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南はマラウイ湖から北はイスラエルの死海まで、長さ7000kmにわたってアフリカを縦走するプレート境界。このラインには、キリマンジャロをはじめとする高山、高原、断崖、そして多くの湖が点在している。この隆起が、生物の移動や風を遮断するため、その東側と西側とでは生態系も気候も異なっている。800万年前から形成され始め、現在も1年に数ミリずつ東西に裂けている。このままいけば数百万年後にはこの東側は完全にアフリカ大陸からちぎれてしまうことになる。グレートリフトバレーの東側は化石人骨が多く出土することでも有名であり、「人類の起源の地」とされている。1982年にイブ・コパンが提唱した「イーストサイドストーリー」は、よくできた、説得力のある仮説であった。グレートリフトバレーの出現によって、湿った西風が遮断されたため、東側は森林が消え、乾燥したサバンナとなった。もともとそこの森林で樹上生活をしていたサルは、陸上での生活に適応すべく、二足歩行を始めた。これがヒトの始まり、という説。しかし、このイーストサイドストーリーにとって不都合な事実がいくつもでてきた。まず、大きな隆起が始まったのは400万年前だが、それ以前の600万年前にヒトはすでに二足歩行していた。二足歩行を始めたであろう当時の化石で、森林に住んでいた動物と一緒に発掘されたものもある。また、東側の乾燥化は300万年前から始まったが、完全にサバンナになったわけではなく、森林もかなり残存していた。そして2001年、「ウェストサイド」であるチャドで、600~700万年前に二足歩行していた猿人の化石が発掘された。これは「トゥーマイ猿人」と名付けられ、ヒトの直属の祖先である可能性が高いという。今でこそサハラ砂漠が広がるチャドだが、魚やワニの化石も一緒に発掘されたことから、当時は湿潤な地域であったようだ。これが決定打となり、イーストサイドストーリーは破綻した。コパン自身も、撤回を表明した。人類発祥は、アフリカ東部ではないのか?僕の高校時代の教科書には、人類の出現(アウストラロピテクス)は400万年前と書いてあった。それが今や700万年前までさかのぼってしまっている。これからも変わり続けるだろう。トゥーマイ猿人の発見は学界の常識をくつがえすものであったため、認めない学者も多いという。人類学や考古学の世界は、しばしば捏造もあったりする。素人としては、何を信じていいやらわからない。ヒトは水辺で進化したという「アクア説」も興味深いが、これは完全否定する学者も多く、異端視されている。
店に置いてあるアナログ・ディレイを見ると、だいたい2~3万円が相場。古いものはもっと高い。ネットで安いものを探してみた。これは、定価9000円で、ネットで買うと5900円。こんな安いアナログ・ディレイがあるとは知らなかった。
質も良い。音痩せはほとんど感じられず、原音が生かされている。アナログならではだ。今までは、ディレイをかける時はマルチエフェクターを使っていた。でも、マルチはどうしても音がデジタル臭くなってしまう。家で弾くだけだからと割り切っていたが、やはり、せっかくのFender Champ(1965年製)のヴィンテージな音が台無しになってしまう。歪みは、1997年に買ったHOT CAKE。
シンプルで、コンパクトで、すっきりした。ディレイはリバーブ代わりにも使えるので、もうこれ以上のエフェクターは必要ない。マルチを押し入れに葬ろうとしたら、古いエフェクターが続々と出てきた。愛着があったので手放さずにいたが、もうかれこれ10年ぐらい使っていないので、すべて売りさばくことにした。
世界最大のサハラ砂漠(日本の24倍)は、生物の移動を遮断してきた。たとえば、ライオンをはじめとするアフリカの代表的な動物の多くはサハラ以北には生息していないし、逆に、クマはサハラ以南には生息していない。人は、大ざっぱに言ってしまえば、サハラ以北がアラブで、サハラ以南がブラック・アフリカと呼ばれている。エチオピアは、その中間というか、はずれというか、どちらともいえない異色の国である。・戦時中に一時的にイタリアの植民地になったものの、3000年もの歴史をもつアフリカ最古の国。・オロモ、アムハラ、ティグレ、ソマリなど、83の民族。・公用語はアムハラ語。これはエチオピア以外では使われない。 文字はこんな感じ→የኢትዮጵያ ፈደራላዊ ዲሞክራሲያዊ ሪፐብሊክ 読めるわけない。英語はあまり通じないらしい。・宗教は、エチオピア正教会という、独自に発展したキリスト教。・キリストの生誕年の解釈が違うとかで、グレゴリオ暦ではなくエチオピア暦を使っている。・ケニアと同じく、熱帯に位置するが標高が高いため、冷涼な気候。・70年代と80年代に大飢饉を経験して以来、厳しい経済状態が続いている。 現在は経済成長はしているものの、最貧国のひとつである。
