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2014年5月23日金曜日

カンボジア

バンコクからカンボジアへ向かう。

駆動系パーツを一新したおかげで、ペダルがめちゃくちゃ軽くてスムーズ。
道路状況もきわめて良好、追い風&フラット。
1時間で20km以上のハイペース。
ただただ、クソ暑い。





道路状況が良すぎる時って、風景がイマイチなことが多い。
ひたすら畑が続き、地元民と触れ合えるわけでもなく、淡々とこぎ続ける。
でも、純粋に自転車走行を愛する者としては、これもまた良きかな。



タイバーツ。






カンボジアに入国。


国境でビザ取得。
顔写真1枚。
手数料US$20。
滞在許可30日。

カンボジアについて。

6世紀にクメール人による国家が成立し、9~15世紀にアンコール王朝が栄えた。
1887年にフランスの植民地となり、1953年にカンボジア王国として独立。
1970年、将軍ロン・ノルがクーデターを起こして国王シハヌークを追放し、クメール共和国を樹立。
中国に亡命したシハヌークは、毛沢東に心酔したポル・ポト率いる共産主義勢力クメール・ルージュの助けで帰国し、ロン・ノル政権と内戦になった。
親米国家であったロン・ノル政権は1975年のベトナム戦争終結とともに追放され、1976年にポル・ポトによる民主カンプチアが建国された。
都市から農村への強制移動、強制労働、知識人や富裕層の処刑、貨幣制度の廃止など、ポル・ポトによる極端な原始共産主義社会への回帰政策で、120~170万人が命を落とした。
当時のカンボジアの人口は800万人で、国民の5人に1人はポル・ポトに殺されたことになる。
1978~1991年に内戦が起こったが、1993年にシハヌークが国王に再即位し、カンボジア王国を再建。

クメール人86%、ベトナム人5%、華僑5%。
仏教95%、イスラム教4%。
公用語はクメール語(カンボジア語)。

また右側通行に変わった。


セブンイレブンが消え失せ、スーパーも見当たらず。
近代的ではないが、かといって貧困のドン底という感じでもない。
タイとミャンマーの中間ぐらい、が第一印象。

意外に道路状況も良好。


民家から子供たちが「ハロー! ハロー!」と手を振ってくれる。
タイやマレーシアではなかった現象。

英語は、タイに比べたら通じやすい。

えんえん追い風&フラットで、怖いくらいハイペース。
でも、いくら調子良くても、とにかくこのクソ暑さにやられるので、100km進んだらもうストップ。


9000リエル(230円)。

ご飯たっぷり、おかずちょこっと。
おかずは、見た目に反して辛かった。
まだまだ、唐辛子文化圏から脱出できない。

カンボジアの通貨リエルは非常に貧弱なので、USドルの通用度が高い。
ホテルはもちろん、レストランや売店でも、ドルでの支払いが可能。
お釣りはリエルでくることが多いので、わざわざ両替しなくても手持ちのドルを崩していけば自然とリエルがたまっていく。
ATMからはドルのみ引き出し可能と聞いたが、まだ試していない。

ちなみに、1リエル=0.0256円=US$0.0003。
貧弱でもなんでもいいから、とりあえずデノミしてくれ。

会計の際は0を2つ切り捨てて言われる。
「90」と言われて、「・・・ドルなのかリエルなのか、まさか90ドルでもないし90セントでもないだろうから、9000リエルか、とりあえず払ってしまいたいけどぼったくられるのは嫌だから一応計算しよう、9000リエルを日本円に換算すると、0.0256をかけて・・・」という思考を瞬時にこなすのはまだムリで、ちょっとうろたえる。











