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2010年5月10日月曜日

イメージ エジプト 2

よく知られているように、エジプト文明はナイル川によって育まれ、四大文明のひとつとなるほど高度に発展した。
ナイル川は毎年7月中旬に氾濫する。この時に上流から肥沃な土壌が運ばれ、農耕に適した土地が維持される。
氾濫の時期を知るため、1年を365日とする太陽暦(シリウス暦)がつくられた(BC3300年頃)。これは現在のグレゴリオ暦の原形であり、また天文学の歴史の始まりともいえる。
氾濫後に農地を元通りに配分するため、測量と幾何学も発展した。
ビールの生産(BC3800年頃)、ワインの生産(BC3500年頃)、ヒエログリフの文字体系の確立(BC3300年頃)、三大ピラミッドの建造(BC2550年頃)、などもエジプト文明の特徴。

国土の90%が砂漠(広義のサハラ砂漠の一部)だが、ナイル川流域だけ豊かなのが上空写真でもよくわかる。


古代のエジプト文明は有名だが、現代のエジプト人は何をして生きているのだろうか?
国の経済を支えているのは、観光業とスエズ運河の通行料。
石油や鉱物もあるが、周辺の国と比べると少ない。

大半がアラブ人。あとは少数のヌビア人、ベルベル人、ベドウィンなど。
90%がイスラム教スンニ派。9%がコプト教(エジプトで独自に発展したキリスト教)。
公用語はアラビア語フスハー(正則アラビア語)。実際に話されているのはアラビア語エジプト方言。

1922年にイギリスから独立。
4度にわたる中東戦争の末、1979年にイスラエルと平和条約を結び、アラブ連盟から追放された。
1989年にはアラブ連盟に復帰したが、1991年の湾岸戦争ではアメリカ率いる多国籍軍に協力した。
敵対したり、寄り添ったりと、政情は安定しない。
アルカイダを中心とするイスラム原理主義が潜伏しており、1997年のルクソール事件では日本人10名を含む外国人旅行者61名とエジプト人警官2名の計63名が死亡、85名が負傷した。
現在もカイロやシナイ半島などで、旅行者を巻き込むテロや誘拐などが絶えない。



2010年5月7日金曜日

イメージ エジプト 1

無事にスーダンを抜けることができたら、世界一長いナイル川(6650km)に沿って地中海まで北上する。
アブ・シンベルやルクソールなどの世界遺産、数多くの失敗ピラミッドなどを見て、そしてギザにたどり着く。
ギザのピラミッドがどれだけすごいものなのか、実際にこの目で見てみたい。
でも、今までの経験上、観光客でごった返すような有名なスポットは居心地が悪すぎて感動できたためしがないので(マチュピチュがその最たる例)、期待しすぎはよくない。
無事にスーダンを抜けることができなかったら、飛行機でカイロに飛ぶことになると思う。この場合は何の変哲もない観光旅行となる。

カイロの東にはスエズ運河がある。
1869年開通。地中海から紅海にかけての163km、ヨーロッパとアジアを結ぶ航路のショートカットとなる。
もしスエズ運河がなかったら、船は喜望峰経由で周回しなければならない。

アフリカ大陸からアラビア半島を引き裂く紅海は、世界一の透明度ともいわれ、カラフルな魚とサンゴが豊富で、ダイビングのスポットとして有名なリゾートとなっている。
きれいな海は見てみたいが、自転車旅行者はどうもリゾートが苦手で、敬遠してしまう。

アフリカ大陸とアラビア半島の間には、逆三角形のシナイ半島がある。
預言者モーセが、虐げられていたユダヤ人をエジプトから脱出させてシナイ半島に渡り、シナイ山で十戒を授かった、という旧約聖書の「出エジプト」の舞台。
シナイ半島は、古代から様々な国の争奪地であった。
1967年の第3次中東戦争でもイスラエルに占領されたが、1979年にエジプトに返還された。

