戦争証跡博物館。
入場料1万5000ドン(72円)。
入館していきなり、日本語が目に入ってくる。
僕はベトナム戦争終戦の年に生まれた。
当時こんなにも反戦の声が上がっていたなんて、知らなかった。
てっきり日本はアメリカの子分で、声を大にしてアメリカ批判なんてやらないと思っていた。
批判していたのは共産党だけだろうか、それともベトナム政府の意向で共産党関連の資料を優遇して展示しているのだろうか。
資本主義国・社会主義国にかかわらず、世界各地でこんなにも反戦デモが。
アメリカさん、フルボッコだったんですね。
中村梧郎さんというカメラマンの展示。
AGENT ORANGE = 枯葉剤。
この森は爆撃されたのではない、枯葉剤で死滅した。
再生するのに1世紀はかかるという。
日本でも有名になった結合双生児、ベトちゃんドクちゃん。
1988年にホーチミンにて、日本赤十字社の支援で分離手術に成功。
ドクさんは2007年に亡くなったが、ベトさんは現在33歳。
結婚して双子の父であり、双子のそれぞれに富士山と桜にちなんだ名が付けられている。
震災後に義援金を携えて来日している。
上がベトナム語、下が英語。
ベトナム語って、書道があるのか。
日が沈んでも、バイクの勢いはとどまるところを知らない。
街が明るい。
ミャンマーやカンボジアでは、首都でさえ夜遅くになると街明かりなどなく、真っ暗だった。
先月オープンしたマック2号店。
やはりバイクで来店することが前提になっています。
ロッテリアなんて、日本でもなかなか見かけないけど、ベトナムにはそこらにある。
日本のネオン街にそっくり。
ただ、赤旗が妙に浮いてる。
今までにないほど、風俗店が多い。
男ひとりで歩いていると、ひっきりなしに声をかけられる。
「ハッパ」と声をかけてくる者も多い。
日本人、どんだけ大麻買ってんだよ、っていう驚きと、僕を見て瞬時に日本人と判断される驚きと、二重の驚きがある。
それとも、相手がどこの国の人間であれ、「ハッパ」と言えば通じる、スラングになってるのかな。
バイクに座って、何をするでもなくボーっとしている人。
バイクに座って、携帯を見つめている人。
バイクに座って、おしゃべりしている人。
ベトナム人とバイクは、切っても切れない。
ベトナム人からバイクを取り上げることはできない。
ホーチミンに到着してまず困ったのが、安宿が集中しているエリアの宿が、どれもあまりに狭い縦長の建物ばかりだったことだ。
広いところじゃなきゃイヤだ、とぜいたくを言うわけではない。
僕は自転車と大荷物を抱えており、できれば自転車を部屋に持ち込みたいが、それがダメなら最低でも自転車を安全に保管できる場所が必要で、これは絶対譲れない条件。
たまに、中はスペースがないから外の路上に置け、なんて言ってくる宿もあるが、そんなのは論外。
しばらく探しまわって、1階のガレージらしきスペースに自転車を置ける宿を発見した。
$14と安くはない、いやかなり高い方だと思うが、長居するつもりはないし、ここに決めた。
(ベトナムも、カンボジアほどではないと思うが、USドルの流通度が高い。)
5階建ての5階の部屋で、エレベータはなし。
かなり急な螺旋階段で、自転車を担ぎ上げるのは不可能。
エアコン付き、冷蔵庫付き、Wi-Fiも調子良い。
宿の人は親切で感じ良く、時々部屋にフルーツを持って来てくれる。
ただ、マレーシアやタイと同じく、夜になると繁華街から爆音BGMがドコドコと轟いてくる。
ここの宿は狭い路地を入った、けっこう奥まったところにあるのだが、窓ガラスがきしむほどだ。
Hiep Phuoc, Vietnam
13658km
2014年6月12日木曜日
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ベトナムの家屋は間口の広さで税金が決まるので、縦長の家が多いらしいです。
返信削除ベトナム旅行中は宿探しに苦労しそうですね。
おお、どうりであの狭さには何か不自然さを感じてました。
削除車が少ないのも、渋滞防止のため政府が車に高い課税をかけてるみたいですね。
ホーチミン以降、田舎街の宿は広くて自転車も安全に保管できるので、今のところ問題なしです。