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2011年5月17日火曜日

イメージ ウイグル

2008年のチベット騒乱に続いて、2009年のウイグル騒乱も、数千人の犠牲者を出す大規模な事件となった。
きっかけは、広東省の工場で、漢族の女性従業員がウイグル人の男性従業員に性的暴行を受けたというデマが広まり、漢族がウイグル人を集団で襲撃し、2名のウイグル人が死亡、ウイグル人79人を含む118人が負傷した。
その後、新疆ウイグル自治区で大規模なデモが多発し、一部のデモ隊は暴徒と化し、街を破壊したり漢族を襲撃したりしたが、治安部隊によって鎮圧された。
これには、漢族との経済格差や、ウイグル固有の文化や宗教が尊重されていないことへの不満という、チベットと同じ背景があるが、ウイグル人はイスラム教徒であるため、中国当局のウイグルへの弾圧は、中国が開発している資源国も含め、世界中のイスラム教徒の反感を買うことにもなった。

その後しばらく、外務省は新疆ウイグル自治区に「渡航の是非を検討してください」を発令していたが、現在は「十分注意してください」に引き下げられている。
なので、中央アジアから新疆ウイグル自治区を通ってチベットへ向かおうと思う。

歴史的にこの土地は、ペルシャ語で「トルコ人」を意味するテュルク系民族が住み、トルキスタンと呼ばれてきた。
8世紀にはウイグル帝国、13世紀にはモンゴル帝国の侵入を受け、18世紀には清の支配下となった。
1933年と1944年の二度、中華民国から独立して東トルキスタン共和国が建国されたが、1949年には中華人民共和国に統一され、1955年、新疆ウイグル自治区が設置された。

中国の省および自治区では最大の面積で、日本の4.5倍、中国全土の6分の1を占める。
4分の1が砂漠(主にタクラマカン砂漠)で、移動と消滅を繰り返し「さまよえる湖」と呼ばれるロプノール塩湖がある。

このロプノール周辺で、過去に46回の核実験が行われており、放射能によって19万人が死亡、129万人が健康被害を受けているという指摘があるが、医師は被爆や汚染を認めず、海外の医療団体の調査も規制されている。

石油と天然ガスが豊富で、中国全体の埋蔵量の3割を占める。

ウイグル族45%、漢族41%、カザフ族7%、回族5%。
ウイグル族はテュルク人と古インド人の混血であり、ウイグル語を話す。
ウイグル語の文字はこんな感じ→شىنجاڭ ئۇيغۇر ئاپتونوم رايونى
ウイグル人はほぼ全員がイスラム教スンニ派。



新疆ウイグル自治区の位置



2011年5月16日月曜日

イメージ 中央アジア

ビン・ラディン殺害前から決めていたことだが、パキスタンに行くのは断念した。
イランとパキスタンを無事通過できれば、ユーラシア横断ルートもうまくつながるのだが、現在、イラン東部に「退避を勧告します」が発令されており、陸路でイランからパキスタンに入国するのは不可能な状況。
そもそも、タリバンの本拠地であり、ビン・ラディンが潜伏するような国を、自転車で通過するのはいかがなものか。

そこで、イランから中央アジアを経由して、中国→ネパール→インド→東南アジア→中国、というルートに変更した。

中央アジアとは、狭義ではトルクメニスタン、ウズベキスタン、タジキスタン、キルギス、カザフスタンを指す。
いずれも旧ソ連のイスラム圏で、1991年のソ連崩壊にともなって独立した。
「中央アジア=シルクロード」ともいえる。
ガイドブックや画像検索などで調べてみると、サマルカンドをはじめとする、なんとも美しいイスラム教の都市建築にすっかり魅せられてしまった。
ただし、タジキスタンとキルギスは政情不安定のため避ける。
また、旧ソ連ということもあり、どの国もビザ取得が面倒なようだ。