シナイ半島の東にはイスラエルがある。
この国は避けなければならないので、ヌエバという港町でフェリーに乗り、アカバ湾を渡ってヨルダンへ向かう。

エジプト 地図  エジプトの位置



2010年5月3日月曜日

イメージ スーダン 2

・中国
スーダンを語るうえで、中国の存在は無視できない。
中国国有石油会社の国外進出はすさまじいものがある。イラン、イラク、スーダンなど、アメリカが「テロ国家」と名指しして国交を断絶したスキを狙って攻め込み、まんまと中国はこれらの国の石油採掘権を獲得してきた。
なかでもスーダンは、欧米の企業が内紛を理由に投資を控えてきたこともあって、中国の一人勝ちのようだ(インドの進出も相当なものらしいが)。数万人もの中国人がスーダンに移住し、大規模な開発が進められている。
中国のおかげでスーダンの経済は急成長しているが、スーダン政府は石油で得た収入で大量の兵器を中国から購入している。ダルフールで使用される兵器のほとんどが中国製である。
中国は、ダルフールへの国連軍の派遣には拒否権を行使し、スーダンへの制裁に関する決議には棄権をしている。紛争が終わってしまったら兵器が売れなくなる、ということだろう。
スティーヴン・スピルバーグは、中国はスーダンへの影響力を行使して平和維持軍の受け入れを促すべきだ、という書簡を胡錦濤に送った。スピルバーグは北京オリンピックの芸術顧問に要請されていたが、中国政府の対応を批判して、これを辞退した。(アメリカこそ世界最大の兵器輸出国なのだが。)
先月、4月20日のニュースによると、中国外務省は、「スーダンの平和プロセスの推進に引き続き積極的で建設的な役割を果たしたい。」と言った。いったい誰がこんな言葉を信じるだろうか?
人命や人権より国益を優先するという意味で、中国とスーダンの思考回路は同じである。それは、チベットやウイグルに対する中国政府の仕打ちを見れば明らかである。

・バシル大統領
1989年にクーデターを起こして権力を掌握して以来、バシルは独裁体制を断行してきた。
2009年、ICC(国際刑事裁判所)は、ダルフールにおける人道に対する罪でバシルに逮捕状を出した。
しかし、バシルはICCなど認めていないと逆に非難し、捕まる心配のないICC非締約国を周遊した。
中国やロシアという強大な後ろ盾があり(ロシアもスーダンを支援している)、アメリカもこれらの国との全面衝突は避けるため、バシルを逮捕できる可能性は低い。
バシルは、捜査に協力したと言いがかりをつけて国際支援団体を追放した。470万人がNGOの支援を受け、難民キャンプでは270万人が生活しているにもかかわらずだ。これも行為としてはジェノサイドに等しい。
そして先月、24年ぶりに大統領選挙が行われ、バシルが再選された。(日本のメディアは「バシル氏」と呼ぶらしい。)
公正な選挙が行われる環境であるはずもなく、明らかな不正、政治弾圧、人権侵害、ボイコットがあったと、国内外の選挙監視団から報告があった。
現在、各地で混乱、衝突が起きている。
ちなみにバシルは、「世界最悪の独裁者ランキング」で2005年から毎年、金正日と1、2位を争っている。
(2009年はジンバブエのムガベが1位に躍り出た。)
またスーダンは、「世界失敗国家ランキング」で2005年から毎年ワースト3にランクインしている。
(ワースト10のうち7国がアフリカ、3国が中東。)

最悪の大統領といえば、4月28日のニュースによると、南アフリカのズマ大統領が過去にレイプ経験があることを公表した。被害の女性はHIV感染者だったが、「すぐにシャワーを浴びたので大丈夫だった。」と堂々と言ってのけた。
アフリカのこのぶっ飛んだ常識の違いを、どう解釈したらいいだろうか?
南アフリカでは、男性の27%がレイプ経験者で、540万人がHIVに感染している(世界第1位)。
HIV感染率の高い国トップ10はすべて、アフリカのサハラ以南にある。



2010年5月1日土曜日

イメージ スーダン 1

面積は日本の6.6倍、アフリカ最大の国土。
アラブ系39%、アフリカ系黒人52%。
公用語はアラビア語と英語。
イギリスとエジプトの共同統治であったが、エジプトはイギリスの保護国であったため、実質的にはイギリスの支配下にあった。
1956年に独立。

・南北内戦
アラブ世界とブラック・アフリカをまたぐスーダンでは、独立以前から「北部アラブ人vs南部黒人」の対立があった。もっともこれはイギリスの分割統治、つまり、支配しやすくするために意図的に対立関係をつくるという、他の多くの植民地でも使われた戦略によるものであった。これが内戦の引き金となる。
南部には豊富な石油資源と地下水脈がある。スーダン政府はアラブ人で構成されているため、これらの恩恵をアラブ人が黒人から搾取するような開発をしたり、強引にイスラム化を推進したりした。これに黒人が反発し、ゲリラ闘争を展開した。
第1次内戦(1955~1972)と第2次内戦(1983~2002)で、200万人が死亡、600万人が難民となった。
2004年に和平協定が調印された。

