2014年2月27日木曜日

ジャワ海フェリー 2

フェリーで北上して、再び赤道を越えて北半球へ。
ジャカルタからシンガポールまで直行便はないので、ビンタン島というシンガポール直前の島経由で乗り継ぐ。
ビンタン島までチケット27万3000ルピア(2387円)、自転車27万ルピア(2361円)。
自転車代はぼったくられたかもしれない。

出港は朝8時で、6時には乗船するように言われたので、朝4時に起きて5時に宿をチェックアウト。
真っ暗。
激しい雨。
インドネシアの道路の排水はだいぶ問題がある。
宿から港までの16km、水没箇所がいくつもあった。
ひどいところは、水深が膝上まであった。
自転車のバッグが8割ぐらい水に浸かってしまっていた。
まずい、と思った時にはもう遅し、引き返すこともできず、そのまま強行。
暗闇の中、雨の中、水の中、この先もっと深くなるかもしれないという不安で、自然と息が上がる。
車が通るたびに大波をくらう。
こんなのは初めてだ。

港に到着すると、雨はやんだ。
すでにたくさんの人。
しかし、フェリーは10時だという。
ちくしょうめ。
この時点で、10時には乗れないだろうなと思っていたら、案の定、乗船が11時、出港が13時だった。



今まで乗ったフェリーはほとんどカーフェリーで、自転車は車と同じようにスロープで乗船するのだが、今回のフェリーは人のみ。
船室までは階段で上がらなければならず、荷物を外して担いで上げる。

自転車を置く場所はデッキしかない。
デッキにはタバコを吸う乗客がたむろするので、そこに自転車を置くのはかなり不安があった。
自転車が盜まれる心配はないが、誰でも簡単にバッグを開けることができる。
でも、どうしようもなかった。

船室は雑魚寝する大広間のみで、一応ひとりひとつずつ、マットが確保される。

あとは前回とほぼ同じ状況、数百人の乗客のうち外国人は僕ひとりだけ。

熟睡。
大型フェリーのエンジンのかすかな振動とゆるやかな揺れには、催眠効果があるっぽい。

時々デッキに出て、自転車をチェックしつつ、海を眺める。
すると上のデッキから、弁当箱と残飯が降ってきた。
最悪だな、こいつら。
シンガポールはすぐそこだぞ。
いくらシンガポールが自国の街並みをきれいにしても、周囲の海はインドネシア人によって汚染される。
いや、今は海の汚染については日本人は他国のことをとやかく言える立場ではなかった。

やはりほとんどの人が英語を話せないのだが、遠慮がちながらもフレンドリーに話しかけてくれる人もいる。
こんなに過密で、人と人との距離が近すぎる環境でも、ピリピリした空気は皆無、攻撃性も皆無、いたって平穏な人たち。
そして誰もが「アリガト」という日本語を知っている。

2日後の深夜0時、つまり出港から35時間後、ビンタン島に到着。
自転車を降ろそうとしたら、前後のライトが盗られていることに気づいた。
ライトはふだんまったく使わない(夜間走行やトンネル走行する時はヘッドライトを装着する)ので、実害はないのだが、やはり気分悪いものだ。
ライトを盗むなんて、しょぼいやつらだよ。

シンガポール行きの港はここから35kmも離れているらしく、気さくに話しかけてきたタクシードライバーの口車に乗せられて、タクシーで行くことにした。
「オレを信じてくれ。オレは悪い人間じゃない。なぜならオレはムスリムだから!」
と何の証明にもなっていない主張をされたが、僕はこのおっさんは信じていいと判断した。
事実、彼は終始僕をよく助けてくれたし、ぼったくろうともしなかった。

宿が1軒、深夜でも受け入れてくれた。
4時間のショートステイなら割安だというので、眠らずにシャワーを浴びて休むだけにした。

荷物のチェックをした。
何も盜まれていない。
そして、若干浸水していたものの、水の被害もほぼなし。
ネパールの道端修繕屋さんでバッグを直してもらって良かった。
穴だらけの状態で水に浸かったら、ラップトップもiPadも寝袋も終わっていたかもしれない。

朝、高速ボートでシンガポールへ。
55kmほどの短距離だが、19万ルピア(1661円)と高い。

イミグレーションは建物の2階。
またしても、あらゆる車輪を拒絶するつくりになっていて、荷物を外して階段を上がって、荷物を装着して出国手続きをして、また荷物を外して階段を降りて装着して、ようやくボートに乗れた。
朝っぱらから汗だくだ。



