2011年12月28日水曜日

さらばブラックアフリカ

準備は整った。
あさって30日、ハルツームに飛ぶ。

国際空港はカンパラから40kmほど離れたエンテベというところにあり、明日そっちに移動する。
ハルツームまで距離は近いのに直行便がなく、ナイロビ経由で6時間。
チケットは102万3050シリング(3万2532円)。
荷物の超過料金で大金をふんだくられないか、心配だ。
行きのシンガポール航空はぶっちぎりの史上最悪で、8万円も取られた(ふつうは数千円)。
アフリカも、外国人からはいくらでもふんだくっていい、という風潮があるので、こういう時は怖い。

スーダンビザは難なく取れたが、滞在許可が2週間なのであまりゆっくりできないかもしれない(観光ビザなので延長はできるとは思うが)。
スーダン大使館はNakasero Rd沿い、南アフリカ領事館のすぐ近くにある。
ビザ申請受付は火木のみ。
用意するものは、パスポート、写真2枚、15万シリングまたはUS$60。
翌日発行。
大使館職員の対応は良く、スムーズに事は運んだ。
エチオピアでスーダンビザを取る場合は、まず事前にエジプトビザを取ってそれを提示し、US$100も払い、それで2週間のトランジットビザしかもらえないらしい。
エジプトで取る場合もUS$100らしい。
なので、スーダンビザはカンパラが一番安くて取りやすいと思う。

スーダンではATMでお金がおろせない
という情報があった。
カンパラでスーダンポンドを取り扱う両替屋をみつけられなかったので、大量のUSドルを用意した。
スーダンに着いたら、このドルをスーダンポンドに替える。
今のところ、街にある両替屋はレートが良く、両替してもあまり損はしない。
この国では国際キャッシュカードが使えないから外国人は現金をたくさん持ち歩いているということが悪い人に知られたら大変だ。

ハルツームからは、イスラム教のアラブ世界で、また別の新たな世界が始まるだろう。
地理的にはアフリカだが、文化的には中東に突入する感じか。
ブラックアフリカはここで終わり、このカンパラがひとつの区切りとなる。

半年前、ケープタウンの空港に着いて自転車を組み立てていた時、たくさんの人に話しかけられたが、一番最初に話しかけてきた人が、なんとカイロからケープタウンまで自転車旅行をしたことがある、という
さわやかな白人の青年だった。
僕は興味しんしんでいろいろ質問した。
彼の流暢できれいな英語は僕の耳にはあまりうまく聞き取れなかったが、
difficult peopleという言葉が何度か繰り返され、その言葉がずっと頭に残っていた。
彼は僕に
I envy you(君がうらやましいよ). Good luck!と言ってさわやか去ってった。

実際にアフリカを旅してみると、たしかにこの異次元ワールドには
difficultな人たちがたくさんいた。
どうしようもないほど貧しくて、不便で、あまりにも
こちら側と常識が違いすぎて、腹が立つことも多く、イライラさせられることも多く、トラブルになったり、ケンカになったり、ひどい言葉で罵ってしまったこともよくあった。
世界旅行をするのだから、自分と常識が異なる人と接するのは当たり前で、むしろそれを楽しみにしていたのだが、現実にこの異次元ワールドに飛び込んで生活するということは、強い忍耐力と広い懐が要求され

自分と異質な者をどう理解し、どう受けとめるべきか、苦悩の連続でもあった。

しかし今、もうこのブラックアフリカともおさらばなのかと、改めて人々をみつめてみると、たまらなくいとおしい。
エネルギッシュで、プリミティブで、やたらと声がでかくて、やたらと歌がうまくて、うっとうしいほどフレンドリーで、屈託のない笑顔で、力強い握手で
・・・
僕はかれらからパワーをもらっていた。
ああ、お別れするのはさみしい。





ストリートチルドレンに、お菓子と果物と水を配った。
4歳か5歳ぐらいに見える女の子が
ウッキャー!!!とすごい声で叫んで飛び跳ねた。
子供たちはすぐに
食べようとはせず、少し離れたところにいる母親のもとへ持って行った。
子供にこんなことさせるんじゃねえよ、と怒りがこみあげる。
でも、家族全員で分け合って食べ始めた。

