャッチしているのか、恥ずかしながらいまだに仕組みがよくわからない。
ラップトップの時計は、ネットに接続しても自動的には変わらないので、コントロールパネルを開いて手動でタイムゾーンを変更しなければならない。
あと、僕の腕時計は電波時計なのだが、これは主に先進国でしか電波を発信していない。
南アフリカからここまでで、受信したのはヨーロッパだけだ。

入国してすぐ、ガラリと世界が変わった。




ウイグルで見た街並みと大きな違いはないが、カンボジア→ラオス→ベトナムを経てから中国入りすると、圧倒的な国力の差を感じさせる。
この国境の街はじっくり見ずに通過しただけだが、物が豊富そうな空気が伝わってきた。
道路にはゴミ箱があり、救いようもないほどゴミだらけだったベトナム北部なんかと比べると、とてもクリーンだ。
なんだか、ホッとする。

立派なスーパーだってある。


冷えたドリンクだって難なく買える。

ベトナム北部では、冷蔵庫に入っているのはすべてミニサイズで、大サイズはぬるいのしか置いてなかった。

日傘バイクがトレンドなのかな。


もちろんまだクラクション文化圏だが、ベトナムに比べると2~3割減。

ウイグルに比べると電動バイクの普及は遅れているようだ。
まだ半分ぐらいはガソリンエンジン。

道路は広くて走りやすい。


ガキに追跡されることもなさそうだ。
でもこうやって経済レベルが上がると、子供たちの「ハロー! ハロー!」もなくなる。
こういう法則はいつも通り。



何が楽しみって、これですよ。

20元(326円)。

ウマイ!
さすがだ。

アジアの南部と東部で、中国の食文化の影響を受けていない国はほぼないと思う。
東南アジアの食も、全体的に中華っぽさがあった。
しかし、本場はやはり違う。
すごく大ざっぱに適当につくってるように見えて、食べてみると味に深みがある。
ただ、ライスに関してはベトナムの方が粘り気があっておいしかった。

あ、なんか変な道に入っちゃった。


ローカルロードはこんなもんか。


まさか、ベトナム人に見栄を張るため、国境付近だけちゃんとしてみせた、ってわけじゃないだろうね。
そんな気がしてきちゃったよ。



街が見えてきた。


防城という中規模の街で1泊。

ある程度の規模の街では、宿は豊富にある。
拒否される覚悟で、安そうな宿から1軒1軒あたってみるが、やはりことごく拒否される。
外国人は宿泊拒否というルールを知らない従業員も多いようで、最初はうなずいていたのに、チェックインの手続きの途中でゴチャゴチャもめだして、上司に電話して、数十分も待たされた挙句、「没有」(No)と言われたりする。
結局、星のついた高級ホテルに泊まるハメに。
148元(2415円)。

これも覚悟していたことではあるが、やはり見事なまでに英語が通じない。
世の中には中国語を話せない人間も存在するんですよ、という事実を、かれらは受け入れることができないようだ。
いやいや、そんな大きな声で同じセリフを繰り返されても、耳が遠いわけじゃないんですよ。
東南アジアでもそうだったが、どこへ行っても何を言っても「アア!?」と言われるので、強いメンタルを維持しなければやっていけない。
特に中国は、アメリカの「英語至上主義」に劣らぬほど、「中国語至上主義」を強く持っている感じがする。

現地の言葉を話せない自分が悪い。
それはたしかにその通りかもしれない。
でも、星のついた高級ホテルで、看板に英語で「HOTEL」と掲げておいて、そして外国人も受け入れるホテルだったら、せめて中1レベルの英語ぐらいしゃべれてもいいんじゃない?
「Do you speak English?」と聞かれて「アア!?」はねーだろ。

彼女たち(レセプションで接客するのはたいてい若い女性)は、僕が現れると、
「なんか言葉が通じない客が来ちゃったんだけど・・・」
みたいな感じで、一時騒然となる。
外国人の来客など、有史以来初めてのことのようだ。

ウイグル自治区で見た漢族は、かれら自身がそれほど遠い昔ではないある時期に移住してきた異邦人であるので、僕のような外国人が現れてもさほど過剰な反応は示さなかったように思う。
むしろ、かれらは自分たちがウイグル人から憎まれていることを自覚しており、僕はどちらかというと漢族サイドの人間だとみなされていた感じもあった。
しかしここでは、僕はまるで宇宙人のような扱いだ。

僕は、あらかじめiPhoneに読み込ませておいた中国語フレーズを見せたり、旅行会話集のコピーを見せたり、筆談してみたり、小学生でもわかるような基本英単語を言ってみたりして、あの手この手で必死に意志の疎通を試みる。
それに対して、女性従業員はまともに答えようともせず、僕から目をそらして仲間の従業員に向かって、
「中国語通じないとかマジ受けるんですけど! ウチら英語なんかわかるわけねーし! キャハハハ!」 (←僕の想像翻訳)
とバカ騒ぎする。
その後しばらく僕を放置して内輪だけでしゃべり込み、時々僕に中国語で話しかけて、やはり通じないので、
「やっぱムリ~」 (←僕の想像翻訳)
みたいな感じでケラケラ笑う。

ホテルに限らず、レストランや売店なんかでも同様、タイあたりからずっと、こういう反応をする者が絶えない。
こっちは誠意をもって真っ向から挑んでいるのに、それを受け止めずに笑いものにするなんて、本当に最低のヤツらだ。
もう、仲間に話しかけて逃げるの禁止!
接客のプロなら、逃げずに一対一で向かい合ってみろってんだ!

