チャイニーズバスの次はコリアンバス。
移動中は時々検問があって、その度にバスが止まる。
警察がバスの中に乗り込んできて、僕(外国人は僕ひとりだけ)にパスポートの提示を求めることもあった。
一度だけ、「旅行許可書(1月3日の記事の4.を参照)を見せろ」と言われたが、知らぬ存ぜぬで押し通した。
ヌビア砂漠。
休憩タイム。
男性は基本、座りション。
女性は目的地にたどり着くまで我慢。
大きな街でチケットを買ってバスに乗るのはさほど難しくないが、中途半端なところでバスをつかまえるのはよくわからなくて難しい。
運良く英語を話せる人をつかまえることができ、助けてもらった。
彼、アッタはていねいに手助けしてくれた上、なんとバス代まで払ってくれた。
バルカル山のピラミッド。
次はジャパニーズバス。
これはきつかった。
15人乗ってぎゅうぎゅう詰めで、身動きとれなかった。
乗客は男性のみ。
荷物代を別料金でとられた。
そうそう、街で宿泊する際は、まず警察に行って手続きし、「宿泊許可書」をもらわなければ宿泊できない、と以前ネットで読んだことがあったのを忘れていた。
今回の僕のルートでは、ドンゴラという街でのみ、この宿泊許可書が求められた。
見るからにいいかげんそうな安宿でも、これがないと頑として泊めてくれない。
そこでまた、運良く英語を話せる人をつかまえて、助けてもらった。
ナセル。
警察署は、自力じゃ絶対みつけられないような、わかりにくい場所にあった。
その時は夜8時すぎで、正門は閉まっていて裏口しか開いておらず、この裏口がまたわかりにくいのだが、ナセルはそれも知っており、警察官とも顔見知りのようで、スムーズに手続きをすますことができた。
翌日は、ほぼ1日ナセルとともにすごした。
彼はこの街で店を2軒経営しており、店番は他の人にまかせているので、時間とお金に余裕があるようだった。
この日の食事は、ほとんどナセルがごちそうしてくれた。
彼は食事はいつも何人分か用意し、その辺の人に「食っていけ」と声をかけていた。
またハイエース。
こういうミニバスは満員にならないと発車しないので、朝9時発のはずが実際の出発は午後になることもある。
でも、待っている間は誰かしら話かけてきて、アラビア語を教えてくれたりするので、退屈はしない。
時間のルーズさはブラックアフリカ以上で、約束は絶対に守られない。
砂漠のレストラン。
エジプト国境までの道路が完全舗装されたのはここ1、2年のことらしい。
南部を失った今、国土のほとんどが砂漠だが、やはりナイル川沿いだけは緑豊かで、人が住んでいる。
ハルツームで出会ったフランス人(左)とスペイン人(右)のカップルと再会した。
http://atlasinafrica.com/
もうすぐ車でアフリカを一周し終える。
僕と同じくこれからフェリーに乗るのだが、車やバイクを積むのがまた大変だそうで、エージェントを雇わないと、自力で手続きするのは不可能に近いらしい。
自転車は問題ないそうだが、なんだか安心できない。
現在、国境の街ワディハルファ。
結局、ほとんどの行程をバスですませてしまった。
水曜のフェリーを逃すわけにはいかない、何があるかわからないから余裕をもって1、2日前に着いておきたい、という不安に駆られて、大事をとった。
だいぶはしょってしまった感があるが、「仕方ない、こういうこともある」と自分に言い聞かせる。
街で唯一のネットカフェがスーパースローで、かつたびたび断線する。
この記事は2日かけてようやくアップできた。
まだスーダンの写真があって、アップしたいのだが、明日できるかどうか?
明日、フェリーでエジプトに渡る。
航行は16~18時間。
チケットは2等104ポンド(2912円)で、乗る時に荷物代(25ポンド前後)を別に取られる。
出発時間を聞いたら、「うーん、2時ぐらい。」と言われた。
絶対2時には出発しないと思う。
Wadi Halfa, Sudanにて
(注)この記事はアップしたのは1月10日ですが、書き始めたのが1月9日だったので、日付は1月9日になってしまいました。
2012年1月9日月曜日
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