・ダルフール紛争
内戦が終息に向かってめでたしと思いきや、2003年にダルフール紛争が表面化した。
西部のダルフール地方では、1990年代からジャンジャウィードと呼ばれるアラブの民兵組織が黒人の村を襲撃していたが、同じアラブである政府がこれを援助して次第に激化し、ダルフールは黒人虐殺の舞台となっていった。
2003~2008年で30万人が死亡した。
一方的な虐殺だけでなく、レイプ、略奪、破壊が繰り返され、「史上最悪の人道危機」ともいわれた。
ダルフール紛争は内戦ではなく、民族浄化を目的としたジェノサイドである。
そして、現在も続いている。

これほど深刻な状況でありながら、国際社会の対応は著しく遅れた。
国連やAU(アフリカ連合)は、これがジェノサイドであるかどうかの判断にしばらく迷っていた。
アメリカがいちはやくジェノサイドであると宣言したが、ブッシュ政権は、すでに始まっているジェノサイドの阻止よりも、根拠希薄なイラク戦争を起こした。世界もそっちに注目した。
1994年のルワンダ虐殺という前例がありながら、国際的な対応が遅れたために多くの命が見殺しにされた。
日本の対応、報道が不十分なのはいうまでもない。これほどの惨劇が大々的に報じられない日本は、まったく別次元な問題がある。

  スーダンの位置   



2010年4月26日月曜日

グレートリフトバレー(アフリカ大地溝帯)について

南はマラウイ湖から北はイスラエルの死海まで、長さ7000kmにわたってアフリカを縦走するプレート境界。
このラインには、キリマンジャロをはじめとする高山、高原、断崖、そして多くの湖が点在している。
この隆起が、生物の移動や風を遮断するため、その東側と西側とでは生態系も気候も異なっている。
800万年前から形成され始め、現在も1年に数ミリずつ東西に裂けている。
このままいけば数百万年後にはこの東側は完全にアフリカ大陸からちぎれてしまうことになる。



グレートリフトバレーの東側は化石人骨が多く出土することでも有名であり、「人類の起源の地」とされている。

1982年にイブ・コパンが提唱した「イーストサイドストーリー」は、よくできた、説得力のある仮説であった。
グレートリフトバレーの出現によって、湿った西風が遮断されたため、東側は森林が消え、乾燥したサバンナとなった。もともとそこの森林で樹上生活をしていたサルは、陸上での生活に適応すべく、二足歩行を始めた。これがヒトの始まり、という説。

しかし、このイーストサイドストーリーにとって不都合な事実がいくつもでてきた。
まず、大きな隆起が始まったのは400万年前だが、それ以前の600万年前にヒトはすでに二足歩行していた。
二足歩行を始めたであろう当時の化石で、森林に住んでいた動物と一緒に発掘されたものもある。
また、東側の乾燥化は300万年前から始まったが、完全にサバンナになったわけではなく、森林もかなり残存していた。

そして2001年、「ウェストサイド」であるチャドで、600~700万年前に二足歩行していた猿人の化石が発掘された。
これは「トゥーマイ猿人」と名付けられ、ヒトの直属の祖先である可能性が高いという。
今でこそサハラ砂漠が広がるチャドだが、魚やワニの化石も一緒に発掘されたことから、当時は湿潤な地域であったようだ。

これが決定打となり、イーストサイドストーリーは破綻した。コパン自身も、撤回を表明した。
人類発祥は、アフリカ東部ではないのか?

僕の高校時代の教科書には、人類の出現(アウストラロピテクス)は400万年前と書いてあった。
それが今や700万年前までさかのぼってしまっている。これからも変わり続けるだろう。
トゥーマイ猿人の発見は学界の常識をくつがえすものであったため、認めない学者も多いという。
人類学や考古学の世界は、しばしば捏造もあったりする。素人としては、何を信じていいやらわからない。
ヒトは水辺で進化したという「アクア説」も興味深いが、これは完全否定する学者も多く、異端視されている。



2010年4月20日火曜日

イメージ エチオピア

世界最大のサハラ砂漠(日本の24倍)は、生物の移動を遮断してきた。
たとえば、ライオンをはじめとするアフリカの代表的な動物の多くはサハラ以北には生息していないし、逆に、クマはサハラ以南には生息していない。
人は、大ざっぱに言ってしまえば、サハラ以北がアラブで、サハラ以南がブラック・アフリカと呼ばれている。

