2011年4月23日土曜日

イメージ ベトナム

古代より中国の領域であったが、1887年にフランス領インドシナ連邦が成立すると、フランスの植民地となった。

第2次大戦中は、フランスがドイツに降伏した隙に日本がインドシナに進駐し、フランスと日本の二重支配となった。
日本は大東亜共栄圏を主張し、傀儡国家のベトナム帝国を成立させたが、1945年、日本の敗北が決定して大戦が終結すると、ホー・チ・ミンを主席とするベトナム民主共和国として独立した。

しかし、独立後まもなくフランスが進駐して傀儡政権を樹立し、再びフランスの植民地となった。
これに対してベトナムは、フランスを相手に第1次インドシナ戦争を起こし、1954年に勝利した。

その後、フランスの後を継いだアメリカは、ソ連・中国の社会主義勢力の南下拡大を阻止するため、ベトナムを南北に分断し、傀儡国家の南ベトナムを建国した。
1960年、ベトナム人による「南ベトナム解放民族戦線」(通称ベトコン)が結成され、アメリカと南ベトナム政府に宣戦布告、第2次インドシナ戦争が起こった。

1965年、アメリカが北ベトナムを爆撃し、ベトナム戦争が勃発した。

ベトナム戦争は、ベトナムがアメリカを打倒して統一国家の再建をめざす独立戦争と、アメリカを盟主とする資本主義陣営vsソ連を盟主とする社会主義陣営の冷戦を背景とする代理戦争、というふたつの観点がある。
戦争は長期化、泥沼化し、300万人のベトナム人が死亡、6万人のアメリカ兵が死亡した。
アメリカはこの戦争で3520億ドルを費やし、785万トンの爆弾を落とし、7500万リットルの枯葉剤(ダイオキシン)をばらまき、ベトナムの国土を破壊し尽くした。
アメリカの世論は反戦に傾き、政府もこの戦争が第3次世界大戦を誘発するリスクを考え、次第にアメリカの撤退が濃厚となってきた。

1975年、南ベトナムの首都サイゴン(後にホーチミンに改名)が陥落したことでアメリカの敗戦が決定し、1976年、ベトナム社会主義共和国が成立して南北が統一された。

隣国のカンボジアではポル・ポト政権による大量虐殺がおこなわれていたが、1978年、ベトナムはカンボジアに侵攻して第3次インドシナ戦争を起こし、ポル・ポトを倒した。
1979年、ポル・ポトを支援していた中国がベトナムに報復する中越戦争が起こったが、戦闘慣れしていたベトナム軍に歯が立たず、中国は1ヶ月で撤退した。
しかし、世界各国は援助を停止し、ベトナムは孤立した。

1992年には中国と和解、1993年にはフランスと和解、1995年にはアメリカと和解した。

ベト人(キン族)90%、中国人3%、53の少数民族。
公用語はベトナム語。歴史的には漢字文化圏で、現代でも漢字が使われることはあるが、公的には1954年に漢字は廃止されており、代わりにクオック・グーと呼ばれるローマ字が公用文字となっている。フランス語を話す人も多い。
仏教80%、キリスト教9%。

アメリカが散布した枯葉剤は現在までも影響を及ぼし、ベトナムでは奇形、障害を持った子どもが多く生まれる。
結合双生児のベトちゃんドクちゃんも、枯葉剤の被害者である。
1988年の分離手術では日本赤十字社が支援し、日本の医師と医療機器が提供され、無事成功した。
その後兄のベトさんは障害が残って寝たきりの状態となり、2007年に亡くなった。
弟のドクさんは現在30歳で、すでに結婚して双子の父。
そのドクさんが、今月14日に義援金を携えて来日した。
2008年に気仙沼で講演したこともあるという。

ドクさん、義援金携え来日 ベトナムから「恩返しを」

ベトナム地図

ベトナムの位置



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