時々からんでくる人に、クメール語を教えてもらう。


やはりそう甘くない、ここはかの有名なアンコール・ワットへとつながる幹線道路なのだが、不意に未舗装になってしまった。


内戦後の国の再建が大変であったろうことは想像に難くない。
ポル・ポト政権による非効率的な農業で土地は荒廃し、長期にわたる内戦で無数の地雷が埋まったまま。
知識人や技術者たちは反乱を起こす可能性があるとみなされて処刑されてしまった。
インフラを整備するには外国からの援助に大きく依存せざるをえなかったはず。
いまだ発展の途上であるとは思うが、一度ドン底まで堕ちて、よくここまで築いてこれたなと感心する。




Siem Reap, Cambodia

12978km



2014年5月20日火曜日

セルビアの洪水

セルビアとボスニア・ヘルツェゴビナで、ここ120年で最悪といわれている洪水が発生しています。



現在死者は20~40人、1万5千人が避難しているとの情報。

AFPBB News

首都ベオグラードは大きな被害はないようで、友人のジェリコと連絡をとって詳細状況を聞いています。
多くの人々が家を失い、家畜も死に、伝染病などの二次災害も懸念されます。
敵対関係にある隣国のクロアチアも、今回ばかりは支援に乗り出しているそうです。

自転車盗難事件で奇跡を起こしてくれたセルビア。
一旅行者のトラブルのために、国ぐるみで助けてくれるような人たちです。
大変な親日国で、東日本大震災でも多大な支援をいただきました。

震災時のセルビアからのメッセージ

なんとか力になりたい。

在日セルビア大使館が募金口座を開設しました。
どうかご協力お願いします。

セルビア洪水復興支援募金受付


Bangkok, Thailand



バンコク 7

結局タイヤは見つけられなかったが、ひと通りやるべきことを終えて、少しの間バンコクでダラっとすごした。
相変わらずタイグリーンゲストハウスはクセのある旅人(または在住者)が多く、日本人旅行者も何人かいて、少し行動をともにした。



5月10より、タイへのノービザ陸路再入国が禁止された。
ビザランを繰り返して長期滞在する外国人を取り締まる目的のようだ。
すでに、再入国を拒否されて隣国で立ち往生している外国人の事例が出ている。
僕がミャンマーからタイに再入国したのが5月6日。
たまたまギリギリセーフだった。

ここ最近、タイ入国に関するルールが厳格化されて、混乱が生じている。
8月からは空路での入国も厳格化されるという情報もあり。
ソース → http://www.guesthousetoday.jp/archives/1002951021.html

ミャンマーも開放の途上にあるし、東南アジアに来られる際は、古いガイドブックは参考にせず、最新情報をチェックしてください。



反政府デモは日常的におこなわれている。



1ヶ月前に来た時もそうだったが、デモ周辺は道路が閉鎖されており、自転車で市街地を走っているといちいち廻り道するハメになる。



世界旅行を始めたばかりのミノリさんとカオサンロードを散策した。
「虫とかサソリとか売ってるよ」と言ったら喜んで買って食べてた。
僕も久しぶりにちょっと買ってみた。


2012年にトルコで出会った中国人旅行者と偶然バッタリ再会。



Bangkok, Thailand

12572km



2014年5月17日土曜日

パーツ交換



クランク・ペダル交換。


僕の記憶では、3段クランクはTIAGRAまでで、105以上は2段クランクしかなかったはず。
最近つくるようになったのかな、それとも記憶違いかな。
でもあってよかった。

BBもクランクセットに含まれていた。


スプロケット・チェーン交換。


総額6563バーツ(20508円)。
店員はなんだか頼りない感じで不安だったのだが、意外にもちゃんと約束通りの日に完璧に調整して仕上げてくれた。

店員は自転車を持ち上げるたびに「Oh! Heavy!」、「Oh! Heavy!」とうるさい。
荷物を積んでいない状態でも、この自転車の重さは規格外のようだ。

うまいことに、スピードメーターのブラケットのみが売っていた。
本体は壊れておらず、 接触だけの問題だったので、丸ごと買い換えずにすんだ。

残念ながら、SCHUWALBEのタイヤがなかった。
他の店も1、2軒見てみたのだが、まだ発見できない。
SCHUWALBE以外のタイヤは使う気になれない。
どこかにないかなー。