・トルクメニスタン
イスラム帝国、モンゴル帝国、ソ連、などの支配を経て独立。
独裁国家で永世中立国。
国土の85%がカラクム砂漠。
天然ガスの埋蔵量は世界4位。
トルクメン人85%、ウズベク人5%、ロシア人4%。
トルクメン語72%、ロシア語12%、ウズベク語9%。
大多数がイスラム教スンニ派。

・ウズベキスタン
イスラム帝国、モンゴル帝国、ソ連、などの支配を経て独立。
国土の80%がキジルクム砂漠。
カザフスタンとの国境をまたぐアラル海は、かつては面積世界4位の巨大な湖であったが、ソ連時代に灌漑用水として使用され、現在はほとんど干上がってしまい、20世紀最大の環境破壊ともいわれている。→参照
ウズベク人80%、ロシア人5%、タジク人5%、カザフ人3%、カラカルパク人2%。
ウズベク語74%、ロシア語14%。
大多数がイスラム教スンニ派。

・カザフスタン
イスラム帝国、モンゴル帝国、ソ連、などの支配を経て独立。
国土面積世界9位で、内陸国としては世界最大。
国土のほとんどが砂漠かステップで、人口密度は6人/k㎡。
カザフ人57%、ロシア人27%、ウクライナ人3%、ウズベク人2%、ヴォルガ・ドイツ人1%、ウイグル人1%。
カザフ語64%、ロシア語95%。
イスラム教スンニ派47%、ロシア正教会44%、プロテスタント2%。

中央アジアと周辺国

イランに対する渡航情報(危険情報)の発出

パキスタンに対する渡航情報(危険情報)の発出



2011年5月15日日曜日

イメージ 台湾

16世紀から開発され始め、17世紀にはオランダやスペインが領有し、東アジアの貿易の拠点となった。
日本への鉄砲伝来やザビエルによるキリスト教伝来も、台湾経由であったといわれている。
やがて、労働力として中国本土の福建省や広東省から大量の漢族が居住するようになった。

17~19世紀は清が支配したが、1894年に日清戦争に敗れると、日本の領土となった。
当初は住民の抵抗が強く、1万人の台湾人が戦死したり虐殺されたりした。
日本は、植民地支配における欧米との対抗意識から、インフラの整備、教育の普及、治安の維持に力を注ぎ、後に台湾が発展する土台が築かれた。

第2次大戦で日本が敗戦すると、台湾を含む中国は中華民国の領土となった。
戦後まもなく、中国本土で蒋介石率いる国民党と毛沢東率いる共産党とで内戦になり、1949年、勝利した共産党が中華人民共和国を樹立し、敗北した国民党は台湾に撤退したため、台湾は中華民国のまま継続された。
内戦で疲弊した国民党による台湾の独裁統治は粗暴で強圧的で、住民からは「イヌ(日本)に代わってブタ(国民党)が来た」などど言われ、蜂起が発生した。
日本の旧植民地でありながら台湾が親日国であるのは、ここに起因すると考えられている。

中国本土では、共産党によって国としての体制が整えられ、1970年代には国連は中華人民共和国を正当な国家として承認するようになり、中華民国は中国の中の台湾という地域を占拠するものとみなされた。
これを受けて中華民国は国連を脱退し、現在も国際的には台湾は国家として承認されていない。

日本を含む多くの国が中華人民共和国との国交を結び、中華民国とは断交したが、経済的な交流は維持され、アメリカが台湾をベトナム戦争の物資調達の拠点とした頃からハイテク産業が発展し、飛躍的に経済成長した。
ブルジュ・ハリファに抜かれるまで世界一の高さを誇った台北101(501m、101階)や台湾高速鉄道などは、日本企業によるものがあり、台湾経済の日本への依存度も高い。

自転車工業も発展し、高額車以外はほとんど台湾か中国の工場で生産されるほどの自転車輸出大国となった。
僕のラレーも台湾製。
世界最大の自転車メーカーであるGIANTは台湾のブランド。
今回の震災で、GIANTはマウンテンバイク1000台を被災地に無償提供してくれた。