エチオピアは、その中間というか、はずれというか、どちらともいえない異色の国である。

・戦時中に一時的にイタリアの植民地になったものの、3000年もの歴史をもつアフリカ最古の国。
・オロモ、アムハラ、ティグレ、ソマリなど、83の民族。
・公用語はアムハラ語。これはエチオピア以外では使われない。
文字はこんな感じ→የኢትዮጵያ ፈደራላዊ ዲሞክራሲያዊ ሪፐብሊክ 読めるわけない。英語はあまり通じないらしい。
・宗教は、エチオピア正教会という、独自に発展したキリスト教。
・キリストの生誕年の解釈が違うとかで、グレゴリオ暦ではなくエチオピア暦を使っている。
・ケニアと同じく、熱帯に位置するが標高が高いため、冷涼な気候。
・70年代と80年代に大飢饉を経験して以来、厳しい経済状態が続いている。
現在は経済成長はしているものの、最貧国のひとつである。

東部は、隣国のソマリアと同じソマリ人が多く、エチオピアからの解放を目的とするソマリ人の反政府組織、オガデン民族解放戦線(ONLF)がエチオピア政府軍と衝突している。
ソマリアは無政府状態が続いていて、国境はあってないようなもので、犯罪者はたやすく国外逃亡できる。
2009年には「世界の医療団」に所属する日本人女性がエチオピア東部で誘拐され、そのままソマリアに連行されたが、3ヶ月半後に無事解放された。
外務省は、東部の広範囲に「退避を勧告します」を発令している。

北部は、1993年まではエチオピアの一部であったエリトリアと、国境の画定で紛争が続いている。
外務省は、エリトリアとの国境付近に「退避を勧告します」を発令している。

僕は西のスーダンへ向かう予定だが、その国境付近には「渡航の是非を検討してください」が発令されている。
南のケニアとの国境にも、「渡航の是非を検討してください」が発令されている。

気が重い。

エチオピア連邦民主共和国地図  エチオピアの位置



2010年4月16日金曜日

南アフリカは悪いニュースばかり

・白人至上主義団体AWBの議長を黒人2人が殺害(4月3日)
容疑者が搬送された裁判所の外に数百人の黒人と白人が集まって挑発しあい、緊張が高まっている。

・外国人排斥が激化(4月2日)
ジンバブエ人が石を投げられて死亡した。現地人は仕事がないのに、外国人が仕事をしていることへの恨み。

・最近の若者の傾向は、アルコール、ドラッグ、首絞めゲーム(3月25日)
首を締めて意識を朦朧とさせてドラッグと似た快感を得る遊びが、学校で流行っている。

・暴力行為は世界平均の7倍、アルコール摂取は国家危機レベル(3月5日)
男性の死亡原因の第2位が暴力。その多くが飲酒中の暴力。国民の4分の3が危険なレベルまで飲酒する。

・交通事故に遭う確率は101分の1(1月26日)
世界平均は5000分の1。

諸悪の根源はやはり人種差別にある。
AWB議長殺害の詳細を読んでみると、アパルトヘイトの精神がまだまだ健在、どころか、アパルトヘイト時代のような白人国家を復活させようという風潮すらあるようだ。

いいニュースはないものか?

チベットの地震も気になる。



2010年4月13日火曜日

イメージ ケニア

アフリカの代表ともいえる国。
赤道が通過しているので熱帯のイメージがあるかもしれないが、国土の大部分が標高1000m以上の高原であるため、一年中すごしやすい気候。(エクアドルのキトもそうだった。)

・アンボセリ国立公園
キリマンジャロの噴火によってできたアンボセリ湖が干上がった平地。アンボセリ湖は雨期のみ出現する。
キリマンジャロはタンザニアにあるが、その姿はケニア側のこのアンボセリから見るのが最も美しいらしい。
今年の2月のニュースによると、大干ばつによって草食動物の8割が死滅し、餌不足になったライオンやハイエナが人間の集落を襲うのを防ぐため、別の場所からシマウマ4000頭とヌー3000頭を輸送する、という大変な事態になっている。

・マサイマラ国立保護区
タンザニアのセレンゲティと隣接する大サバンナ地帯。見渡す限りの大草原。
ケニア髄一の動物の多さ、とりわけライオンが多いことで知られている。

・ナクル湖国立公園
ソーダ性の湖で、そこに生息するプランクトンがピンクの色素を持つため、それを食べるフラミンゴもピンク色になり、とにかく湖一面がピンクに染まる。フラミンゴの多さでは世界一といわれている。
フラミンゴ以外でも、他の地域では見つけにくい動物が高確率で見られる。

・ケニア山国立公園(世界遺産)
アフリカ第2の高峰(5199m)。登頂するには高度なクライミング技術が必要。

1963年にイギリスから独立。
独立以来内戦が一度も起きていない、アフリカでは平和な国であるはずだが、治安が良いとは思えない。
首都のナイロビは、東アフリカ最大の都市であるが、危険都市としても有名。
1998年、ナイロビにあるアメリカ大使館が、ビン・ラディン率いるアルカイダによって爆破された。
2007年の大統領選挙では、集計で明らかな不正が行われたとして暴動が起き、1500人が死亡、30万人の国内避難民が出た。
北部は全体的に危険地帯で、外務省は「渡航の是非を検討してください」を発令している。僕のルートでは、この辺から緊張感が漂い始める。
東部はソマリアと接しており、国境付近は「渡航の延期をお勧めします」が発令されている。もちろんそっちには行かない。

