2012年7月13日金曜日

サラエボ

ボスニア・ヘルツェゴビナに入国。


ここもまた、いたってイージー、瞬時にポンッ。

国境を越えてすぐのところに、キャンプ場があった。
しかし、英語がまったく通じない。
キャンプ場なのに「camp」という言葉が通じなかったのは初めてだ。
非英語圏では「カンプ」または「カンピン」と発音されることが多いが、それにしてもキャンプ場で働いている人なら英語の発音でも通じると思っていた。
「tent」も通じなかった。
ここでは、「テント」は「シャトル」と呼ばれているようだ。

このキャンプ場に着いてまず気づいたのが、音楽がガラリと変わったことだ。
アフリカ北部や中東で聞こえてきたイスラムの音楽とヨーロッパのロックが融合したような音楽。

そう、ここはヨーロッパではめずらしい、イスラムテイストの強い国。
民族構成は、ボシュニャク人48%、セルビア人37%、クロアチア人14%。
ボシュニャク人というのは、オスマン帝国支配時代にイスラム教に改宗した南スラブ人の子孫。
セルビア人はセルビア正教、クロアチア人はカトリック。
1990年代のユーゴスラビア解体時は、この三者が独立をめぐって互いに対立し、民族浄化の名のもとに他民族の追放や虐殺をおこなう凄惨な内戦が起きた。

公用語はボスニア語、セルビア語、クロアチア語だが、これらはほぼ同じ言語。

いつも通り、すでに味覚が麻痺して味を感じなくなっているスープスパゲティをつくり、テントの中はあまりにも暑すぎるので外のテーブルで食べていた。
すると、キャンプ場のレストランのおじさんが、無言でテーブルに料理を並べ始めた。
僕は何も注文していないので、あっけにとられていた。
このおじさんも英語が話せないようで、終始無言だったが、しかし笑顔で、ジェスチャーで「どうぞ」と差し出してくれた。



ああ・・・これは・・・ちょっと涙が出そうだ。
ありがとう。
本当にうれしかった。











ドイツ人サイクリストのマイケル。


http://mike-on-a-bike.com/

ナイスガイなヤツで、しばらく話しこんでしまった。
ミュンヘンからスタートし、これから世界をまわる。
この後アジアへ向かうので、またどこかで会うかもしれない。
日本も走りたいと言っていた。



引き続き山。


首都サラエボ。


























なぜか、どことなく和風。
















エジプト、ヨルダン、パレスチナで、こういう店たくさんあった。
































































サラエボといえばサラエボ事件。
それ以外になんの知識もなく、どんな街なのか想像つかなかったが、なんだろう、このフュージョンな感じは?
こういう街並みは初めてだ。
あの和風な感じの木造建築は、もしかしてオスマン時代の名残りだろうか?

ここも、白人ばかり。
大柄でたくましい体型の人が多い。
他の人種はごくわずか。
今のところ、日本人らしき人は見ていない。

ここが、サラエボ事件の起きた現場。




1914年、ここでオーストリアの皇太子夫妻がセルビア人の学生によって射殺され、それが引き金となって第1次世界大戦が勃発した。
というのを学校で教わったが、まさか後にこの地を自転車で通りかかるとは思ってもみなかった。









街の中心から離れると、近代的なビルとボロボロの建物が交互に現れる感じ。
路面はボコボコ。







なかなかちゃんとしてる。









物価は安くなった。
キヨスクでは500mlの冷たい炭酸が1.10コンベルティビルナ・マルカ(54円)で売っている。
ネットカフェは1時間2コンベルティビルナ・マルカ(98円)。

暑苦しかったので床屋に行って、バッサリ短くした。
7コンベルティビルナ・マルカ(345円)。
これは安い。

滞在しているキャンプ場は1泊19コンベルティビルナ・マルカ(939円)。
街の中心から13kmも離れているのでちょっとダルいが、フラットなのできつくはない。

内陸に入るにつれて、暑さがやわらいできた。
夜は涼しく、ぐっすり眠れて疲れもとれる。
海岸のあの暑さは、おそらく海流の影響によるものかと思う。

昨日はめずらしく雷雨。




Sarajevo, Bosnia And Herzegovinaにて

Dst. 18734km