2010年5月19日水曜日

パレスチナをめぐって 3

661年にシリアで始まったウマイア朝は、イスラム教の勢力を拡大し、中央アジアから北アフリカ、イベリア半島(現在のスペイン)にまで及ぶ、強大なイスラム帝国を築いた。パレスチナもその支配下となった。
750年にイランで始まったアッバース朝では、海陸ともに交易ルートを充実させ、大規模な国際貿易が行われた。この時代の様子は「アラビアン・ナイト」にも描かれている。
1038年に中央アジアで始まったセルジューク朝では、トルコ人がイスラム世界の実権を握り、勢力を拡大した。

活発な商業が行われた地中海は完全にイスラム世界に組み込まれ、ヨーロッパの内陸に押しやられたキリスト教は、聖地エルサレムの奪回を目的とする十字軍を派遣した。
1096年、第1回十字軍はイスラム教徒4万人を殺害し、エルサレム王国を建てた。
1187年、エジプトの支配者サラディンがエルサレムを奪回。
その後も、第7回十字軍まで奪い合いが続いたが、1291年に十字軍の最後の拠点が陥落し、エルサレムは再びイスラムの支配下となった。

7世紀から16世紀にかけて、巨大な都市文明を築いて最高水準に達していたイスラム文明は、10世紀頃まで素朴な農耕地域であったヨーロッパに強烈なインパクトを与えた。
インドの十進法やゼロの観念はイスラム経由でヨーロッパに伝わり、「アラビア数字」と呼ばれて現在も世界的に使われている(アラビア数字はアラビア語の数字ではなくインドの数字だが、ヨーロッパ人にとってはアラブ人がもたらしたものなのでこう呼ばれた)。
アリストテレスをはじめとするギリシャ哲学も、中国起源の火薬や羅針盤も、イスラム経由でヨーロッパに伝わった。
アルコール、アルカリ、ソーダ、シロップ、シュガー、コットン、パジャマ、ソファーなどの英語も、元々はアラビア語である。特にスペイン語やポルトガル語はアラビア語の影響を強く受けている。

1591年以降は、パレスチナはオスマン帝国の支配下となる。



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