2010年5月23日日曜日

パレスチナをめぐって 5

念願のユダヤ人国家が実現した翌日、これを不服とする周辺アラブ諸国(エジプト、ヨルダン、レバノン、シリア、イラク、後にサウジアラビア、イエメン、モロッコも加わった)が侵攻し、中東戦争が勃発した。
イスラエル側には主にアメリカ、アラブ側には主にソ連がつく代理戦争でもあり、3宗教にとっての聖地であるエルサレムの帰属問題が絡んだ宗教戦争でもある。

・1948年第1次中東戦争
アラブ兵15万人に対してイスラエル兵3万人という圧倒的な差にもかかわらずイスラエルが勝利した。80%の土地をイスラエルが占領し、残り20%はヨルダンが占領した。
・1956年第2次中東戦争
エジプトがスエズ運河の国有化を宣言したことに対して、株主であった英仏がイスラエルを支援してエジプトとの戦争を扇動した。イスラエル軍はエジプトのシナイ半島を占領し、英仏軍はスエズ運河に上陸したが、国連の停戦決議により、英仏は撤退した。これがPKOの起源となった。
・1967年第3次中東戦争
イスラエルが奇襲をしかけ、ヨルダン領のヨルダン川西岸地区、エジプト領のガザ地区およびシナイ半島、シリア領のゴラン高原を占領。イスラエル領は建国当時の4倍にまで拡大された。
1973年第4次中東戦争
エジプトとシリアが失地回復のため逆襲、イスラエルの不敗神話が崩壊した。
この戦争でアラブ諸国はイスラエルを支援する国に対して石油戦略を発動し、世界的なオイルショックを引き起こした。

・1979年イスラエルエジプト平和条約
アメリカの仲介のもとで和解が成立し、シナイ半島が返還された。
この時のエジプト大統領サダトは、後に同じエジプト人のイスラム復興主義者によって殺された。
・1982年第1次レバノン侵攻
イスラエルは、アラファトをリーダーとするPLO(パレスチナ解放機構)の拠点となっていたレバノンに侵攻し、PLOを追放した。
・1987年第1次インティファーダ
パレスチナ人による市民蜂起。最新の兵器を使うイスラエル兵士に対して、パレスチナの少年が石を投げて戦う姿が世界に報道された。1500人が死亡。
・1993年オスロ合意
PLOを母体とするパレスチナ暫定自治政府が成立し、ヨルダン川西岸地区とガザ地区の行政権が与えられた。
この時のイスラエル首相ラビンは、後に同じユダヤ人の和平反対派によって殺された。
・2000年第2次インティファーダ
イスラエル首相シャロンが1000人の武装側近を率いて、エルサレムにあるイスラム教のモスクを強行訪問したことに対して、パレスチナ人が暴動を起こした。5400人以上が死亡。
・2006年第2次レバノン侵攻
レバノンのイスラム武装組織ヒズボラが、イスラエルとの国境を侵犯したことに対して、イスラエルがヒズボラをレバノンに追跡、侵攻した。一般市民や外国人旅行者を巻き込み、300人以上が死亡した。

・2008~2009年ガザ侵攻
PLOと決裂してガザ地区を武力制圧したイスラム原理主義組織ハマスの弱体化を狙って、イスラエルはガザ地区に大規模な空爆と市街戦を繰り広げた。多くの一般市民を含む1300人(うち400人が子供)が死亡した。4000軒の一般家屋が全壊、国連が運営する学校も砲撃され、そこに避難していた付近の住民も死亡した。

現在、ガザ地区では40%の土地を6000人のユダヤ人が占有し、残りの60%に150万人のパレスチナ人がひしめきあっている。難民キャンプの人口密度は世界最高といわれている。
道路も海も封鎖され、パレスチナ人にガザを出入りする自由はない。
水や電気、物資の供給はイスラエルによって厳しく制限されている。

現在の国内外のパレスチナ難民の総数は、550万人以上。

 


パレスチナ領(緑)の変遷
 







2 件のコメント:

  1. この地域はいつでも紛争が絶えないんだよね。
    これからも続くんだろうか・・・
    ここを通るのかい?
    命あっての旅だぞ。

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  2. イスラエルは行ってみたい国のひとつだが、イスラエル入国歴がある者は周辺のアラブ諸国に入国できなくなる(敵とみなされる)ので、今回は断念する。
    それでも、中東を理解するうえで、もう一度歴史をさらってみる必要があると思い、大まかにまとめてみた。
    お互いが妥協しあう以外に解決策はないと思うが、今のところその兆しは全く感じられない。

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