2012年2月23日木曜日

エルサレム旧市街(世界遺産)




  




聖地エルサレムの第一印象は、あまり良くなかった。

標高800mほどだが、死海から上がってきたので、半日で1200m登ったことになる。
その疲れている状態で、学校の前を通ったら、運悪く下校の時間帯で、また悪ガキどもにからまれ、石を投げられる。
ユダヤ教徒も、キリスト教徒も、こんなことはしない。
こんなことをするのは、イスラムだけだ。
という偏見をつくってはいけない、と自分を戒める。

急坂が多い上、道がわかりにくい。
地図を見ても、人に聞いても、よくわからないので、勘で中心地っぽいところを目指す。
ガイドブックには、安宿は旧市街にあると書かれているのだが、近づいてみても高い壁に阻まれて、街がなかなか見えてこない。



しばらくさまよってわかったのだが、どうやら旧市街というのは、この壁の中にまるまるおさまっているようだ。

ここが街の入り口?






人に聞いてみると、自転車の通行は可能らしい。
大注目を浴びながら、突入。



ちょっと後悔。
なんか今回の旅は、こういうの多いな。



















この狭い路地の人混みの中で、若者が殴り合いのケンカを始めて、渋滞になる。
ユダヤ人も、クリスチャンも、こんなことはしない。
こんなことをするのは、アラブ人だけだ。
という偏見をつくってはいけない、と自分を戒める。

ようやくホステルに到着したが、ガイドブックには35シェケル(746円)と書かれているのに、60シェケル(1280円)と言われた。
しかも、ホステルなのにキッチンがない。
洗濯も禁止で、近くのランドリーに行けと言われた。
ここは、完全にハズレだ。
でも、もうあの雑踏の中で宿探しをする気にはなれなかったので、ここに泊まることにした。

商店街で、食事をしたり買い物をしたりしたが、やはりぼったくりが多い。
いくら物価が高くてもその値段はないだろうという額を
涼しい顔言ってくる。
僕が立ち去ろうとすると、とたんに値引きし始める。
最初の言い値の半額まで下がったが、それでも高い気がする。
でももう面倒なので、その辺で折り合いをつける。

本当に面倒くさいやつらだ。
これはもう、偏見ではない。
アラブ人は面倒くさい。
でも、親切にしてくれた人たちのことも、忘れちゃいけない。

翌日は、ひたすら旧市街を歩く。



嘆きの壁で祈るユダヤ人。


紀元前からここには神殿があったが、70年にローマ帝国によって破壊され、西壁だけが残された。
ローマに支配され、ユダヤ人はエルサレムから追放されたが、1年に1度だけ立ち入りを許可され、この西壁に向かって祖国の復興を祈るようになった。
イスラエルがこの地を奪還し、現在のようにユダヤ人が自由に出入りできるようになったのは、1967年の中東戦争以降。


人の高さの部分が黒ずんでいる。






すぐ隣にモスクがある。






岩のドーム



692年にウマイヤ朝が建てた最古のイスラム建築だが、外装は16世紀に改装された。
ドームはサフラという聖なる岩を覆っていることから、「岩のドーム」と呼ばれている。




















すぐ隣に教会がある。














キリスト教区に、近くのモスクからアザーンが轟く。
























ユダヤ教区。






御存知の方も多いと思うが、イスラエルは男女ともに国民皆兵なので、女性アーミーもよく見る。
アラブ人は兵役免除なので、アーミーはほとんどユダヤ人。
戦になったら、アラブ人としては戦になったら石でも投げるしかないのだろう。
いやむしろ、アラブ人は石を投げるような粗暴な性格だから、ユダヤ人としては兵器で応戦せざるをえないのか。
















  



















  



  
















これはいい。


高いけどうまかった(43シェケル)。


以上、すべて壁の中。

ヘブライ人がエルサレムを都とするイスラエル王国を築いたのがBC11世紀。
その後、ヘブライ人はユダヤ教を確立してユダヤ人と呼ばれるようになり、エルサレムがユダヤ教の聖地となった。
紀元後には、イエスの処刑と復活の地としてキリスト教の聖地となった。
7世紀には、アラブの支配下となり、メッカ、メジナに次ぐイスラム教の第3の聖地となった。
16世紀以降は、オスマン帝国の支配下となり、旧市街を壁で囲って三宗教を保護し、宗教的共存が続いた。
旧市街の東側は、戦後の1948年以降はヨルダンに属していたが、1967年にイスラエルが占領し、統一都市として管轄権を主張したが、ヨルダン、国連のいずれもが、これを承認していない。

かれらの生活や思想は宗教と密接に結びついているので、パレスチナ問題を宗教と切り離して考えることはできない。
だから、はたから見ると、あたかも宗教戦争をしているかのようだが、しかし、三宗教ともルーツを同じくする兄弟のような関係だから、宗教自体が対立することはない。
実際には、これは民族と民族の領土争いであり、エゴのぶつかりありである。
むしろ、互いの宗教を尊重する精神があるからこそ、現在ギリギリの均衡が保たれているといえるかもしれない。
ギリギリといったのは、僕が見たエルサレムは、表面的には平和だが、ちょっとしたきっかけですぐに戦争に発展しそうな、緊迫した空気が十分に漂っていたからだ。
歴史の勉強をしているだけではわからない、三者のクセのある性格も、じかに感じることができた。
三者といっても、特にクセがあるのはやはりアラブ人だが。
平和的解決の日はまだまだ遠いと思うが、実際にこの地で生きる人を見て、問題の複雑さを実感することができた。


Jerusalem, Israelにて



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