2012年12月20日木曜日

アクタウ

今まで、少しずつアジアが近づいているのを感じていたが、ここに来て一気にアジアな感じが高まった。
もろモンゴル人、もろ中国人の顔をした人たち。
民族的にはカザフ人と呼ばれる。
もろロシア人の顔をした人も多い。
そしてその混血と思われる人も。

アジアとロシアは地理的には隣接しているが、身体的特徴はまるで違う。
そのふたつが共存している不思議な世界。

国語がカザフ語、公用語がロシア語。
カザフ語はトルコ語系だがキリル文字を使用している。
中央アジアでは、多くの人がロシア語を話せる。
英語は全然通じない。
旅行者としては、国ごとに言葉をおぼえるよりは、まずは共通語であるロシア語を勉強するのが無難。
まあ、グルジアあたりからそうだったのだが、語学の勉強というのは追い込まれないとなかなかやる気が起きないものだ。

イスラム教47%、キリスト教46%。

カザフスタンも、近年の資源高のおかげで経済は好調。
世界第9位の広大な面積に、鉱物や石油が豊富に埋まっている。

アゼルバイジャンに負けず劣らず、女性たちは高そうな服を着ていておしゃれだ。

街の近代化は進んでいるようには見えない。
旧共産圏的に荒んだ街並み。
でも、最近できたっぽいこぎれいな店も多い。

全体として、アンバランスな印象。





スーパーでは、和食を含むアジアの食材や調味料も見られるようになった。
カップラーメンもある。
洋風(ロシア風?)の味だが、欧米のカップラーメンに比べたら格段においしい。



中央アジアのドライブマナーもひどい、という噂を聞いていたが、そうでもない。
横断歩道や信号ではけっこう車が止まってくれるし、クラクションもそんなに鳴らない。



バクーはすごしやすい気候だったが、ここに来ていきなり冷え込んだ。日中でも0℃。
短パンで歩いてると、「寒くないのか?」と声をかけられる。



1泊1500テンゲ(841円)のドミトリーがある安宿に滞在した。
ここでは、高級ホテル以外は基本的にドミトリーのようだ。
単にドミトリーがあるだけで、いわゆるホステルではない。
旅行者向けのサービス(キッチンやWi-Fiなど)はなく、従業員はごく基本的な英語も通じない。

インフラの整備も進んでいない。
水道水は変な味がする。
トイレに紙を流せない。

唯一日本よりすぐれているのは、セントラルヒーティングという暖房システム。
ボイラーで暖めたお湯を建物内に循環させる、いわば心臓と血管に似た仕組みで、外は氷点下でも中は驚くほど暖かい。
いやむしろ暑い。
風呂上がりはしばらく汗がダラダラ流れるほどだし、寝る時はTシャツ短パン毛布1枚でもちょっと暑いぐらいだ。
洗濯物は室内に干しておけばバッチリ乾く。
おそらくヨーロッパなども同様だと思うが、なぜ日本もこれを採用しないのか。
この方式なら、ストーブやらガスヒーターやらコタツやらをゴチャゴチャ置く必要もないし、安全性も高いと思う。

僕の部屋は3ベッドで、ふたりのカザフ人がいたのだが、そのうち若い方の男が頭のおかしなやつだった。

そいつはコップを持って僕になにやら言ってきたが、何を言われているのかまったくわからず戸惑っていたら、ちょっとイラッとした感じで「スプライト!」と叫んだ。
どうやら僕のスプライトが欲しかったらしい。
1杯ぐらいくれてやってもいいさと注いでやったが、そいつは礼も何も言わなかった。

その後もそいつの非常識で無礼な言動が続いた。

そいつは自分で窓を開けておいて、しばらくして、

「おい、寒いから窓を閉めてくれ!」

「・・・自分で閉めろよ、バカ。」(英語)

夜遅い時間になっても、携帯で大声で話し続けたり、無意味に部屋を出たり入ったり、電気を点けたり消したりしていた。

僕はiPodで耳をふさいで音楽を聴いた。
すると、

「おい、そのイヤホンを貸してくれ!」

「???」

「オレの携帯にイヤホンをさす穴があるから、試してみたいんだ。」

「あのな、おまえがうるせえから耳栓してんだよ。」(英語)

「なあ、わかるか? そのイヤホンをこの携帯に・・・」

「Nooooooo!!!!!!!!!]

そいつは深夜に外出したので、しばらく静かに眠れた。
しかし3時ぐらいに戻ってきて、電気を点けて僕を起こして大声で話しかけてきた。

いいかげんにしろよ、この野郎・・・。

朝。
そいつともうひとりの話し声で起きた。

朝飯を食っているようだったが、よく見たら、僕のスプライトを飲んでいるではないか!

もー怒ったぞ!!!

僕はスプライトを取り上げて、日本語で怒鳴った。
そいつは僕よりひと回りガタイの大きなデカブツだったが、まるで親に怒られる子のように萎縮して謝ってきた。

「ダメだ! 許さねえ! おまえみたいなやつと一緒にいられるか!」(日本語)

僕はレセプションに行って部屋を替えるように頼んだが、これがまた英語が通じない。
言いたいことを最小限に短縮して「Change! Room!」と言ってもまったくダメ。
僕はロシア語旅行会話集を出して、「部屋を替えてください」と、それから「どろぼう」というフレーズにマーカーをして見せて、ようやく通じた。

移動した部屋は2ベッドで、物静かなおじさんと同室だった。

夜、おじさんは僕の分の夕食も買ってきてくれた。

ヒンカリか?と思ったらちょっと違う、水餃子。
ロシア料理でペリメニというらしい。
実にうまい。

同じカザフ人でも全然違うな、と思ったらこの人はウズベキスタン人だった。

・・・いやもしかしたら、あいつも僕の物を奪うつもりだったわけじゃなくて、食べ物は皆で共有すべきもの、という認識がこの社会にあるのかもしれない。

スーダンを思い出した。
レストランで僕が飲んでいたコップの水を、他のテーブルの客が「ちょっと水くれ」と言って当たり前のように飲んでいた。
スーダンでは水は皆で共有すべきものであり、それはごく自然な行為であった。

このおじさんも、当たり前のように僕に食べ物を分けてくれる。
またしても僕は、「こちら側の常識」で怒ってしまったかもしれない。

とっさに僕はおじさんに「スプライトいりますか?」と聞いたら「いらん」とあっさり断られた。

翌朝。
従業員が部屋に入ってきて、すでに払っておいた宿泊費を返された。
彼女のジェスチャーから察するに、今日は害虫駆除か何かの作業をするので宿泊できない、荷物はここに置いたままにして明日戻ってくるのはかまわないが今日は出て行け、ということらしい。
他の客も全員追い出されてしまったようだ。
彼女はまったくの無表情で、謝罪する様子など微塵も見られなかった。

なんだかひどいところだな。

僕は他の安宿を見つけられなかったので、やむをえず高いホテルに移動した。

なんだか落ち着かない街で長居する気になれなかったので、やるべきことをすませて次の日にはそそくさと出発した。


Nukus, Uzbekistan

24575km


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