キクユ、ルヒア、ルオ、カレンジンなど、42の民族がいる。
オバマ大統領の父親が、ルオ族である。
かの有名なマサイ族もいる。かれらに関しては様々な逸話があるが、メディアに取り上げられて有名になったことで、かれらの存在自体が観光客のための見せ物になってしまっているのは気に入らない。
でも一応見てみたい。

国語はスワヒリ語、公用語は英語。あとは各民族の言語。

ケニア共和国地図  ケニアの位置 



2010年4月11日日曜日

イメージ タンザニア

アフリカ旅行の最大の目玉となるのが、タンザニアとケニアであろう。
最もアフリカらしい大自然と文化に、どうしても期待が高まる。
絶対に外せない見せ場も多い。

・キリマンジャロ国立公園
言わずと知れたアフリカ最高峰(5895m)。
東アフリカのシンボルともいえる景観、そして五大陸高峰のうち唯一、素人でも登れることで人気がある。ただし、ライセンスを持ったガイドの同行が義務付けられている。高山病や事故で命を落とす人も少なくない。入山料や山小屋の宿泊費やガイド代など、総額で5~6万円かかる。ちょっと厳しい。
「キリマンジャロ」はスワヒリ語で「輝く山」という意味。これは山頂の氷河を指しているのだろうが、温暖化によって縮小し、あと数年で消滅するともいわれている。

・セレンゲティ国立公園(世界遺産)
キリマンジャロの裾野に広がる大サバンナ地帯。
ビッグ5(ゾウ、サイ、ライオン、ヒョウ、バッファロー)はもちろん、35種類300万頭の哺乳類が生息する。
なかでも、毎年2度の雨期に見られるヌーの大移動が有名。僕は乾季に行くので見れない。残念。
「セレンゲティ」はマサイの言葉で「果てしない草原」という意味。

・ンゴロンゴロ自然保護区(世界遺産)
火山による巨大なクレーター(平均直径18km)に、2万5千頭の大型哺乳類が生息する。
多くはこの外部に出られないため、周囲と隔絶された生態系が形成されている。

・ヴィクトリア湖
アフリカ最大、淡水湖としては世界第2位の面積。琵琶湖の102倍。
ナイル川の源流のひとつであり、はるか彼方の地中海に注がれる。
100万年の歴史をもつ古代湖で、多くの固有種が生息するが、近年は外来種によって数百種が絶滅したといわれている。
住血吸虫がいるので人間は泳ぐことはできない。

1964年、ドイツ領タンガニーカとイギリス領ザンジバルが合併し、タンザニア連合共和国として独立した。
当初は社会主義であったが、80年代の石油危機を契機に市場経済へと転換し、現在は順調に経済成長している。
観光業、コーヒー、宝石のタンザナイトなどが有名。

95%が黒人。スクマ人、ハヤ人、ニャキュサ人、ニャムウェジ人、チャガ人など、約130の民族。
国語はスワヒリ語、公用語は英語。あとは各民族の言語。
「サファリ」はスワヒリ語で「旅」を意味する。

タンザニア連合共和国地図  タンザニアの位置



2010年4月5日月曜日

イメージ マラウイ

マラウイ湖に寄り添うような縦長の国。

マラウイ湖はアフリカ大地溝帯の南端に位置する。
南国の海のように美しく、その一部は世界遺産にもなっている。
魚も豊富で、淡水魚とは思えないほどカラフル。固有種が多い。
誰もがそこで泳ぎたくなるような魅力があるが、人間の膀胱に寄生するビルハルツ住血吸虫がいる。

1964年にイギリスから独立。
主要民族はチェワ人、トゥンブーカ人、ンゴニ人、ニャンジャ人、ヤオ人など、もうなんだかおぼえきれない。
国語はチェワ語。公用語は英語。あとは部族ごとの言語が多数。
「マラウイ」はチェワ語で「火、炎」を意味する。

最貧国のひとつで、インフラも十分ではない。
90%の地域に電気が通っていない。舗装率は50%以下、携帯電話所持率は10%以下。

マラウイ共和国地図  マラウイの位置



2010年4月3日土曜日

イメージ モザンビーク

元々ポルトガルの植民地だったが、1964年にモザンビーク解放戦線(FRELIMO)による独立戦争が始まった。
ソ連をバックにつけたFRELIMOはポルトガル軍に勝ち、1975年に独立を果たした。