ちなみに高級ホテルでも、客がタバコを吸いながら廊下を歩き、タバコを持ったままエレベータに乗り込んできたりする。
これがチャイニーズ民度か。

高級ホテルでは、部屋にパソコンが置いてあったりする。
自分のラップトップにLANケーブルを接続してみたら、うまいことネットにつながった。


通常の状態だと、GoogleもFacebookもtwitterもYouTubeもブロックされていてアクセスできない、このブログもアクセスできないので、VPNを使用する。
VPNとは、正確にはブロック解除ではなく、中国以外の国のサーバーを経由してネット接続させる方法。
有料や無料、モバイル用アプリなど、いろいろある。
中国やイランでFacebookをやっている人は皆、この類を使用しているはず。
ただし、国外を経由するのでスピードは遅い。



マジかよ中国。
晴天日の舗装道路で、なんでこんな水没してんだよ。



クラクションも次第に激化。
そうだよな、中国人がクラクションを鳴らさないわけがないよな。
GDPが世界2位になっても、一人あたりのGDPが低い国では、結局クラクションを鳴らすんだよ。

ただし、中国の一人あたりのGDPは絶賛上昇中で、現在84位。
日本の一人あたりのGDPは絶賛下降中で、現在24位。



中国の人口密度は140人/k㎡。
世界最多人口とはいっても、過密さは日本の半分以下。
ただし、一人っ子政策にもかかわらず複数の子を産んでしまって届け出せずに存在しない者とされている黒孩子や浮浪民が2億人はいると推定されている。
実際の人口が15億だとしても、それでも人口密度は160人/k㎡ほど。
中国の国土で日本の人口密度(337人/k㎡)と等しくなるには、30億の人口が必要。



この日は一発で宿にありつけたが、駐車場のおっさんとちょっとケンカになった。
よくあること。
どういうわけか駐車場のおっさんというのは、高圧的に偉そうに「ここに停めろ!」と指図してくる。
「ここには停められないな」と判断して別の場所を探していたら、ベトナム人と同じように「オイッ! オイッ!」とヒステリックにわめく。

うるっさいなー。
なんでそんな声デカイんだよ。
本当に動物同然、イヌと何ら変わりないな。

おっさんは力いっぱい自転車をつかんで阻止してきたので、僕も力いっぱいおっさんの手首をチョップして払いのけた。
するともう、本当に発狂したかのように騒ぎ出した。
こいつが英語を話せたとしても、僕が中国語を話せたとしても、こんなんじゃ会話が成立するわけもないので、レセプションの人にお願いして、建物内のロビーの隅に置かせてもらった。
あんな蛮人が管理している駐車場に大切な自転車を放置するわけにはいかない。

久々のショッピングモール。


こういうのはチャイニーズクオリティか。




言葉で苦労するとはいっても、日本人は文字を見てだいたい推察できるから楽だ。


麺類は豊富にあるが、この辺はうどんスタイルが主流のようだ。


ウイグルでハマった拌面は西部の食文化なのか、この辺では見ない。
あれウマかったんだけどなー。

店の看板を見れば何の店なのかだいたいわかるし、通りには漢字で名前が付いているので街歩きの際の目印になるし、宿にある電気製品のリモコンもボタンがすべて漢字。
漢字文化圏外から来た旅行者は、数倍苦戦すると思う。



やっぱりタイと中国って、共通点があるな。
タイでもこんな感じで、夕方になると広場に人が集まって、おば様たちがエアロビまがいのことをやっていた。




Yangjiang, China

16770km



2014年7月20日日曜日

中国へ

走行開始して早速、違和感。
フロントブレーキをかけると、不自然に効きすぎる箇所がある。
この箇所でリムが歪んでいるか、あるいはすでに内部で亀裂が生じているのだろう。
この先はだいたいフラットなので、ブレーキを酷使してリムを悪化させることはそうないと思う。
とりあえず回転し続けてくれればいい。