Bangkok, Thailand



2014年5月15日木曜日

初めてのパスポート増補

パスポートのページ数が残り少なくなってきたので、日本大使館に行ってページを増補してきた。
バンコクの日本大使館は想像以上に立派でちょっと怖気づいたが、それほど厳重でも厳格でもなく、スムーズにできた。

必要な物はパスポートだけ、受付に置いてある申請書に記入し、手数料780バーツ(2450円)支払う。
所要わずか10分。
10分で2450円も稼げちゃうのか。

文字通り、パスポートに新たなページをくっつけてくれる。
40ページ増えた。


Bangkok, Thailand



2014年5月14日水曜日

アユタヤ歴史公園(世界遺産)

バンコクの北約80km、アユタヤ。
14~18世紀にアユタヤ王朝の都であったが、ビルマによって滅ぼされ、その後廃墟となった。

ワット・マハータート。












ワット・プラシーサンペット。










文字? それとも横断歩道?

文字です。

ちょうど1ヶ月ぶりに、バンコクに戻ってきた。
前と同じ宿、タイグリーンゲストハウスにチェックイン。
150バーツ(471円)。
ボロくてエアコンなしだけど、なんかここは落ち着く。

1ヶ月前、いつもリビングの一番いいポジションを陣取ってネトゲばかりやっていたアメリカ人のおっさん。
まだいる。
まだネトゲやってる。
何者だ?
他にも見おぼえのある顔がちらほら。
暑いのに、こんなとこで長期滞在してる人多いんだな。

僕は長期滞在はしないが、疲れたのでちょっと休養をとりたい。


Bangkok, Thailand

12551km



2014年5月13日火曜日

1100kmの後戻り 3

タイに再入国。

旅の感動の度合いとしては、タイよりミャンマーの方がはるかに上なのだが、なにかと楽チンな高度文明社会にホッと安心してしまう自分というものも確実に存在している。

クラクションの鳴らない人間的な音環境で整備された広い路面を疾走し、エアコンの効いたセブンイレブンで涼んでスムージーを飲み干し、停電のない宿で軽快なネットを楽しみたい。

どんな街でも確実に現金が引き出せる、この安心感。
物価はミャンマーの方が格段に安いのだが、持ち金が尽きてしまうことを恐れて出費をセーブしていた。

メシは、確実にタイがウマイ。
東南アジアの中では、タイ料理が暫定1位。
ただし、かき氷に関してはマレーシア。

一方で、言葉の壁によるトラブルや、イヌの襲撃が憂鬱だったりもする。
ちなみに、ミャンマーではイヌに追われることはなかった。
やっぱり国が変わるとイヌも変わる。
まあ、とりあえずクラクションさえ鳴らなければ、あとのことはたいしたことではない。



国境の街メーソット~ターク間の山道は、やはりなかなかあなどれない。
最高標高は800mと全然たいしたことないのだが、激しいアップダウンが数十km続き、しかも汗が滝のように流れ続ける暑さ、そしてこういうしんどい区間に限って店があまりない。

途中、何度か車が止まって「乗って行きなさい」と言ってくれたが、もちろん丁重にお断りした。
冷たい水を差し入れてくれる人もいて、これはありがたくいただいた。

雨雲が現れ、雷光も見え始めた。
5月から雨季だと聞いていたが、ようやく降ってくれるのか。
大歓迎だ、冷やしてくれ、体を冷やしてくれ。

と思っていたのだが、いざ雨に降られると、やっぱ冷たいや。
カッパは着た方がいいです。

車のルーフの上のミャンマー人たちはどうしていることだろう?