FRELIMOは政権を樹立し、社会主義の路線を推進したが、ポルトガル領時代の秘密警察を母体とするモザンビーク民族抵抗運動(RENAMO)がこれに反発。両者の衝突により、内戦が勃発した。

RENAMOは西欧諸国をバックにつけ、当初は「白人vs黒人」であった一国の内戦が、背後では「西欧vsソ連」あるいは「資本主義国vs社会主義国」という構図の戦いとなった。

1992年、国連の和平協定により内戦は終結した。
社会主義体制は放棄され、複数政党制と自由市場経済が確立された。

長期にわたったこの内戦で、100万人が死亡し、170万人の難民が流出した。
国土は荒廃し、経済は壊滅し、世界最貧国と呼ばれた。

RENAMOは、農村を襲って無差別に殺戮し、子供を誘拐して兵士として仕立て上げていたという。
内戦が終わった今も、かつて子供兵だった者は、悪夢や頭痛に苦しんでいる。

少し前までは、モザンビークで観光旅行など考えられなかったらしいが、復興が進み、経済成長も好調で、近年は観光国としても注目されている。

しかし、300万個にもおよぶ地雷や、HIVの蔓延などが、復興の障害となっている。

民族は、マクア・ロムウェ人など、黒人が99%。ポルトガル系白人は1%以下。
公用語はポルトガル語だが、話者は35%。他はバントゥー系の言語やスワヒリ語など。

モザンビーク共和国地図  モザンビークの位置



2010年3月26日金曜日

イメージ ジンバブエ

ジンバブエといえば、史上最悪のハイパーインフレーション。2008年のインフレ率は2億3100万%。
2008年7月、1000憶ドル紙幣発行。翌月、デノミによって0が10個切り捨てられた。
2009年1月、100兆ドル紙幣発行。翌月、デノミによって0が12個切り捨てられた。
もはやジンバブエドルは完全に価値を失い、100兆ドル紙幣をもってしてもパンひとつ買えない紙クズと化した。

冗談のような話だが国内は深刻だ。
失業率は9割。
国民の7割が飢餓に苦しみ、トウモロコシの粒や昆虫を食べて飢えをしのいでいる。
追い討ちをかけるようにコレラが流行。9万人が感染。4000人が死亡。

そんな中、独裁者ムガベ大統領は、85歳の誕生日の祝宴に2400万円をかけた。
大統領夫人は香港に5億円の別荘を購入。その豪邸を撮影したカメラマンを殴って怪我を負わせた。

ムガベは、1980年にイギリス領南ローデシアからジンバブエを独立させた英雄であった。
その英雄が、イギリスに代わって今度は自分が独裁支配し、国をめちゃくちゃにしている。

事の発端は、2000年に白人の農場を取り上げたこと。
以前は、白人農場主による効率的な農業で収穫を上げ、「アフリカの穀物庫」と呼ばれるほどの農業国であった。
(ただし、これを支えていたのは低賃金で過酷な労働を強いられていた黒人。)
これを強制収用して黒人に分配したことで、白人の持っていた技術やノウハウが失われ、農作物の収量が激減。
そして経済が崩壊した。

2005年には、貧しい都市の露店の強制退去と住居破壊を行い、70万人が家や職を失った。

反体制派への暴行、秘密警察による監視、言論統制、外国メディアの報道規制などにより、不満を言うこともできず、「世界最悪の独裁国家」といわれている。

国際社会からの批判や制裁を受けても、ムガベ大統領は強気な態度をとり続けている。

こんな国を自転車旅行者が通り抜けて良いものか、という疑問はある。

民族構成は、ショナ人75%、ンデベレ人20%。
主要言語はショナ語、ンデベレ語。公用語は英語。
「ジンバブエ」はショナ語で「石の家」という意味。かつてそう呼ばれていた石造建築の遺跡がある。

ジンバブエ共和国地図  ジンバブエの位置 



2010年3月24日水曜日

イメージ ザンビア

ここもなじみの薄い国だと思う。
僕も、ヴィクトリアの滝を見るためにちょっと立ち寄る程度の予定。

ヴィクトリアの滝は、言わずと知れた三大瀑布のひとつ。ジンバブエとの国境にある。
イグアスの滝と並んで世界最大級。ナイアガラの滝は、規模としてはこの2つと比べるとだいぶ小さいらしい。