東部は、隣国のソマリアと同じソマリ人が多く、エチオピアからの解放を目的とするソマリ人の反政府組織、オガデン民族解放戦線(ONLF)がエチオピア政府軍と衝突している。ソマリアは無政府状態が続いていて、国境はあってないようなもので、犯罪者はたやすく国外逃亡できる。
2009年には「世界の医療団」に所属する日本人女性がエチオピア東部で誘拐され、そのままソマリアに連行されたが、3ヶ月半後に無事解放された。外務省は、東部の広範囲に「退避を勧告します」を発令している。北部は、1993年まではエチオピアの一部であったエリトリアと、国境の画定で紛争が続いている。外務省は、エリトリアとの国境付近に「退避を勧告します」を発令している。僕は西のスーダンへ向かう予定だが、その国境付近には「渡航の是非を検討してください」が発令されている。南のケニアとの国境にも、「渡航の是非を検討してください」が発令されている。気が重い。
最近CDはAmazonで買うことが多くなったが(クレジットカードを持っていないのでiTunesでダウンロードとかはできない)、今日久々に渋谷のタワレコに行った。久々といっても3ヶ月ぶりぐらいか。ちなみ僕は、渋谷のタワレコ以外のCD屋には行かない。渋谷といったらタワレコ以外に用はない。たまたま売場で、ピアニストの小林愛実がミニライブをやるというので聴いてみた。彼女は、幼少時から国内外のコンクールで史上最年少の記録を次々と塗り替え、キーシンやアルゲリッチからも評価され、世界の注目となっている。今年はショパン生誕200年だからなのか、曲はすべてショパンというプログラムだった。「一番好きな作曲家はショパン」と言っていた。僕も同じである。シューマンもショパンと同い年なのだが、シューマンは話題にならないのかな。14歳にしては堂に入った演奏で、ざわついた売場を緊張感ある空気に変える力があった。1曲目のワルツの14番は、僕も12歳ぐらいの時に弾いていた。難曲と思われるスケルツォやエチュードも、彼女は精確に弾きこなしていた。ただ、しょせんCD屋なので、ピアノ自体もちゃんと調律されていないだろうし、音響もクソもない。ノイズも多い。だからといって、携帯で写真を撮るやつの神経が理解できない(シャッター音が鳴る)。それなりの環境だったら、もっといい音が出せる人だと思う。現代の日本人のピアニストでは、辻井伸行がずば抜けている。ジャズだったら、上原ひろみが常軌を逸して巧い。このふたりは本当に日本の誇りだ。
今日の演奏を聞いた限りでは、小林愛実はまだ一流の仲間入りには遠いと思うが、まだ14歳。これから飛躍するかもしれないし、逆に、神童と呼ばれながらも消えていった人も多いので、どうなるかわからない。辻井伸行も、ショパン生誕200年だからなのか、全曲ショパンのアルバムが出ていたので買った。ジェフ・ベックもいつの間にかニューアルバムを出していたので買った。65歳(!)とは思えない。やはり、たまにはCD屋に行かないと、ネットだけだと気づかないことが多い。
アフリカの代表ともいえる国。赤道が通過しているので熱帯のイメージがあるかもしれないが、国土の大部分が標高1000m以上の高原であるため、一年中すごしやすい気候。(エクアドルのキトもそうだった。)・アンボセリ国立公園キリマンジャロの噴火によってできたアンボセリ湖が干上がった平地。アンボセリ湖は雨期のみ出現する。キリマンジャロはタンザニアにあるが、その姿はケニア側のこのアンボセリから見るのが最も美しいらしい。今年の2月のニュースによると、大干ばつによって草食動物の8割が死滅し、餌不足になったライオンやハイエナが人間の集落を襲うのを防ぐため、別の場所からシマウマ4000頭とヌー3000頭を輸送する、という大変な事態になっている。