最後の登りを越えて、あとは下るだけ。
しかし、下り途中、タークまであと20kmというところで脱水症状っぽくなったので、ストップ。
体力に限界がくるのは、必ずしも登りの時とは限らないのだ。

レストランで食事をして、「ここでキャンプさせてください」とお願いした。
水浴びもさせてもらい、車中泊ならぬ車上泊。


どうがんばってもこの暑さでテントを張る気にはなれなかったので、適当なところにマットを敷いて寝ようとしたら、「車の上で寝なさい」ということになった。

やはりタイでは、他の国々と比べてコミュニケーションをとるのが難しい。
いっそ完全ジェスチャーにしてくれれば一連のやりとりもスムーズにいくと思うのだが、あくまでタイ語で押し通そうとするので、僕としては何を言われているのかさっぱりわからない。
僕は可能な限りシンプルな英語で対応するのだが、まったく通じない。
「そんなところに寝ないで車の上で寝なさい」という結論をお互いにわかりあえるまで長時間に渡ってすったもんだした。

レストランや屋台なんかでも、 こちらがタイ語を話せないとわかった時点でまともに応対してくれずに無視したり、たしかに注文したはずなのにいくら待っても一向につくり始めようとしなかったり、といったことがタイでは多い。
タイは場所によってはグルメ天国だが、場所によっては一食ありつくまでに時間と忍耐を要する。
もちろん、言葉は通じなくてもわかりやすく親切にしてくれる人も多い。

タイ語は、中国語に似て発音が難しい。
ガイドブックに載っている会話例をそのまま読み上げても、通じないことが多い。
僕はまだ、あいさつと食べ物以外の言葉は言えない。
まあ、だいたいどこの国に行ってもそれぐらいしかおぼえられないのだが。





カムペーンペットという街で連泊。
観光も街歩きもまったく何もせず、ただひたすら休むというのは久々かもしれない。
起きたら夕方の4時だった。

この街は焼肉食べ放題があって、店の人は僕のことをおぼえてくれていた。
準備の際も会計の際も、こちらから何も言わなくても事を運んでくれた。

改めて、タイの焼肉はウマイ。
焼肉にパクチー、というのが新鮮だ。
パクチーって、なんで日本で普及しないんだろう?
肉でも麺でもライスでもスープでも、何にでも合うと思うんだけどな。

次の街ナコンサワンでもまた連泊。
疲れがたまってるな。
ちょっとダラけたい気分だけど、田舎街は安宿がないので、なかなか長居もできない。

本当に厳しい暑さだ。
毎日カンカン照りで、雨季どころか日に日に暑さが厳しくなっているようにも思える。
走行条件は良好なのだが、暑さでやられる。
11~15時ぐらいが特に厳しく、20分ごとに立ち止まって水分補給しなければやっていけない。

自転車のフレームにペットボトルを装着できるようになっているが、今はまったく使っていない。
外に出しておくと、あっという間にお湯と化してしまうからだ。
日本で買った食料保存用バッグが、一応保冷性があり、重宝している。
ドリンクはできるだけこのバッグに詰め込んでいる。

今日は仏教の日、らしい。
仏教の日は酒類の販売が禁止になるが、僕は酒も飲まないし仏教徒でもないので、あまり関係ない。


Ayuthaya, Thailand

12474km



2014年4月23日水曜日

ミャワディ

タイ側のイミグレーションは長蛇の列。


僕は外国人用の窓口に通され、待たずにすんだ。

橋を渡って、ミャンマーへ。


長らく軍事政権によって鎖国的政策がとられていたミャンマーであるが、国境は特に緊張感もなく、係員が親切に案内してくれて、スムーズに入国完了。

ミャンマーについて。

9世紀からビルマ族による王朝が成立し、19世紀にイギリスの植民地となった。
第二次大戦ではアウンサン率いるビルマ独立義勇軍が日本軍と共に戦ってイギリスを追放し、1943年に日本の後押しでビルマ国が建国された。
日本が敗戦したことで再びイギリス領となったが、1948年に独立が実現してビルマ連邦となった。
1962年、軍部がクーデターを起こして軍事政権となった。
1989年、国名がビルマからミャンマーに変更された。
米英豪などはこの改名を軍部による一方的なものとして認めていない。
今も、白人旅行者と話をすると「Burma」(発音は「バーマ」)と呼んでいる人が多い。
ガイドブックには「Myanmar(Burma)」と併記されている。