新しいタイヤはブロックタイヤなので、ペダルが重い。
フラットな舗装道路でもスピードがのらず、ずっと微妙に登っているような感じ。

ハノイの朝の通勤風景。


常に流れ続けていて、渋滞することはない。
地平線の彼方からエンドレスにやってくるバイクの大群をずっと見ていると、なんだか笑えてくる。

こういうのは笑えない。


ベトナム北部では、都市部のみならず田舎街のレストランでもぼったくってくるんだな。
ごくふつうのローカルフードで、白々しい顔して通常の3倍ぐらいの料金を突きつけてくることもある。
腹立つなー。



台風だろうか、いつもの雨と違って嵐が長時間続いている。


ここは不便な小さな村で、長居する気にはなれないのだが、さすがにこの暴風雨では出発できず、連泊。
 
昼、宿の人たちにごちそうになった。


フォーとインスタントヌードルのミックス。


停電のため、扇風機も回せない。
蒸し暑い中、皆で汗かきながら楽しくいただく。



カメラを向けるたびに、恥ずかしがってクスクス笑う。
言葉はわかりあえなくても、楽しい気分は分かちあえる。



ツンデレというのか、それともアメとムチというのか。
ベトナム旅行は、打ちのめされたと思ったら良くしてもらったり、の繰り返しで、なんだか変なプレーをしているかのようだ。



夕方、食事に出かけたのだが、どういうわけかどの店も閉まっている。
台風のせいなのか、それとも今日は祝日か何かなのか。
言葉が通じるなら聞いてみたいが、何もわかりゃしない。
仕方ない、カップラーメンと駄菓子でしのぐしかない。

宿に戻ると、夕食を用意してくれていた。


やはり祝日なのかな、村のレストランが休業しているのはわかっているから僕も同席することを前提につくってくれていたみたいだった。
ちなみに客は僕ひとりだけ。
これで経営が成り立つのか。



ありがたい、そしてすごくおいしい。
魚なんかは日本の味付けと似ていて、ご飯が進む。

そしてベトナム人は、クチャラーのようだ。
老若男女問わず皆、一片のためらいも見せずクチャクチャ音を立てながら食べる。
行儀作法もきわめて自由、食事中に携帯をいじったりフラフラと立ち歩いたり、食べ終えた者は何も言わずにいつの間にかいなくなっていたり。

気づくと僕ひとりで食べ続けていた。
ご飯何杯おかわりしただろうか、満腹。
ごちそうさまです。



中国との国境の街に到着。
ノービザで入国して、14日以内にマカオ・香港へいったん逃げる。
一国二制度というものをまだちゃんと理解していないのだが、マカオ・香港は中国へ返還されたはず、でも実質的には別の国と言えそうだ。
少なくとも渡航に関しては、中国本土からマカオ・香港へ入ればいったん出国したものとみなされ、マカオ・香港から再び中国本土へ入ればノービザで新たに14日滞在可能、と複数の旅人たちから聞いている。

1年前のウイグル自治区走行でわかったことをおさらいします。

・ネットについて
まともにネット接続できるのはユースホステルのみ。
メールはふつうにできる、フェイスブックはブロック解除ソフトをダウンロードすればできる、しかしブログ更新は難しい。
中国にいる間は、ブログの更新が滞る可能性大。
ネットカフェも利用可能だとは思うが、試したことない。
おそらくネットカフェでできるのはメールぐらい。

・宿泊について
多くの宿で、外国人は宿泊拒否される。
外国人が宿泊可能なのは、高級ホテル、ユースホステル、交通賓館、あと僻地の村の宿なんかでも可能なことがある。
外国人が多く集まる都市や観光地では、ユースホステルあるいはそれに類似した安宿があるかもしれないが、そこらの街では「高級ホテルか野宿か」の二択となる。

そんなわけで、滞在日数も制限があり、宿泊も制限があるので、またあまりのんびりできずに駆け抜けることになりそうだ。
そしてネット制限もあるので、連絡が途絶えたとしてもご心配なく。
ただ、ウイグル自治区だから厳しかったというのもあるかもしれない、人口が集中している東側ではもう少し融通がきくかもしれない、という淡い期待もしている。

ここからマカオまで800km弱。
だいたいフラットなのでふつうに行けば10日以内、うまいこと進めなかったり、あるいは連泊できるような安宿にありつけたりしたら、もう少しかかると思う。

ベトナム滞在期限まであと4日ほどあるので、この国境の街で連泊して、十分体を休めてから中国へ突入しよう、と思っていた。
しかし、いざたどり着いてみると、これがまたしても劣悪きわまりない環境。
「休みたい」気持ちよりも、「逃げ出したい」気持ちが圧勝してしまう。
いろんな国を見てきたけど、ベトナムのこの手の街の「すごしにくさ」は、世界でも随一。
本当にひどい、ため息が止まらない。

GDPが日本の2倍に達したという超大国、中国人の民度の高さに期待したい!

期待したい・・・

はあぁぁ・・・

ベトナムドン。


1万ドン紙幣と10万ドン紙幣を間違えて出してしまいそうになったことがある人は僕だけじゃないはずだ。




Mong Cai, Vietnam

16220km