人口わずか2300万人の台湾の義援金には本当に驚かされた。
今月には160億円を突破したが、まだ増え続けるのだろうか。

事実上は独立国家として機能している台湾だが、政治的にはいまだ空白地帯であり、中華人民共和国との軋轢も続いている。
台湾内部でも、独立派、統一派、現状維持派、などの考え方があり、この複雑な情勢は今後も続くと思われる。

98%が漢族、2%が先住民。
少子化が進んでおり、出生率は世界最低。
公用語は中国語(北京語)だが、日常的には中国語の方言である台湾語や客家語が使われる。
日本統治時代の日本語教育の影響で、台湾語には日本語の名残りが多くみられる。
宗教は道教、仏教、キリスト教など。



LocationTaiwan.svg




2011年5月4日水曜日

イメージ 中国 2

中国文化の基盤となったのは、かつて四大文明のひとつといわれた黄河文明(BC5000~BC2000年)と考えられてきたが、それよりはるか以前の長江文明(BC14000~BC1000年)が1970年代に発掘された。
長江文明は、メソポタミア、インダス、エジプトとほぼ同時期に興り、稲作のルーツも長江にあることがわかった。

BC2000年頃から、いくつもの王朝が興亡を繰り返してきた。
最初の帝国である「秦」(BC778~BC206年)に、地名を表すラテン語の接尾辞-iaを付けて「シナ」、さらに英語圏で発音が変化して「チャイナ」と呼ばれるようになった。

17世紀に始まった清は、19世紀にはイギリスとのアヘン戦争に敗れ、さらに朝鮮半島をめぐる日清戦争に敗れたことにより、英独仏露米日などの列強によって半植民地化された。
1911年、これらの支配と清からの独立を目指す辛亥革命が起こり、1912年、革命のリーダーであった孫文が中華民国を樹立した。
最後の皇帝、溥儀は退位して清は滅亡し、王朝支配が終わった。

建国後も列強による局地的な支配が続き、1931年の満州事変を契機に日本が満州国を建国し、さらに1937年から始まった日中戦争で中国の大部分は日本に支配された。
この日中戦争において、中華民国の首都南京で20~30万人が日本軍に虐殺された。

1945年に第2次大戦が終結すると、連合国側であった中国は、戦勝国として領土が変換されるようになった。
戦後まもなく、政権を握っていた蒋介石率いる国民党と、毛沢東率いる共産党とで内戦になった。
1949年、勝利した毛沢東が共産党による一党独裁の中華人民共和国を樹立し、敗北した蒋介石と国民党は台湾に撤退した。

毛沢東は、マルクスの思想をもとにソ連型社会主義の導入を試み、1950年にチベットを併合し、1958年に農工業の大増産を目的とする大躍進政策、そして核開発を進めた。
無謀で非科学的な大躍進政策は2000~4000万人の餓死者を出して失敗に終わり、核開発でも多くの被爆者を出し、毛沢東は辞任に追い込まれた。
1965年、毛沢東は自らの復権を目指して文化大革命を起こした。
文化大革命は、名目上は社会改革であったが実際には権力闘争であり、徹底的な毛沢東への崇拝、思想統制、拷問、恐喝、財産没収などが行われ、数千人が犠牲になった。
1976年の毛沢東の死で革命は終わったが、この期間の中国は混乱を極め、文化の破壊と経済の長期停滞をともなう国家的大惨劇であった。

1978年に政権を握った鄧小平は、市場経済を導入して経済を急成長させた。
経済に続いて政治の民主化を求める動きが国民の間で起こったが、鄧小平はあくまでも自由化は経済に限定する態度を示した。
1989年、民主化を求めて天安門広場に集まった学生や一般市民によるデモが拡大したが、これに対して政府は、軍隊と戦車を出動させ、実弾を用いて数百~数千人の市民を殺した。