・マサイマラ国立保護区タンザニアのセレンゲティと隣接する大サバンナ地帯。見渡す限りの大草原。ケニア髄一の動物の多さ、とりわけライオンが多いことで知られている。・ナクル湖国立公園ソーダ性の湖で、そこに生息するプランクトンがピンクの色素を持つため、それを食べるフラミンゴもピンク色になり、とにかく湖一面がピンクに染まる。フラミンゴの多さでは世界一といわれている。フラミンゴ以外でも、他の地域では見つけにくい動物が高確率で見られる。・ケニア山国立公園(世界遺産)アフリカ第2の高峰(5199m)。登頂するには高度なクライミング技術が必要。1963年にイギリスから独立。独立以来内戦が一度も起きていない、アフリカでは平和な国であるはずだが、治安が良いとは思えない。首都のナイロビは、東アフリカ最大の都市であるが、危険都市としても有名。1998年、ナイロビにあるアメリカ大使館が、ビン・ラディン率いるアルカイダによって爆破された。2007年の大統領選挙では、集計で明らかな不正が行われたとして暴動が起き、1500人が死亡、30万人の国内避難民が出た。北部は全体的に危険地帯で、外務省は「渡航の是非を検討してください」を発令している。僕のルートでは、この辺から緊張感が漂い始める。東部はソマリアと接しており、国境付近は「渡航の延期をお勧めします」が発令されている。もちろんそっちには行かない。キクユ、ルヒア、ルオ、カレンジンなど、42の民族がいる。オバマ大統領の父親が、ルオ族である。かの有名なマサイ族もいる。かれらに関しては様々な逸話があるが、メディアに取り上げられて有名になったことで、かれらの存在自体が観光客のための見せ物になってしまっているのは気に入らない。でも一応見てみたい。国語はスワヒリ語、公用語は英語。あとは各民族の言語。
久々に哲学の刺激を受けた。マイケル・サンデルによるハーバード大学での講義が、NHKで毎週日曜に放送されているようだ。ハーバードの講義が一般に公開されるのは史上初で、毎回1000人以上の学生が集まるというあまりの人気ぶりに、公開に踏み切ったという。詳しくはこちら。
僕はテレビを持っていないのでネットで見るしかない。今のところ日本語でアップされているのはこの回だけ。漂流した4人の船乗りが、そのうちの1人を殺して食べて生き延び、24日目に救助されて故郷で裁判にかけられた、という実話が題材となっている。法的に有罪か無罪かではなく、道徳的に許されるか許されないかという議論。僕は大学で哲学を専攻していたので、この種の議論は目新しいものではないが、仕事や趣味のことばかり考える生活を続けていると、忘れる。時々ふと思い出したりもするが、哲学的思考が年々衰えていくのを感じる。マイケル・サンデルと、ハーバードの学生たちの明晰な議論を聞いて、哲学の感覚が蘇ってきた。自分が実際に極限状態に置かれた時、どんな行動に出るのかはわからないが、こういった問題を突き詰めて考えてみることは、日常の生き方にも反映されると思う。根底にあるテーマは功利主義だが、僕は仕事をしている時、無意識に功利主義者を演じてしまっていることに気づいた。「個人のことよりも全体の利益を優先しよう」なんていうキナ臭い態度を、何の疑いもなく振りかざしている。これを機に、改めて日常の自分を疑ってみようと思う。
アフリカ旅行の最大の目玉となるのが、タンザニアとケニアであろう。最もアフリカらしい大自然と文化に、どうしても期待が高まる。絶対に外せない見せ場も多い。・キリマンジャロ国立公園言わずと知れたアフリカ最高峰(5895m)。東アフリカのシンボルともいえる景観、そして五大陸高峰のうち唯一、素人でも登れることで人気がある。ただし、ライセンスを持ったガイドの同行が義務付けられている。高山病や事故で命を落とす人も少なくない。入山料や山小屋の宿泊費やガイド代など、総額で5~6万円かかる。ちょっと厳しい。「キリマンジャロ」はスワヒリ語で「輝く山」という意味。これは山頂の氷河を指しているのだろうが、温暖化によって縮小し、あと数年で消滅するともいわれている。・セレンゲティ国立公園(世界遺産)キリマンジャロの裾野に広がる大サバンナ地帯。ビッグ5(ゾウ、サイ、ライオン、ヒョウ、バッファロー)はもちろん、35種類300万頭の哺乳類が生息する。なかでも、毎年2度の雨期に見られるヌーの大移動が有名。僕は乾季に行くので見れない。残念。「セレンゲティ」はマサイの言葉で「果てしない草原」という意味。・ンゴロンゴロ自然保護区(世界遺産)火山による巨大なクレーター(平均直径18km)に、2万5千頭の大型哺乳類が生息する。多くはこの外部に出られないため、周囲と隔絶された生態系が形成されている。・ヴィクトリア湖アフリカ最大、淡水湖としては世界第2位の面積。琵琶湖の102倍。ナイル川の源流のひとつであり、はるか彼方の地中海に注がれる。100万年の歴史をもつ古代湖で、多くの固有種が生息するが、近年は外来種によって数百種が絶滅したといわれている。住血吸虫がいるので人間は泳ぐことはできない。1964年、ドイツ領タンガニーカとイギリス領ザンジバルが合併し、タンザニア連合共和国として独立した。当初は社会主義であったが、80年代の石油危機を契機に市場経済へと転換し、現在は順調に経済成長している。観光業、コーヒー、宝石のタンザナイトなどが有名。95%が黒人。スクマ人、ハヤ人、ニャキュサ人、ニャムウェジ人、チャガ人など、約130の民族。国語はスワヒリ語、公用語は英語。あとは各民族の言語。「サファリ」はスワヒリ語で「旅」を意味する。
