2010年5月1日土曜日

イメージ スーダン 1

面積は日本の6.6倍、アフリカ最大の国土。
アラブ系39%、アフリカ系黒人52%。
公用語はアラビア語と英語。
イギリスとエジプトの共同統治であったが、エジプトはイギリスの保護国であったため、実質的にはイギリスの支配下にあった。
1956年に独立。

・南北内戦
アラブ世界とブラック・アフリカをまたぐスーダンでは、独立以前から「北部アラブ人vs南部黒人」の対立があった。もっともこれはイギリスの分割統治、つまり、支配しやすくするために意図的に対立関係をつくるという、他の多くの植民地でも使われた戦略によるものであった。これが内戦の引き金となる。
南部には豊富な石油資源と地下水脈がある。スーダン政府はアラブ人で構成されているため、これらの恩恵をアラブ人が黒人から搾取するような開発をしたり、強引にイスラム化を推進したりした。これに黒人が反発し、ゲリラ闘争を展開した。
第1次内戦(1955~1972)と第2次内戦(1983~2002)で、200万人が死亡、600万人が難民となった。
2004年に和平協定が調印された。

・ダルフール紛争
内戦が終息に向かってめでたしと思いきや、2003年にダルフール紛争が表面化した。
西部のダルフール地方では、1990年代からジャンジャウィードと呼ばれるアラブの民兵組織が黒人の村を襲撃していたが、同じアラブである政府がこれを援助して次第に激化し、ダルフールは黒人虐殺の舞台となっていった。
2003~2008年で30万人が死亡した。
一方的な虐殺だけでなく、レイプ、略奪、破壊が繰り返され、「史上最悪の人道危機」ともいわれた。
ダルフール紛争は内戦ではなく、民族浄化を目的としたジェノサイドである。
そして、現在も続いている。

これほど深刻な状況でありながら、国際社会の対応は著しく遅れた。
国連やAU(アフリカ連合)は、これがジェノサイドであるかどうかの判断にしばらく迷っていた。
アメリカがいちはやくジェノサイドであると宣言したが、ブッシュ政権は、すでに始まっているジェノサイドの阻止よりも、根拠希薄なイラク戦争を起こした。世界もそっちに注目した。
1994年のルワンダ虐殺という前例がありながら、国際的な対応が遅れたために多くの命が見殺しにされた。
日本の対応、報道が不十分なのはいうまでもない。これほどの惨劇が大々的に報じられない日本は、まったく別次元な問題がある。

  スーダンの位置   



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