出発の日の朝、Press社のアナと。
メディア作戦に出た時、彼女はいち早く僕のSOSに応えてくれて、最後まで付き添ってくれた。
ジェリコと。
最後に日本語で、「リオサン。アリガトウゴザイマシタ。ガンバル。」と言ってくれた。
ちょっと泣きそうになった。
きっと仕事中にグーグル翻訳で調べたに違いない。
走行再開。
改めて、自転車が戻ってきてくれた喜びをかみしめる。
盗まれてからしばらくは、自転車が戻ってきて今までと変わりなく旅を再開できるなんてことは、奇跡のように思えていた。
でも、その奇跡が起きて、今、僕はちゃんとこの自転車をこいでいる。
幸せ。
しかし、新たに買った鍵が異様に重い・・・。
セルビア全土で顔が知られてしまっているようだ。
都市を離れて、小さな街でも、田舎の畑の中でも、毎日何度も声をかけられる。
英語を話せる人は少なく、セルビア語で話しかけられることが多いのだが、「ヤパーン(日本人)」、「ビツィクル(自転車)」という言葉だけ拾える。
畑の中にポツンとあったGSの人も、僕のことを知っていて、ファンタ2.5Lをただでくれた。
ピザをおごってくれた人もいた。
途中の小さな街で、歩道でロマの子供が3人、手をつないで僕を通せんぼした。
7~8歳ぐらいの男の子と、4~6歳ぐらいの女の子2人。
アラブでも、よくこうやって(もっと年長の)クソガキどもが通せんぼして、「マニー!マニー!」とからんできたことがあったが、やつらはまったく可愛気がなかったので、絶対金なんかやらなかった。
でもこの子たちはなんかかわいかったので、お金をあげることにした。
財布から20ディナール紙幣つかんだつもりだったが、渡してから200ディナール紙幣だったと気づいた。
まあいいか。
受け取った男の子は目をひんむいて驚き、しばらく言葉を失っていた。
下の女の子2人は、なんだかよくわからないがすごくいいことが起きたんだ、という感じでケラケラ笑っていた。
「写真撮らせてよ。」とカメラを取り出したら、男の子が突然怯え始めた。
「わかった、わかった、やめるよ。」
ちょっと間をおいて、再びカメラを出したら、泣きそうな顔になって走って逃げて行ってしまった。
妹たちはまだ笑いながら、兄と一緒に逃げて行った。
カメラを怖がる子供なんて、アフリカでも限られた地域だけだったが。
このブログでは、まだロマについてふれていなかった。
ロマは、黒髪で茶褐色の肌の少数民族で、いわゆるジプシー。
ヨーロッパ全域に分布しているが、特に旧ユーゴ諸国に多い。
かれらは皆、貧しい。
とても、まともに教育を受けてまともに働く人生を送るようには見えない。
ボスニアでは、どう見ても10歳以下の子供がタバコを吸っているのを目撃した。
日本では未成年が喫煙する場合は、悪いと知っていてあえてやるものだが、その子はおそらく何も知らずに、人目をはばからず、おいしそうに吸っていた。
昨日、ニーシュという街に着いた。
ホステルの人がさっそくテレビ局に通報(?)して、今朝、インタビューを受けた。
何をしゃべったのか、全然おぼえてない。
うまく編集されてることを願う。
ローカル局だと思うが、何という名の局でいつ放送されるのかも、聞きそこねた。
恥ずかしいのであまり見たくない。
ホステルのねえちゃんが一番エキサイトしてた。
ニーシュ。
もう秋なのかと思うほど、涼しい風が吹き、すがすがしい。
Nis, Serbiaにて
Dst. 19395km
セルビアでは日本人=ryoかもしれない。
返信削除イタリア行ったときには、やたら「NAKA~TA」って・・・
これからの道中、鍵を厳重にな!
日本はまだまだ蒸し暑い。暦では立秋が過ぎたので秋のはず
なんだが・・・
日本はまだまだ暑いでしょう。
削除新しい鍵は重いうえに使い勝手も悪いんで買い替えたい。
頑丈になるほど重くなるっていうのはわかるけど。
暑いよ・・・
削除月曜日、夕食後急に気分が悪くなり嘔吐・・・
多分、精神的なものだと思う。
胃腸が弱点らしいから・・・情けないのぉ~
頑丈な鍵ならば、良いではないか~使い勝手が悪いのはマイナス点だな。
これから向かう国には、ryoの好きなスイーツはあるのだろうか?