マラウイ湖に寄り添うような縦長の国。マラウイ湖はアフリカ大地溝帯の南端に位置する。南国の海のように美しく、その一部は世界遺産にもなっている。魚も豊富で、淡水魚とは思えないほどカラフル。固有種が多い。誰もがそこで泳ぎたくなるような魅力があるが、人間の膀胱に寄生するビルハルツ住血吸虫がいる。1964年にイギリスから独立。主要民族はチェワ人、トゥンブーカ人、ンゴニ人、ニャンジャ人、ヤオ人など、もうなんだかおぼえきれない。国語はチェワ語。公用語は英語。あとは部族ごとの言語が多数。「マラウイ」はチェワ語で「火、炎」を意味する。最貧国のひとつで、インフラも十分ではない。90%の地域に電気が通っていない。舗装率は50%以下、携帯電話所持率は10%以下。
元々ポルトガルの植民地だったが、1964年にモザンビーク解放戦線(FRELIMO)による独立戦争が始まった。ソ連をバックにつけたFRELIMOはポルトガル軍に勝ち、1975年に独立を果たした。FRELIMOは政権を樹立し、社会主義の路線を推進したが、ポルトガル領時代の秘密警察を母体とするモザンビーク民族抵抗運動(RENAMO)がこれに反発。両者の衝突により、内戦が勃発した。RENAMOは西欧諸国をバックにつけ、当初は「白人vs黒人」であった一国の内戦が、背後では「西欧vsソ連」あるいは「資本主義国vs社会主義国」という構図の戦いとなった。1992年、国連の和平協定により内戦は終結した。社会主義体制は放棄され、複数政党制と自由市場経済が確立された。長期にわたったこの内戦で、100万人が死亡し、170万人の難民が流出した。国土は荒廃し、経済は壊滅し、世界最貧国と呼ばれた。RENAMOは、農村を襲って無差別に殺戮し、子供を誘拐して兵士として仕立て上げていたという。内戦が終わった今も、かつて子供兵だった者は、悪夢や頭痛に苦しんでいる。少し前までは、モザンビークで観光旅行など考えられなかったらしいが、復興が進み、経済成長も好調で、近年は観光国としても注目されている。しかし、300万個にもおよぶ地雷や、HIVの蔓延などが、復興の障害となっている。民族は、マクア・ロムウェ人など、黒人が99%。ポルトガル系白人は1%以下。公用語はポルトガル語だが、話者は35%。他はバントゥー系の言語やスワヒリ語など。
ここ最近の円安が気になる。つい数日前までUS$1=90円で安定していたのに、今日は94円だ。一時的な変動であればいいのだが。複数の国を渡り歩く旅では、USドルがどうしても必要になる。国境を越える時の入国税やらビザ代やらは、現地通貨ではなくUSドルで支払えと言われることが多い。観光地の入場料やホテル代なども、現地通貨が尽きてしまった場合、USドルでの支払いが可能な国が多い。前回旅した国では、エルサルバドル、パナマ、エクアドルなどは、自国の貨幣が存在せず、USドルを使用していた。あのジンバブエも、自国通貨が使用停止となったので、現在はUSドルが流通している。とにかくUSドルは世界最強で、おそらくアフリカ、中東、アジアでも効力がある。リーマン・ショック以来、アメリカ経済は疲弊しているようだが、それでもこのステータスはしばらくは変わらないだろう。だから、預金はUSドルに切り替えた方がいい。円で預金していてもメリットはない。でも、どうも僕は金融関係にはうとい。ネットでやろうとしても、専門用語がわからずに挫折し、直接銀行に行っても、ちょっと混んでいると「今日はいいや」と諦めてしまう。こういうことになると行動力がとても鈍くなる。90円の時にやっておくべきだった。前回の旅の時は、US$1=115円、AU$1=105円だった。ずいぶん高くつく旅をしたものだ。それに比べれば94円はまだましだ。オーストラリアドルは変動が激しいようで、一時期は50円台まで下がったが、最近はまた上昇中。将来は、中国元が世界最強の通貨になるという話も聞いたが、どうだろうか?