2011年1月12日水曜日

イメージ ネパール

狭い国土ながら、南部の低地から一気に世界最高峰のエベレスト(8848m)まで登りつめる、ヒマラヤ登山の玄関口となっている国。
ヒマラヤ山脈には、8000m級の独立峰が14、付属峰も含めると7000m級が100以上ある。
インダス川、ガンジス川、長江などの大河の水源となっており、このヒマラヤ水系には7億5千万人が生活している。
「エベレスト」はイギリスによる呼称で、ネパールでは「サガルマータ」と呼ばれる。

BC5世紀頃、現在のネパール(文化圏としてはインド)で、シャカ族の王子として生まれたゴータマ・シッダールタは、菩提樹の下で瞑想中に悟りをひらいて「ブッダ」(目覚めた人)となり、仏教を創始してガンジス川流域で布教した。
ブッダは、無常を自覚することで人生の苦から解放される道を見出した。
彼の教えは、バラモン教の苦行やカースト制度を否定し、すべての人に平等に門を開いたため急速に普及し、やがてアジア東部全域に広まった。
ただし、ネパールとインドではその後生まれたヒンドゥー教に吸収されてしまい、仏教徒はわずかしかいない。

ネパールは近代まで諸王朝に分かれていたが、1769年、ゴルカ王が全土を統一した。
18~19世紀、イギリスはインドを征服するために多大な力を注いでいたが、ネパールには手が回らず、現在までネパールは植民支配されずに独立国家を維持することができた。
運良く独立が維持できただけのネパールでは、民主化も進まず、王家では内紛が絶えず、暗殺、虐殺、クーデターが繰り返された。
2001年、王族の晩餐会にてディベンドラ皇太子が銃を乱射し、多数の王族が死亡、自身も直後に自殺した。
その後即位したギャネンドラ国王は、その時の晩餐会を欠席しており、彼の家族も全員無事だったことから、彼の陰謀ではないかという疑惑がある。
その後、ギャネンドラは内閣停止、憲法停止、絶対君主制をとった。
この独裁に対して、主要政党や、以前から武装闘争をしていたマオイスト(毛沢東主義者)、インド系少数民族マデシなどの抗議活動が高まった。
2008年、240年続いた王政がついに廃止され、ギャネンドラは退位、共和制国家へと移行した。
国名も「ネパール王国」から「ネパール連邦民主共和国」となった。
2010年12月、ギャネンドラの長男が泥酔し、副首相の娘婿と口論になって発砲、逮捕される、という騒動があった。

国民の半数ほどがパルバデ・ヒンドゥーという民族だが、これは総称で、カーストによって細分化されている。
この他30以上の民族。ヒマラヤガイドとして有名な少数民族シェルパもいる。
公用語はネパール語。ヒンディー語やウルドゥー語と似ている。文字はこんな感じ→गणतन्त्र नेपाल 
この他民族ごとの言語が50以上。
ヒンドゥー教80%、仏教10%、イスラム教4%、キラント教3%。

  ネパールの位置



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