2~5月の増水期は、水しぶきがすさまじすぎて、滝本体を見ることも難しいそうだ。滝に近づくと、下から上に雨が降るような感じだという。信じがたいが、上空に立ち上るこの水しぶきは、50km離れたところからも見えるらしい。満月の夜には、月明かりで虹が見えることもある。

9~1月までの渇水期は、滝全体を見渡すことができ、滝壷周辺を歩くこともできるが、迫力に欠けるらしい。

中間のちょうどいい時期に行ってみたい。

ザンビアは、1964年にイギリスから独立したが、それ以前は北ローデシアという国名だった。
ちょうど東京オリンピックの最中で、開会式の時に北ローデシアの選手だった人は、閉会式にはザンビアの選手となっていた。

トンガ人、ニャンジャ人など、73の民族がいる。
おそらく同じ数だけの言語があるのだろう。
公用語は英語。

ところで、日本で英語を話せる人って、数字で表すなら何%いるのだろう?

ザンビア人の平均寿命は41歳。世界第2位の短さ。
平均寿命の短い国トップ10のすべてが、アフリカのサハラ以南にある。
主な原因は、貧困による栄養不足、エイズの流行、乳幼児死亡率の高さ、など。
生まれたばかりの赤ん坊が育たずに死んでしまうと、当然平均寿命がぐっと短くなる。
(50年前は、30歳台の国も多かった。これでも寿命は年々伸びているようだ。)

ちなみに、世界一の長寿国は日本。平均寿命82歳。
ザンビア人は日本人の半分しか生きない。
82歳まで生きるのが当たり前の国と、41歳で死ぬのが普通の国とでは、人の生き方も違ってくると思う。

ザンビア共和国地図  ザンビアの位置 



2010年3月22日月曜日

イメージ ボツワナ

あまり知られていない国だが、意外に経済力があり、観光資源もあり、治安も良い。

1966年にイギリスから独立し、翌年ダイヤモンドが発見された。
ダイヤモンドの生産量は世界第2位。
その収益は、一部の権力者が独占することなく、教育、医療、インフラ整備などに当てられ、国を発展させてきた。
政情は安定していて、汚職も少なく、独立以来内紛は一度も起こっていない。
アフリカではかなりの優等生といえる。
世界金融危機により鉱物資源の価格が下落したため、ダイヤモンド依存の経済から脱却すべく、産業の多角化を図っているらしい。

日本の1.5倍の面積に、人口は188万人。人口密度は3人/k㎡。

79%がツワナ人。どんな人たちなのかは不明。
主要言語はツワナ語。これもわかるわけない。
「ボツワナ」は「ツワナ人の土地」という意味らしい。
公用語は、またしても英語だが、話者は2%。

カラハリ砂漠、マカディカディ・パン(世界最大の塩湖)、オカバンゴ湿地帯(世界最大の内陸デルタ)など、なかなか壮大だ。
世界最大の塩湖はボリビアのウユニ塩湖だと思っていたが、本当にマカディカディ・パン(言いにくい)の方が大きいのだろうか?それともマカディカディ・パンは塩湖ではなく塩地なのか?

国立公園、動物保護区なども豊富にある。

難点は、物価が非常に高い。あまり長居できない。

ボツワナ共和国地図  ボツワナの位置 



2010年3月20日土曜日

イメージ ナミビア

美しいナミブ砂漠。
魅力的な国だ。

19世紀にヨーロッパ諸国がアフリカを奪い合った時、ここは砂漠ばかりで何もないと見向きもされず、後に遅れてきたドイツが植民支配した。
20世紀には南アフリカ領となり、戦後はアパルトヘイトも経験した。
ナミビア共和国として独立したのは1990年。できたての新しい国だ。
今はウラン、ダイヤモンドなどの産出で注目されている。

日本の2倍の面積に、人口はたった210万人。人口密度は2人/k㎡。これは世界2位の希薄さ(1位はモンゴル)。

アフリカの南部には、かつてブッシュマンと呼ばれて有名になったサン人がいる。
現在は「ブッシュマン」は蔑称だということで使われない(「サン」もまた侮蔑のニュアンスがあるというが)。
舌打ちをするようなクリック音と吸着音を使う、相当変わった言葉を話す。
「ナミブ」はかれらの言葉で「何もない」という意味らしい。

オバンボ人、カバンゴ人など、謎の民族が大多数で、白人は6%。
白人は主にドイツ系とオランダ系(アフリカーナー)。

公用語は英語となっているが、英語を第1言語とする人は1%以下だという。
公用語とはいったい何なのか?
アフリカーンス語やドイツ語の方が通用度が高いらしい。
アフリカーンス語、勉強しておくべきだろうか。

