2013年12月29日日曜日

カラパタール 5

目的を達成して、見るべきものも見て満足して、さああとは下山するだけだ、という日の朝、異変は起きた。

手足がガクガクで、コントロールがきかない。
まともに立てない、歩けない。
部屋を出て、10mほど離れた共用トイレに行くにも、酔っ払いのようによろめきながら、必死でたどり着く。

部屋に戻ると、ベッドの上に誰かがいる。
それが布団の塊だと認識するのに、4秒ほどかかった。

なんだ、ただの幻覚か。

布団の模様や、壁の木目模様がパラパラと剥がれ落ちて、人の姿となって空中でうごめいている。

にぎやかだな。

体に力が入らず、倒れ込むようにして眠りに落ちる。

ひどい夢を見る。
もともと夢というのは不条理なものだが、高地で見る夢は特に、炸裂している。
起きている時は意識的に深呼吸することで平静を保てるが、睡眠中はそれができないので、息を切らせながら、心臓を高鳴らせながら、シュールかつアヴァンギャルドきわまりない、奇ッ怪な夢の途中で目が覚める。
一度目が覚めると、その後はなかなか眠れない。

ドアを激しくノックする音。
「Hello! How are you sir!?」
「・・・Very bad・・・」
「Ha!?」
「・・・Very bad,,, I can't move...」
「Do you want lunch?」
「No.」
食欲はまったくないが、喉が乾くので、お湯だけもらう。

1時間に1回のペースで、尿意をもよおしてトイレに行く。
大量に水を飲んだわけではない。
内蔵の働きが、おかしくなっている。

いわゆる高山病の症状とは違うが、それでも単純明快。
脳も筋肉も内蔵も、全身で、酸素が不足しているのだ。

ヤバイ。
これじゃ帰れない。

そういえば来る途中、「Horse Riding Service」という看板を何度か見た。
馬に乗せてもらって、下山できるかもしれない。
山小屋の従業員の若いにいちゃんに聞いてみたら、馬の手配は可能だが、ここからほんの数km先のフェリチェという、歩いて1日で行ける村までUS$250もするそうだ。
ナムチェかルクラまで行ってくれるならまだしも、そんなわずかな距離であまりに高すぎるし、そもそも僕はそんなに現金を持ってきていない。

体調はまったく良くならないまま、ゴラクシェプで3泊した。
いや、4泊したかな。
わからない。

山小屋のにいちゃんから、「明日の朝7時にチェックアウトしろ」と通告された。

翌朝。
ゴラクシェプには3軒の山小屋があり、隣に引っ越そうとした。
しかし隣の山小屋の、これまた若造が、無愛想に「Room is full!」と突き放す。
うそつけ、この野郎。
満室のわけないだろ。

もう1軒の山小屋へ。
山小屋へ近づくと、おじさんが出てきて、僕の手をとって中へ入れてくれた。
「どうしたんだ!? 危険な状態だな。ヘリを呼ぶか?」

車の通行が不可能なこの山奥では、脱出方法は3つ。
歩くか、馬か、ヘリか。
ヘリで帰る外国人トレッカーはけっこう多く、しょっちゅうヘリが行き来している。
あらかじめ保険に入っていればUS$300ほどでヘリでカトマンズまで帰れる、という噂は聞いていた。
僕は保険に入ってないんだけど、いくらぐらいかかるのかと聞いてみたら、US$4500だという。
へえ、US$4500か、ちょっと高いけど乗っちゃおうかな。

・・・

へ!?
ちょ、ちょ、ちょっと待って。
US$4500(47万円)!?
ムリムリムリ。

「ムリなら、日本大使館へ連絡して助けを求めた方がいい。」
「いや、そういうのも勘弁してほしい。」
「なら、自力で帰るしかないな。」
「ここに泊めてくれませんか?」
「ダメだ。ここに長くいてはいけない。少しずつでもいいから、とにかく低いところへ行くしかないよ。」

おじさんは栄養ドリンクをつくってくれて、半ば強引に僕に飲ませた。
たまたまそこに居合わせたオーストラリア人カップルが医療関係の人で、僕の病状を聞き、高山病の薬を飲ませてくれた。
それから、中国人トレッカーが、惜しげもなく僕にスニッカーズやハチミツなどをどっさりくれた。
物価の高いこの山奥では、スニッカーズ1本で何百円もするはずだ。
この中国人が、雇っていたネパール人ポーターに頼んで、途中まで僕の荷物を持って付き添わせるという。
なんてやさしい人たちだ。