いったいどうしたらこの貧困から
脱却できるのか、いくら考えても僕には明確な案は思い浮かばなかった。
アフリカは、戦後の日本のように、欧米の社会システムをすんなり受け入れて、がむしゃらに働いて経済大国にのしあがる、なんてことはまずない。
アフリカは日本とは違うし、欧米とも違う。
いつの日か、アフリカなりの発展をとげて貧困から
立ち直ることができるのだろうか?
それとも何十年たってもこのままなのだろうか?
気になる。

今年は、日本にとって大変な年だった。
こんな時に旅行なんかして罪悪感もあり、ずっと日本のことも気になっていた。
いつものように気軽に
よい年をとは言えないかもしれないが、復興を願いながら、言わせてください。

みなさん、よい年を!!!




  
 
 









Kampala, Ugandaにて



2011年12月26日月曜日

今後のルート

そろそろ今後のルートについてお知らせしなければならない。

最初の計画では、ケニア→エチオピア→スーダン→エジプトと北上する予定だった。
エチオピア
スーダンのビザは国境では取れず、手前の国の大使館で取ることになる。

しかし、だいぶ前から旅人たちからの情報でわかっていたことだが、現在エチオピアのビザはエチオピア以南の国では取れなくなってしまっているようだ。
僕が持っている最新版のガイドブックには、エチオピアビザはナイロビでもカンパラでも取得可能と書いてあるので、今年になってから状況が変わったのだろう。
南下組はカイロでビザが取れるので何の問題もなくスムーズに縦断できるようだが、北上組はケニアかウガンダで行きづまることになり、旅人と出会うと必ずこの話題になった。
カンパラなら取れる可能性があるという情報を得て、カンパラのエチオピア大使館に行ってみたが、ダメだった。
アフリカ居住者なら取れるが、非居住者は飛行機で行って空港でビザを取るしかないらしい。

ウガンダ→南スーダン→スーダン→エジプトというルートも検討してみたが、南スーダンにはまともな道
もなく、政情不安定のエリアもあるため、陸路縦断は現実的ではないようだ。

いろいろ悩んだ末、今のところは、カンパラからスーダンの首都ハルツームまで飛行機で行こうと考えている。

「自転車による五大陸走破」と掲げておきながら実現することができず、申し訳ありません。

スーダンのビザと飛行機のチケットの手配をしたいのだが、クリスマス休暇でほとんどの店が閉まっていて、何もできない。
今日はかろうじてネットカフェが営業している。
 

バイクタクシー。


ウガンダのバイクタクシーは
ダボダボと呼ばれている。
タンザニアのミニバスは
ダラダラと呼ばれていた。
トウガラシ入りのチリソースは
ピリピリという。
日本語と語感が似ていて面白い。
 

和食の次は中華。

 

中村さん、さんざんごちそうになってしまって、本当にありがとうございました!











バス乗り場?




どこの大都市にも、物乞いやストリートチルドレンが必ずいるが、カンパラの物乞いは年齢が低すぎる。


 

ウガンダシリング。



Kampala, Ugandaにて




2011年12月24日土曜日

ハイエースの街

首都カンパラ。














 

こういう旅をしなければ、カンパラなんて街はまったく知らずに一生を終えていたかもしれない。
その無名で縁のうすい街で、自分の国でつくられた車がこんなにもひしめきあっている光景がなんとも奇妙な感じ。

ハイエース以外の車種もほとんど中古日本車。









排気ガスと砂埃で
寿命が縮まる感じ。









雨降り出したらどうすんの?
























ハゲコウ。










ジンバブエで出会った中村さんと再会した。
中村さんはウガンダに住み、仕事をしている。
長年アフリカに住んでいるのでアフリカ情勢に詳しく、いろいろお話を聞かせてもらった。
ヨシさんも合流し、日本料理屋に連れて行ってもらった。

















日本で修行したフィリピン人がつくっているそうだが、予想をはるかに上回るクオリティで、まったく文句ない日本の味で、最高にうまかった。
今までアフリカンフードを絶賛してきたが、ごめんなさい、やっぱり和食が世界一!
大満足しました。
ごちそうさまでした!

ちなみにこの店まではバイクタクシーで行ったのだが、ハイエースのすき間をすり抜け、逆走はするわ歩道は走るわで、なかなかエキサイティングだった。
もちろんノーヘルで、無免許の運転手も多いらしい。


Kampala, Ugandaにて