バンコクからカンボジアへ向かう。
駆動系パーツを一新したおかげで、ペダルがめちゃくちゃ軽くてスムーズ。
道路状況もきわめて良好、追い風&フラット。
1時間で20km以上のハイペース。
ただただ、クソ暑い。
道路状況が良すぎる時って、風景がイマイチなことが多い。
ひたすら畑が続き、地元民と触れ合えるわけでもなく、淡々とこぎ続ける。
でも、純粋に自転車走行を愛する者としては、これもまた良きかな。
タイバーツ。
カンボジアに入国。
国境でビザ取得。
顔写真1枚。
手数料US$20。
滞在許可30日。
カンボジアについて。
6世紀にクメール人による国家が成立し、9~15世紀にアンコール王朝が栄えた。
1887年にフランスの植民地となり、1953年にカンボジア王国として独立。
1970年、将軍ロン・ノルがクーデターを起こして国王シハヌークを追放し、クメール共和国を樹立。
中国に亡命したシハヌークは、毛沢東に心酔したポル・ポト率いる共産主義勢力クメール・ルージュの助けで帰国し、ロン・ノル政権と内戦になった。
親米国家であったロン・ノル政権は1975年のベトナム戦争終結とともに追放され、1976年にポル・ポトによる民主カンプチアが建国された。
都市から農村への強制移動、強制労働、知識人や富裕層の処刑、貨幣制度の廃止など、ポル・ポトによる極端な原始共産主義社会への回帰政策で、120~170万人が命を落とした。
当時のカンボジアの人口は800万人で、国民の5人に1人はポル・ポトに殺されたことになる。
1978~1991年に内戦が起こったが、1993年にシハヌークが国王に再即位し、カンボジア王国を再建。
クメール人86%、ベトナム人5%、華僑5%。
仏教95%、イスラム教4%。
公用語はクメール語(カンボジア語)。
また右側通行に変わった。
セブンイレブンが消え失せ、スーパーも見当たらず。
近代的ではないが、かといって貧困のドン底という感じでもない。
タイとミャンマーの中間ぐらい、が第一印象。
意外に道路状況も良好。
民家から子供たちが「ハロー! ハロー!」と手を振ってくれる。
タイやマレーシアではなかった現象。
英語は、タイに比べたら通じやすい。
えんえん追い風&フラットで、怖いくらいハイペース。
でも、いくら調子良くても、とにかくこのクソ暑さにやられるので、100km進んだらもうストップ。
9000リエル(230円)。
ご飯たっぷり、おかずちょこっと。
おかずは、見た目に反して辛かった。
まだまだ、唐辛子文化圏から脱出できない。
カンボジアの通貨リエルは非常に貧弱なので、USドルの通用度が高い。
ホテルはもちろん、レストランや売店でも、ドルでの支払いが可能。
お釣りはリエルでくることが多いので、わざわざ両替しなくても手持ちのドルを崩していけば自然とリエルがたまっていく。
ATMからはドルのみ引き出し可能と聞いたが、まだ試していない。
ちなみに、1リエル=0.0256円=US$0.0003。
貧弱でもなんでもいいから、とりあえずデノミしてくれ。
会計の際は0を2つ切り捨てて言われる。
「90」と言われて、「・・・ドルなのかリエルなのか、まさか90ドルでもないし90セントでもないだろうから、9000リエルか、とりあえず払ってしまいたいけどぼったくられるのは嫌だから一応計算しよう、9000リエルを日本円に換算すると、0.0256をかけて・・・」という思考を瞬時にこなすのはまだムリで、ちょっとうろたえる。
時々からんでくる人に、クメール語を教えてもらう。
やはりそう甘くない、ここはかの有名なアンコール・ワットへとつながる幹線道路なのだが、不意に未舗装になってしまった。
内戦後の国の再建が大変であったろうことは想像に難くない。
ポル・ポト政権による非効率的な農業で土地は荒廃し、長期にわたる内戦で無数の地雷が埋まったまま。
知識人や技術者たちは反乱を起こす可能性があるとみなされて処刑されてしまった。
インフラを整備するには外国からの援助に大きく依存せざるをえなかったはず。
いまだ発展の途上であるとは思うが、一度ドン底まで堕ちて、よくここまで築いてこれたなと感心する。
Siem Reap, Cambodia
12978km
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僕も今年初めにカンボジアへ行きました。
返信削除確かに思った以上にきちんと舗装された道路が多かったです。
ベトナムの方が未発達だと思ったくらい。
もうシェムリアップ到着ですか、早いですね。
以前カンボジアについて調べた時は「世界最貧国のひとつ」と書かれてましたが、これで最貧と言ってしまったらアフリカの人たちがキレるでしょうね。
削除ベトナムは交通量がハンパないと聞きました。
自転車乗りとしては今からちょっと憂鬱です。