2012年6月18日月曜日

ウィーンの天才たち

ウィトゲンシュタイン・ハウス。


ウィトゲンシュタインの生家または住家なのかと思って行ってみたのだが、ウィトゲンシュタインが設計した家だそうだ。
現在はブルガリア大使館として使われている。



元々ただの記号であるはずの言葉が、意味を持つとはどういうことなのか?
意味を理解する時、頭の中で何が起こっているのか?

記号が意味を持つ瞬間・・・!

これは、たとえば無生物世界に生物が誕生する瞬間と同様、とんでもない飛躍であり、その瞬間をイメージしようとすると、どうしようもないほどの気持ち悪さに襲われる。

大学生の時、卒業論文を「意味の意味」というテーマで書いたのも、この気持ち悪さを少しでも解消させるためだった。
古代からの歴代の哲学者で、意味について考察した人は、そう多くはない。
誰よりもこの問題を考え抜いたウィトゲンシュタインに、真っ向から対峙する必要があった。
時間と空間を超えて、彼とこの気持ち悪さを共有し、議論を重ねた。
他人という気がしない。

今、そのウィトゲンシュタインが生きたウィーンにいる。
彼も、この街を歩いていた。

意味はどこにあるのだろう?

・・・気持ち悪い。

フロイト博物館。






ウィトゲンシュタインもフロイトも、ユダヤ人。
あと、オーストリアのユダヤ人にマーラーがいるが、僕はマーラーはまったく理解できない。

ハイリゲンシュタットのベートーヴェン・ハウス。




ベートーヴェンはドイツのボンで生まれ育ったが、21歳の時にハイドンに認められて弟子となり、ウィーンに移住した。
以後、56歳で生涯を終えるまでの半生を、ウィーンですごした。







デスマスク。




20代後半から、聴覚に障害があらわれるようになった。
症状は悪化する一方で、音楽家として聴覚を失うということに絶望し、自殺も考え、31歳の時、弟宛てに遺書を書いた。

これが有名なハイリゲンシュタットの遺書。


これは発送されることはなく、ベートーヴェンの死後に発見された。
どのようにしてこの苦難を乗り越えたのか、ベートーヴェンはこの後、新たな境地から創作を再開し、「傑作の森」と呼ばれるほど次々と代表作を書きあげていった。



ベートーヴェンの後期の作品には、第5交響曲のように長調と短調を何度も行き来するものや、第9交響曲のように、フルトヴェングラーの言う「デモーニッシュ」な曲調から始まって終楽章で「歓喜の歌」にいたるような、彼の人生を反映するかのような展開がみられる。
後期のピアノソナタ、特に最後の32番なんかも、意味ありげな展開をする。

ここハイリゲンシュタットは、ベートーヴェンの人生にとって重大な転換期をむかえた場所であった。











第6交響曲「田園」には、小鳥のさえずりを模倣するような音があるが、これを作曲した時、ベートーヴェンはすでに耳が聞こえていなかった。



ちなみに僕は交響曲はそれほど好きではなく、ピアノソナタか、リスト編のピアノ版を聴くことが多い。



ウィーンの中心近く、ベートーヴェンのお気に入りの住まいだったという、パスクヴァラティ・ハウス。










5ペダル。


・・・読めない。


部屋からウィーン大学が見える。


ウィーン大学。

数多くの偉人を輩出した。
あのゲーデルも、ここで教鞭をとった。



モーツァルト。

35歳、ウィーンにて没。



ハイドン。


アドルフ・ヒトラーも、オーストリア出身。
ヒトラーとウィトゲンシュタインは同じ高校に通っていて、この2人が一緒におさまっている集合写真があるという。
すごい国だな。

シュワルツェネッガーも、オーストリア出身。
それと関係があるのかどうかわからないが、男も女もマッチョ志向の人が多い。
露出度も高い。


Wien, Austriaにて

Dst. 17314km



2 件のコメント:

  1. ハイリゲンシュタットのベートーヴェン・ハウスでの亮くんの写真が大好きでした!最近の写真はいい写真が多いな~!!

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    1. Danke!
      いい写真が撮れるようにがんばります。

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