2010年4月26日月曜日

グレートリフトバレー(アフリカ大地溝帯)について

南はマラウイ湖から北はイスラエルの死海まで、長さ7000kmにわたってアフリカを縦走するプレート境界。
このラインには、キリマンジャロをはじめとする高山、高原、断崖、そして多くの湖が点在している。
この隆起が、生物の移動や風を遮断するため、その東側と西側とでは生態系も気候も異なっている。
800万年前から形成され始め、現在も1年に数ミリずつ東西に裂けている。
このままいけば数百万年後にはこの東側は完全にアフリカ大陸からちぎれてしまうことになる。



グレートリフトバレーの東側は化石人骨が多く出土することでも有名であり、「人類の起源の地」とされている。

1982年にイブ・コパンが提唱した「イーストサイドストーリー」は、よくできた、説得力のある仮説であった。
グレートリフトバレーの出現によって、湿った西風が遮断されたため、東側は森林が消え、乾燥したサバンナとなった。もともとそこの森林で樹上生活をしていたサルは、陸上での生活に適応すべく、二足歩行を始めた。これがヒトの始まり、という説。

しかし、このイーストサイドストーリーにとって不都合な事実がいくつもでてきた。
まず、大きな隆起が始まったのは400万年前だが、それ以前の600万年前にヒトはすでに二足歩行していた。
二足歩行を始めたであろう当時の化石で、森林に住んでいた動物と一緒に発掘されたものもある。
また、東側の乾燥化は300万年前から始まったが、完全にサバンナになったわけではなく、森林もかなり残存していた。

そして2001年、「ウェストサイド」であるチャドで、600~700万年前に二足歩行していた猿人の化石が発掘された。
これは「トゥーマイ猿人」と名付けられ、ヒトの直属の祖先である可能性が高いという。
今でこそサハラ砂漠が広がるチャドだが、魚やワニの化石も一緒に発掘されたことから、当時は湿潤な地域であったようだ。

これが決定打となり、イーストサイドストーリーは破綻した。コパン自身も、撤回を表明した。
人類発祥は、アフリカ東部ではないのか?

僕の高校時代の教科書には、人類の出現(アウストラロピテクス)は400万年前と書いてあった。
それが今や700万年前までさかのぼってしまっている。これからも変わり続けるだろう。
トゥーマイ猿人の発見は学界の常識をくつがえすものであったため、認めない学者も多いという。
人類学や考古学の世界は、しばしば捏造もあったりする。素人としては、何を信じていいやらわからない。
ヒトは水辺で進化したという「アクア説」も興味深いが、これは完全否定する学者も多く、異端視されている。



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