2010年7月3日土曜日

イメージ トルコ 1

日本国内を旅していた頃、岐阜県の関ヶ原を越えたら関西弁が聞こえてきた。
後で調べてみたら、たしかに関ヶ原は東日本と西日本の文化の境界とされており、ここを境に植生も変わるらしい。

前回の三大陸走破の時、アメリカからメキシコに入国した時の激変ぶりに驚かされた。
そこは、北米の白人社会と中南米のメスティソ社会の明確な境界線で、たかが国境をひとつ越えただけであんなにも別世界になってしまうのは、他にあまりないかもしれない(38度線はもっとすさまじいかもしれないが)。

次の旅で「境界」といえば、トルコだろう。
ヨーロッパとアジアという、まったく異質の文化が交じり合うこの国は、一体どうなっているのか?

13世紀末にトルコ人が築いたオスマン帝国は、1453年、ビザンツ帝国の首都コンスタンティノープルを陥落し、ここをイスタンブールと改称して首都とした。
15~16世紀には、中東からヨーロッパ東部、北アフリカにおよぶ大帝国に成長し、イスラム世界を支配した。

僕の知る限り、3人の作曲家(モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト)が「トルコ行進曲」を作曲している。
これは、17世紀のオスマン帝国による二度のウィーン包囲において、オスマン帝国の軍楽隊の音楽がヨーロッパに影響を与え、18世紀にトルコ趣味が流行したことによるようだ。

1914~1918年の第1次世界大戦でオスマン帝国は敗戦し、イギリスとフランスによって分割された。
1923年、残った領地にトルコ共和国が樹立。イスラム世界では初の政教分離がなされ、西欧化が進められた。

主要民族はトルコ人。他にクルド人、ギリシャ人、アルメニア人、ユダヤ人もいる。
公用語はトルコ語。アラビア語とペルシャ語がベースの言語だが、1928年にアラビア文字が廃止されてアルファベットになった。ブルガリア、ギリシャ、キプロス、ドイツなどにも話者がいる。
99%がイスラム教(大半がスンニ派)。

親日国として有名。

トルコ共和国 (写真提供:トルコ共和国大使館)  

オスマン帝国の領域
オスマン帝国の位置



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