しかし、どうだろう。
荷物を持ってもらって手ぶらだとしても、ここから一番近い村ロブチェまで、歩けるか?
自分の体に聞いてみると、明らかに答えは「ノー」。

それでも、この状況だと、行くしかなさそうだ。
強引に栄養ドリンクを飲ませられながら1時間ほど休憩して、出発。

今の自分の戦力は、80~90歳の老人レベル。
歩くのが遅いとかいうレベルではなく、かろうじて倒れないでいられる、ぐらいヨロヨロ。

荷物を持ってくれる若いポーターは、僕のあまりの遅さに、じれったそうにしている。
しばらくして、「今、おれの兄が死んだ、って友達から電話があった。急いで行かなきゃならない。」と言い出した。
「いいよ、行きなよ。」
「じゃあ」
いいんだよ、別にそんなウソつかなくても。
こっちは君にお金を払ってるわけじゃないし。
若者のウソなんて簡単に見抜けるし、インド人とネパール人がどれだけウソつきなのかも、よく知っている。

またしばらくして、通りすがりのドイツ人トレッカーが僕に付き添ってくれた。
彼、パウルは60すぎの初老だが、なんとカラパタールに来るのは6回目だという。
パウルは脳ガンを抱えていて、何度か手術をしている。
「ドイツにいる時は脳ガンで、ヒマラヤに来ると空気が薄くて、いつだって頭痛がする。」
と冗談みたいなことを言う。
彼も平均的なトレッカーに比べたら格段にスローペースで、数十m進むごとに、「ここにいい岩がある。腰かけて休もう。」と言ってくれる。
決して急かそうとせず、僕のペースに合わせてゆっくり進んでくれる。
お茶を飲ませてくれたり、飴をくれたり、常になにかしら世話を焼こうとする。
底抜けにやさしいおじさんだ。

ロブチェまでわずかな距離のはずだが、もうだいぶ日が傾いている。
僕の体力は、すでに限界を超えていた。
体全体がしびれて、感覚を失っている。
自分が帽子をかぶっているのか、サングラスをかけているのか、手袋をしているのか、感覚がないのでわからない。

ついに動けなくなり、座り込んでしまった。
パウルには先に行ってもらい、ロブチェでポーターを頼んでここまでよこして助けてもらおう、ということになった。
「動いてはいけないよ。ここで待っているんだよ。」

太陽が山に隠れると、一気に冷え込んだ。
確実にポーターが助けに来てくれるという保証はないし、来てくれるとしてもどれだけ時間がかかるのか、わからない。
暗闇の中、突き刺すような冷たい空気、ガタガタ震えながら、ひとりで助けを待つ。

危機的状況なら今まで数知れず経験してきたけど、今回は一味違ったヤバさを感じる。
今日が命日、なんてなりませんように。
いやいや、こんなところで死んでたまるか。

1時間後、遠くから「ジャパニ! ジャパニ!」と呼ぶ声が聞こえてきた。
来てくれた!
僕は喉も涸れていて大きな声が出せなかったので、ライトを振ってそれに応えた。

ポーターは、素手に素足にサンダル。
このクソ寒いのに、なんつう軽装。
ライトも何も持っていないようだ。

彼に導かれながら、力を振り絞ってゆっくりゆっくり進み、19時頃、ようやくロブチェの山小屋に到着。
パウルが笑顔で迎えてくれた。
ありがとう、本当に助かった。

ロブチェの標高は4910m。
ゴラクシェプからたった130m高度を下げたにすぎない。
進んだ距離もごくわずかだが、最も長く困難な1日であった。

僕はまた食欲もなく、何もできず、力尽きてベッドに倒れ込み、2日間寝込んだ。


Kathmandu, Nepal



4 件のコメント:

  1. 想像以上に危険な「峠越え」だったんですね。
    後から来る高山病もあるんですね、覚えておきます。
    それと世界中に親切な人がたくさんいるってことも。
    今回も保険未加入なんですか。。。
    いつもaiuに入ってますが迅速親切安心です。ご参考までに。

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    1. 高山病は何度か経験あるので対処法はわきまえているつもりでしたが、カラパタール登頂後に緊張が解けて今までの負担がドカッと来てしまったのかもしれません。
      高山病は毎回パターンが異なり、一筋縄ではいかない面があります。
      人に迷惑をかけてしまったこと、保険のこと、認識不足を反省します。

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  2. やはり来たか、高山病・・・
    順調だなと思っていたら、緊張の糸が緩んだとたんにくるんだな。

    標高の高さを甘く見てはいけないな。

    周辺にいた人に感謝だね。
    命が無事で何より。

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    1. ふつうの高山病の症状だと、下山すればケロッと治るもんなんだけど、今回は筋肉と内蔵が衰弱してしまって、その回復に苦心した。
      今も、手足の指先のしびれがとれないし、筋肉もまだダルく、自転車走行再開するのもまだしばらく休養が必要だ。

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