せっかく自転車と荷物を掃除したのに、この後、予想以上に波がすごくて、自転車も荷物も海水まみれになった。
そろそろ高圧洗浄機できっちりきれいにしたい。

インドネシアルピア。





Singapore

8053km



2014年2月25日火曜日

ジャカルタ 2

















インドネシアでどうしても見てみたいものがあった。

ガムラン。


ジャワ島とバリ島にのみ残るインドネシアの純音楽。
生で聴くのはもちろん初めて。

デモーニッシュな響き。
おそるべきアンサンブル。
一瞬で釘付けになった。



このおじさんは、物語のせりふを言いながら人形を操り、せりふの合間に足で小さなシンバルのようなものを鳴らしている。






楽譜は存在するのだろうか。
数時間に及ぶ演奏の細部まで暗譜するのは不可能だろうから、軸となるメロディやリズムだけを把握して、 そのパターンを守りながら即興で音を広げていく感じだろうか。
それにしても、個々の音がきわめて複雑に絡み合いながらも、全体として完璧に統率がとれている。
ジャズもそういった特徴があるが、これは西洋音楽とは構造が違う気がする。
東洋音楽のひとつの極みと言っていい。

























近代的ビッグシティの割には宿はボロく、そして高い。
滞在している宿は、トイレ・シャワー共同のシングルルームで15万ルピア(1314円)。
外国人が集まるエリアで、必要な設備は一応そろっているが、いろんなものが調子悪い。
最初に案内された部屋は鍵が壊れていたので違う部屋にしてもらったのだが、次に案内された部屋の鍵も固くてなかなか開かない。
エアコンが、これで「エアコン付き」と謳うのは詐欺だろうと思うほど微風のエアコンで、温度調節もできない。
窓もないし扇風機もないので、エアコンがちゃんと機能してくれないと困る。
Wi-Fiも弱く、全室内で使えるとは言われたが、実際には部屋から出ないと使えない。
動画をアップするのに何時間かかったことか。

東南アジア全域の風習なのかわからないが、屋内は土足禁止のところが多い。
それは別にいいのだが、共同トイレにサンダルもスリッパもないのは問題だ。
地元の人はなんの抵抗もなく裸足でトイレに入り、その汚れた足で廊下を歩き、部屋を歩き、ベッドで寝る。
郷に入ってはと言うが、きれい好きの僕としてはこれは耐えられず、トイレに入る時は自分の靴を持ち込んでいる。
いつか注意されるかな。
でも熱帯特有のイージーゴーイングな空気が漂っているので、細かいことでうるさく言われることはないとは思う。
それから靴を玄関前に放置するのも、一度靴を盜まれたことのある僕としては抵抗があるので、靴は部屋に保管するようにしている。

ここも、夜遅くまで街のどこからかカラオケの騒音が轟いてくる。
アジア人はこういうノイズが好きなんだな。
そしてカラオケにしてもバンド演奏にしてもストリートミュージシャンにしても、絶望的なまでにヘタッピだ。
ガムランとの落差がキツイ。

これからフェリーでシンガポールへ向かう。


Jakarta, Indonesia



2014年2月24日月曜日

ジャカルタ 1

首都ジャカルタ。




ビッグシティやな。



マレーシアの街と違って、華僑の存在感はない。



英語は通じやすい。



ジャワ島は、島としては世界最多の人口を持つ。
日本の3分の1ほどの面積に、日本と同じぐらいの人が住んでいる。
単純計算で、人口密度は日本の約3倍。
すぐ近所のオーストラリアなんかは、ジャワ島の60倍(日本の20倍)の面積がありながら、人口はたった2000万人しかいない。
なんだろな、この偏りは。
その中心都市であるジャカルタだが、今まで見てきたカオスな国々と比べたら、まだ整然としているし秩序は保たれている。



日曜日はホコ天になるのかな。


「sepeda=自転車」というのはすでに覚えた。


いいねー、なんだか先進的。


これはめずらしい。
イスラムの女性が自転車に乗っている。


アラブやパキスタンではありえない光景。
いやもう、いいかげんあちらのイスラムと同じ枠組みで見るのはやめた方がいい。
そもそも彼女たちがムスリムなのかどうかも、聞いてみなくちゃわからない。
ただスカーフをかぶっているだけという人もいそうだから。









ローソン出現。


ボルネオのコンビニは商店レベルだったが、こっちのは日本のコンビニに近い。
食品だけでなく日用品や雑誌など品ぞろえ豊富で、ATMもある。
日本の菓子、弁当、寿司、おにぎり、それからおでんまであった。
お弁当はレンチンしれくれる。
店員の対応も良い。





おにぎりは米の粘り気が足りず、ボロボロと崩れる。

でも海苔の風味が懐かしくて良い。

紅茶ソーダ。


プリン!

