2012年7月18日水曜日

ベオグラード















ボスニアコンベルティビルナマルカ。


一気に山を下り、川を越えてセルビアに入国。


その後はずっとフラットで楽チン。
でも、風景はえんえん住宅と農場の繰り返しで、サイクリング的にはちょっと退屈なパターン。



路面はボコボコ。
意外にヨーロッパでは、自転車のダメージが蓄積されている気がする。
EU国でも、縁石の段差やら石畳やらが多かった。

「経済水準が低下するほどノイズが増大する」
という経験則は今のところ崩れていない。
モンテネグロあたりから、安易にクラクションを鳴らす者が増えてきている。
きっと、これからアジアに向かうにしたがってクラクションは増大する一方なのだろう。
憂鬱。

爆音BGMもよく聞こえてくる。
セルビア人はクリスチャンのはずだが、どういうわけか依然としてイスラムチックな音楽もよく流れる。





首都ベオグラードに着く最後の十数kmは自動車専用道だったが、他のルートが見当たらないのでかまわず強行突破した。
いったいぜんたい、どういう理由で今まで一般道だった道を首都の直前で自動車専用に切り替えるのか、理解に苦しむ。
自転車の通行も可能な迂回ルートも探せばきっとあるはずだが、絶対迷うと思うので探す気にもなれなかった。

サバ川。






またまたドナウ川と再会。


ドナウルートはまだ続いていた!






これはうれしい。
ドナウルートをつくった人、えらい。









ドナウ川とサバ川の合流地点。


ベオグラードは、ドナウ川とサバ川の合流地点に位置する都市。










1999年にNATO軍の空爆を受けたビルがそのままの状態で残っている。






































思っていた以上に、ショッキングだった。

NATO、ミロシェビッチ、セルビア人、アルバニア人、コソボ。
誰が正義で誰が悪か、という議論は置いといて、あまりに生々しい戦争の傷痕を見せつけられて、しばらく呆然と立ち尽くしてしまった。

生々しい。
わずか13年前の出来事。
もし自分がベオグラードで生まれ育ち、その時ここにいたとしたら、何を思い、どんな行動をとっただろうか?













かつてユーゴスラビアの首都でもあった大都市だが、半分はヨーロッパ的、半分は非ヨーロッパ的。

西側EU国にはなかった生活臭が感じられる。
歩いていると、いかがわしいアンケートやら募金やらに声をかけられる。
交差点で信号待ちしている車の窓を拭いて小銭を稼ぐ人がいる。
空爆を受けたわけではないビルも、なんだか黒ずんで焼け焦げたようにも見える。











クロアチア以降、日曜日でも営業しているスーパーがある。
日曜日に食料が買えるって便利なことだなと思う。

物価はボスニアと同じぐらい。

英語は通じる。

暑さは厳しくない。
乾いた風が吹き、すがすがしい。

ホステルに滞在している。
1泊1740ディナール(1446円)。
久々のドミトリー、なかなか気が休まらず、夜、何度も起こされる。
客は全員白人。

キッチンは調理禁止らしいので(どんなキッチンだよ)、物価も安くなってきたことだし、そろそろレストランでまともなメシでも食いたいところだが、拒絶反応を起こすようなこぎれいな店ばかり。
こういうところはEU的、というより白人社会は全世界的にそうかもしれない。
しかも、メニューがキリル文字で読めない。

結局、マックに行く。
ビッグマックのセットが380ディナール(315円)。
そんなに高くない。

たこ焼きみたいなの売ってたので思わず買ったら、ドーナツだった。

130ディナール(108円)。



セルビアディナール。



Beograd, Serbiaにて

Dst. 19089km