2014年6月23日月曜日

内陸へ







強めの北西風。
思いっきり向かい風。







高床式が復活。




風景も人も、海岸とは趣きが異なる。













内陸に進むにつれて、いっそう路面が悪くなった。
舗装と未舗装の小刻みな繰り返し。
雨が降ると、何もかもドロドロ。

再び、子供たちの「ハロー! ハロー!」が激化。
もちろん僕はこういうちゃんとしたあいさつに対しては笑顔で返すが、子供たちはあいさつするだけで、一定の距離を保って僕に近づくことはなかなかない。
サルのように甲高い声で吠えたてる若者も多いが、これは放置する。

キチガイドライバーどもも今まで以上にけたたましく吠え続けている。
イヌ同然、いやイヌだってここまでムダに吠えないだろう。
こんなケダモノどもにクラクション付きの乗り物を与えてしまった自動車会社の罪ははかり知れない。

バイクに乗ったガキども(10~15歳)が、僕をおちょくるかのように追跡してくることがしばしばある。
エジプトでは日常的に体験したことだが、バイクに乗ったガキどもによる襲撃はかなりのレベルでやっかいで、危険で、気分的にもイライラさせられる。
子供が相手とはいえ、場合によっては僕もそれなりの行為に出る。

ある街で、宿を出て外出しようとしたら、レセプションのオバちゃんが素っ頓狂な声で「ア~! ア~! ア~!」とわめきながら手でデスクをバンバン叩きだした。
僕は動物ではないのでそれには反応せずに無視したら、気が触れたかのようにさらにヒステリックに「オイッ! オイッ! オイッ!」と叫びながら、鍵の束をデスクにガッチャンガッチャン打ちつけだした。
僕は軽くため息をついて、哀れみの表情で振り返ってあげた。
「外出するなら鍵を預けて行け」ということだった。

走行中も滞在中の街でも、どこでも大注目され、一挙手一投足を監視され、不審感いっぱいの目で警戒され、ある時は指をさされて笑われ、それでも友好的に話しかけてくれる人がいればまだ救われるが、そういう人はほとんどおらず、閉鎖的、排他的。

旅行中におけるこういった疎外感は決してめずらしくはないのだが、なんだかもう、ベトナムに長居したくない、早く出国したい気分。

でもその後、屋台で食べたフォーがめちゃくちゃウマかったので、「おいしかった! ありがとう!」とちょっとしつこいぐらいお礼を言ったら、クソ無愛想だった屋台のオバちゃんが、最後に一瞬、笑顔を見せてくれた。
僕はその笑顔を見て、何かを攻略した気分になった。

その後、靴屋に行って靴を買ったのだが、店員のお姉さんがとても親切にしてくれて、最後に照れ笑いをしながら英語で「サンキュー」と言ってくれた。

たったこれだけのことで、僕はもう心安らかになっていた。

こんなもんなのかもしれない。
不快な体験を、無理してポジティブに解釈して、何かを学んだ気になる必要なんてない。
体験したことの90%以上が不快なことだったとしても、残りの数%の厚意を忘れなければそれでいい。
世界のどこへ行ったって、イヤなことはつきまとうし、必ずいいこともある。
悪戦苦闘しながら、イヤなこともいいことも、ありのままに受け止めればいい。
こうやって言葉にしてしまうとごくありきたりの結論のようだが、僕は巡って巡って、この考えに落ち着いた。

と、もの思いにふけっていたら、宿の屋上から見えたベトナムのさえない街の風景と、店から聞こえてくる騒ぎ声が、妙に愛おしく思えてきた。


この風景も、今まで見てきた情景もすべて、一回きりなんだよな。

・・・しっかしクラクションうるっせーなー、とボヤきながら。





先日、Shinichiさんからいただいたコメントで、ベトナムに縦長の家屋多いのは、「間口の広さで税金が決まるから」ということがわかりました。
こういうことですね。

「NHA NGHI」は「宿」。
英語表記のない看板も多いが、タイ文字などと違ってベトナム語は英文字に近いので、すぐおぼえられる。

ラオスとの国境近くの街、プレイカン。


どういうわけか、この街は打って変わって、人がとても良かった。
子供だけでなく学生も僕に手を振ってくれたり、誰も僕を不審の目で警戒することなく、宿でも店でもとても親切にしてもらって、接しやすい人たちだった。
やはり、英語が通じないとか僕がベトナム語を話せないとか、そういう問題ではないのだ。
何だろうな。
見た目は同じベトナム人でも、街や村ごとに民族が違うのだろうか?

こういうところで少し羽を休めたい気分であったが、この時滞在14日目。
次の日には出国しなければならなかったので、 連泊せず出発。


Attapeu, Laos

14672km



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