政情は安定していて、治安は良いようだ。
意外に物価が高い。

ナミビアは、世界一所得格差が大きい(ジニ係数0.74)。
資源の恩恵を受けて経済力を伸ばす一部の富裕層と、昔ながらの伝統的な生活を守り続ける部族との間に、格差が広がっていくのは当然といえば当然かもしれない。そもそもかれらに所得なんてあるのか?
中国(ジニ係数0.46)で問題になっている貧富の差とは、また意味が違うのかもしれない。
ちなみに、日本は、所得格差の小ささで世界2位(ジニ係数0.24)。
しかし、日本はジニ係数は小さいが、貧困率(年収が平均に満たない人の割合)は高い。

ナミビア共和国地図  ナミビアの位置 



2010年3月18日木曜日

イメージ 南アフリカ 2

国際空港はヨハネスブルグだけだと思っていたが、ケープタウンも日本から1ストップで行けることがわかった。
スタートはケープタウンがふさわしいかもしれない。

スタート地点をどこにするかはけっこう重要である。気分的に。
ヨハネスブルグについて調べていたら、重苦しい気分になる一方だった。
ケープタウンはなんだかすがすがしいイメージだ。

喜望峰、テーブルマウンテン、ペンギン。

大陸の先端近くにあるので、大陸走破のスタートとしてはなおさら良い。
いい一歩が踏み出せそうだ。

(※調べながらイメージを描いているので、これからも予定はガンガン変わります。)

南アフリカは長らく白人が支配してきたため、アフリカらしくない、西欧に近いイメージがある。
だが、現在の白人の人口は10%足らず。主にイギリス系と、アフリカーナーと呼ばれるオランダ系。
77%が黒人だが、ひとくくりに黒人といっても、多くの民族に分かれている。

公用語は11もある。
英語が共通語だと思うのだが、英語を話す人はわずか8%。
残りの大多数の人とはどうやって通じ合えばいいのか?
オランダ語から派生したアフリカーンス語が西部で話されているが、これもよくわからない。

国の内部に、別の国が2つある。これもよくわからない。

首都が3つもある(行政、立法、司法に分かれている)。

日本の常識も西欧の常識も通用しない国であることは確かだと思う。



2010年3月16日火曜日

イメージ 南アフリカ 1

「全人類に対する犯罪」といわれたアパルトヘイト(人種隔離政策)が撤廃されたのは1991年。
もちろん、制度が廃止されても差別や格差は根強く残るだろう。
だが、各国はこれを受けて長年の経済制裁を解除し、投資を始めた。
南アフリカは、世界有数の金、ダイヤモンド、プラチナを産出する資源国として大国から注目されている。
現在急速に経済成長しているBRICs(Brazil、Russia、India、China)のsは従来は複数形のsだったが、昨今はSouth AfricaのSでBRICSという呼称が定着しつつあるようだ。

急速に経済成長する国というのは、どこの先進国もかつてそうだったように、様々な副作用が生じる。

自由を得た黒人たちは、元々白人の居住区であった都市ヨハネスブルグに流れ込んだ。
だが、アパルトヘイト時代には教育を受けることも許されなかったかれらは仕事に就けず、失業者であふれている。
そして、生きていくために犯罪に走り、ギャングと化す。
ヨハネスブルグが「世界一危険な都市」と呼ばれているのは有名だ。

警察は公式サイトで、「赤信号でも停止しないように」と書いている。
前方の信号が赤の時は、スピードを落とし、青に変わるまで少しずつ進む。とにかく止まってはいけない。
旅行者は、公共の交通機関の利用は避け、宿泊先に出迎えを依頼する。
昼夜を問わず、生身で外出はするものではない。
ヨハネスブルグにある日本人学校では、防災訓練ならぬバスジャック訓練というものが実施されているらしい。

こんな街が、次の旅の出発点となる。

インターネットでヨハネスブルグの治安について調べてみると、恐ろしいエピソードが次々と出てくるが、噂話の類は僕は信じない。その人自身が現地で実体験した話だけ参考にする。

それでもやはり、ヨハネスブルグには、他にはない危険な雰囲気を感じる。
もし、荷物満載の自転車でダウンタウンなどを走ったら、抵抗しようのないやり方で襲われることになるだろう。
抵抗しようのないやり方とは、大人数で、問答無用でいきなり殴られ、あるいは刺され、あるいは撃たれ、そして全財産を奪われる。お金はどこに隠しても無駄だろう。ストレートで原始的な強奪。なんかアフリカらしい。
「世界一危険」の称号はダテではないようだ。

飛行機から降りたら、街には寄らずにノンストップで首都のプレトリアに向かおうと思う。
南アフリカ共和国地図  南アフリカの位置