外国人は、タメル地区と呼ばれるツーリスティックなエリアに集まる。
無数のホテル、レストラン、ミニスーパー、アウトドアショップ、旅行会社など、必要な物はここでそろう。
客引きはけっこう多い。
タクシーやらリクシャーやらトレッキングの勧誘やら。
「ハッパ、ハッパ。」
と囁いてくる輩も。
こちらが日本人だと認識した上で日本語で話しかけてくるので、買う日本人は多いのかもしれない。
インドでは、大麻をやる日本人(主に若者)がたくさんいるようだった。
激安アウトドアショップも無数にある。
店員が監視するかのようにつきまとってくるので、なかなかゆっくり見れない。
ムダに話しかけられるのも嫌だし、無言で背後に立たれるのも不愉快。
本屋も豊富で、lonely planetや地図もそろっているし、日本語コーナー(古本)を設けている店も多い。
どこへ行っても、狭い路地にひっきりなしに車とバイクがやってきてプープー鳴らすので、のんびり歩ける街ではない。
のんびりすごしたいなら、やはりカトマンズよりポカラだ。
これだけ狭い路地なら来ないだろうと思いきや、狭い路地だからこそバイクの抜け道になっているようで、バイクが絶え間なくやって来る。
日本人も含めて、高齢の外国人も多い。
おそらくトレッキング目的で来ているので体力に自信あり、という方々なのだとは思うが、それでもこういう車バイク優先の道を歩いて大丈夫なのだろうか、と心配してしまう。
とはいえ、ネパール人の運転は、 今まで見てきた超ラフドライビングな国々と比べたら、まだ優しい方だ。
急接近してきて脅威を感じることもあるが、ギリギリ避けてくれる。
これじゃ、電気事情がまともでないのもよくわかる。
一国の首都だが、交差点には信号などなく、あったとしても機能していない。
停電するから仕方ないか。
警官が交通整理しているが、おそらく地元民にしか理解できない。
よそ者は、どのタイミングで渡ればよいものか、見ていてもよくわからない。
旧王宮。
2001年、この王宮の晩餐会で、ディペンドラ皇太子が銃を乱射して、国王夫妻を含む王族9人を殺害し、皇太子自身もその場で自殺するという事件が起きた。
その後即位したギャネンドラ国王は、その時の晩餐会を欠席しており、彼の家族も全員無事だったことから、彼の陰謀ではないかという疑惑がある。
さらに、自殺したディペンドラ皇太子は右利きだったのに弾は左のこめかみから入っていたとか。
真相はいまだ明らかにされていない。
ギャネンドラは内閣停止、憲法停止、絶対君主制をとったが、この独裁に対して、主要政党や、以前から武装闘争をしていたマオイスト(毛沢東主義者)、インド系少数民族マデシなどの抗議活動が高まった。
そして2008年、240年続いた王政がついに廃止され、ギャネンドラは退位、共和制国家へと移行した。
以来、ネパールはろくに法律もない状態で、僕がアンナプルナ・サーキットを走っている時に選挙がおこなわれたはずだが、果たしてどういう状況になったのか?
現在、王宮は博物館となっている。
Kathmandu, Nepal
2014年1月7日火曜日
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