プリンってメジャーな洋菓子と思いきや、世界的には一部の国でしか売っていない稀少なスイーツ。
ライスプディングとかチョコレートプリンとかならよくあるけど、カスタードプリンはなかなか見ない。
ちっこかったけどおいしかった。

この先北上するにつれて、日本の食品がより入手しやすくなっていく予感がする。

食は、マレーシアと大きな違いはない。
味云々より、とにかく量がない。
まるで小人の世界、おままごとのミニチュアのようなものが出てくる。

さらに、インドネシアはスパイスの国とか言われてるらしいので、どこに地雷があるかわからない。
けっこうビビってる。
あまり冒険する気になれない。

なので、屋台やレストランよりは、つい足がバーガーキングやローソンへと向かってしまう。
ごめんなさい。
久々のバーガーキング、うまかった。
最後にバーガーキングを見たのはトルコだったかな、中央アジアにもウイグルにも南アジアにもなかったと思う。





街を歩いていたら、また五輪真弓が聞こえてきた。
フェリーの中で聞いたのと同じ歌。
どういうことなのかなとちょっとググってみたら、この歌、「心の友」はインドネシアでは知らない人はいないというほど有名だそうで、インドネシアの第二の国歌とも言われている、などと書かれていて驚いた。
フェリーにいた若者も、歌詞をちゃんと日本語で暗唱していて、歌に合わせて日本語で歌っていた。
あるインドネシア人のラジオのDJが日本に来て、五輪真弓のコンサートに行ってアルバムを買って、その中に入っていた「心の友」をインドネシアのラジオで流したことがきっかけで大ヒットしたらしい。
日本ではシングル化さえされていない、無名の古い歌。
わからないものだ。



インドネシアにいる欧米人旅行者、やけにガタイがいい人が多いなと思ったら、たぶんかれらはオランダ人だ。
聞いて確認したわけではないが、オランダはかつての宗主国ということもあって、今も縁があるのだろう。
オランダ人の平均身長は男性181cm、女性166cmで、世界1位。
南アフリカとナミビアにいたオランダ系白人と同じ迫力を感じる。

オランダ人と日本人が、インドネシア人にどれだけ慕われてどれだけ憎まれているのかはわからないが、今のこの平穏が不自然だとは思わない。


Jakarta, Indonesia



2014年2月21日金曜日

ジャワ海フェリー 1

フェリーでジャワ島へ。
ポンティアナックからジャカルタまで、40時間の船旅。
チケット27万ルピア(2354円)、自転車7万5000ルピア(653円)。
長距離にしては安い。

出港は午前4時。
早めに乗船したのだが、すでに船内は満員。
こんなにもたくさんの乗客がいるとは、まだまだインドネシアの人口をナメていたようだ。
ゴロ寝できる大部屋はスペースなし、なんとか空いてる座席を見つけて寝場所を確保。
数百人の乗客の中、外国人はおそらく僕ひとりだけ。

フェリーは思ってたより立派。


後ろの絵は日本っぽい。


1日3回、きわめて質素ではあるが、無料の食事が出る。
僕は最初そのシステムに気づいていなかったのだが、親切な人が教えてくれた。
やはり皆、英語は話せないが、身振り手振りでだいたいわかる。

僕が外国人だとわかっていながら、インドネシア語で話しかけてくる。
インドネシア語なんてわかるわけないでしょ。

英語は話せないが片言の日本語を話せる人がいた。

他人の迷惑などおかまいなしに携帯で音楽を鳴らす若者がいたが、なぜか五輪真弓の歌が聞こえてきた。

清潔ではない。
船内にはゴミ箱がちゃんとあるのに、テーブルも床もゴミだらけ。
ところかまわずタバコを吸い、吸い殻は踏み潰して床に放置。
何よりも、平気で海にゴミを投げ捨てる人が多いことには失望してしまう。
その気になれば、2億人を躾けることも不可能ではないはず。
その気になれば・・・

プライベート空間がない状態で40時間、しかも蒸し暑くて騒々しかったのだが、不思議なことによく眠れた。







到着は20時。
港から街の中心まで16km、夜間走行。




Jakarta, Indonesia

7986km