1990年の総選挙ではアウンサンの娘アウンサンスーチーが民主化の指導者となって圧勝したが、軍部は政権を移譲せず、民主化勢力の弾圧を始めた。
大規模なデモが起こることもあり、その際は軍部による武力弾圧がなされて多数の死傷者を出し、日本人ジャーナリストが犠牲になったこともある。
2008年に制定された新憲法によって民主化が計られるようになり、アウンサンスーチーへの弾圧を繰り返しながらも、軍事独裁から民主政治へと移行しつつある。

ビルマ族68%、他にシャン族、カレン族、ラカイン族、モン族、華僑、印僑など。
仏教89%、キリスト教4%、イスラム教4%。
公用語はビルマ語。



雰囲気がガラリと変わった。
経済水準は落ち、交通はゴチャゴチャ、クラクション再発。
インド・ネパールに戻ったかのようだ。
しかし、モンゴロイド系で仏教圏であるためか、人は東南アジア寄り。
気さくに声をかけてくれて、僕が日本人だと答えると、「コンニチハ」、「アリガトウ」などと言ってくれる。
でも、所かまわずツバを吐きちらすところなんかは南アジア的だ。

まずは現金調達。
ミャンマーチャットは国外持ち出し禁止のため、あらかじめ用意しておくことができない。
ATMがあれば問題ないが、街で唯一のATMは故障中。
両替屋はたくさんある。

US$300を両替したら、こんなにドッサリきた。

ウズベキスタンかよっ!

最高額の1000チャット紙幣が106円ほどの価値。
どこにしまおうかな、この札束。

両替は基本的にUSドルのみで、しかも折り目や破れや落書きのないきれいな紙幣でないとダメらしいと聞いていたので、バンコクできれいなドル紙幣を用意しておいた。
でも、おそらくタイバーツも両替可能。
日常的に多くのタイ人が越境しているようだし、買い物をするとお釣りがタイバーツで来ることもある。

この日は国境を越えただけでほとんど走行していないが、ちょっと疲れ気味だったし宿もあるようだったので、国境の街ミャワディで1泊。

宿の屋上から。


なんと右側通行。
イギリス植民支配を経ていたら左側通行だと思っていたのだが、違うのか。
でも建物のフロアの数え方はイギリス式で、2階が1階、3階が2階、となる。
僕の部屋は4階、つまり実質5階で、エレベーターなし。
エアコンあり、Wi-Fiあり。

国境の川。

子供たちが泳いでいる。
水深は浅いし、ボートもあるし、簡単に不法出入国できそうだ。









































英語はタイよりずっと通じやすい気がする。

ユニークなビルマ文字。




視力検査じゃないですよ。


何%オフなんだろう?


数字もミャンマー人が書くとなんだか丸っこい。


ちなみに、Google翻訳はビルマ語をカバーできていない。









































卵とじチャーハン。

チャーハン2500チャット(266円)、スプライト250チャット(26円)。
味はタイや日本のチャーハンと似ていておいしい。
スプライトはタイからの輸入品で、タイ語で書かれている。

一品だけ頼んだのに、こんなに来た。

食べた分だけ支払う仕組みなのかな。

スーパーもコンビニもない。
冷えたドリンクは小サイズばかり。
冷えた大ペットボトルをガブ飲みするのは当分おあずけになりそうだ。

でも、今のところ停電もないし、水も出る。


Hpa An, Myanmar

11220km