1997年に香港がイギリスから返還され、1999年にマカオがポルトガルから返還され、この二都市は独自の法制度を持つ特別行政区となった。



2011年5月2日月曜日

イメージ 中国 1

先月28日のニュースで、中国の人口が13億3972万人であると発表された(香港、マカオ、台湾を除く)。
これはあくまで統計上の数字であり、一人っ子政策に反して生まれて戸籍を持たない黒孩子や盲民などを含めると、実際の人口はさらに2億ほどプラスされるといわれている。
この人口は19世紀の世界人口、あるいは現在の西欧とアフリカの合計に匹敵する。
一方、インドの人口が12億に達し(ここ10年で2億増)、中国を追い抜く勢いだ。
現在の世界人口が68億なので、その37%、つまり世界の3人に1人が中国人かインド人、という計算になる。

面積は世界3位(資料によってはアメリカが3位とされる場合もある)で、14の国と隣接している。

膨大な人口と安い人件費を背景に「世界の工場」となって著しく経済成長し、2007年には貿易収支が黒字で世界1位、2009年には自動車の生産台数と販売台数がともに世界1位、2010年にはGDPが世界2位となった。
2020年代にはアメリカを抜いて世界1位の経済大国になるともいわれているが、賃金の上昇によって、より人件費の安い東南アジアなどに生産の拠点が移動しつつあり、今後は労働集約型から知識集約型への転換をせまられる。
また、消費者の購買力が増したため、各国の企業が中国の内需をねらって投資合戦し、こぞって中国に進出している。

当の中国は、石油、レアメタル、穀物、水にいたる資源争奪のため、世界中の資源国に進出している。
食料をめぐる争奪戦では、先進国や新興国が途上国の農地を囲い込むランドラッシュが進行し、「新植民地主義」の時代といわれている。

一党独裁の強引な政策によって急成長できた反面、深刻な問題が山積みとなっている。
格差問題(1%の家庭が41%の富を独占)、環境問題(CO2排出量世界1位、大気汚染、水質汚染、土壌汚染、食品汚染)、民族問題(チベットやウイグルへの弾圧)、言論統制(ノーベル賞受賞した民主化活動家が服役中)、ネット検閲(2010年にグーグルが中国から撤退)、死刑制度(執行数世界1位)、などなど。

漢族92%、55の少数民族8%。
公用語は中国語。現存する世界最古の言語。
同じ中国語でも、北京語と広東語はかけ離れていて通じ合えないが、北京語に代表される北方語が標準語として広められている。
少数民族は固有の言語を話すが、同化政策のため、高等教育では北京語以外の使用は認められない。
宗教は主に仏教、道教、イスラム教、キリスト教などだが、宗教信者は1億人ほどで、大半は無宗教。


中華人民共和国の位置

人口比で表した世界地図
面積世界1位のロシア、2位のカナダ、6位のオーストラリアがほぼ消えている。



2011年4月23日土曜日

イメージ ベトナム

古代より中国の領域であったが、1887年にフランス領インドシナ連邦が成立すると、フランスの植民地となった。

第2次大戦中は、フランスがドイツに降伏した隙に日本がインドシナに進駐し、フランスと日本の二重支配となった。
日本は大東亜共栄圏を主張し、傀儡国家のベトナム帝国を成立させたが、1945年、日本の敗北が決定して大戦が終結すると、ホー・チ・ミンを主席とするベトナム民主共和国として独立した。

しかし、独立後まもなくフランスが進駐して傀儡政権を樹立し、再びフランスの植民地となった。
これに対してベトナムは、フランスを相手に第1次インドシナ戦争を起こし、1954年に勝利した。

その後、フランスの後を継いだアメリカは、ソ連・中国の社会主義勢力の南下拡大を阻止するため、ベトナムを南北に分断し、傀儡国家の南ベトナムを建国した。
1960年、ベトナム人による「南ベトナム解放民族戦線」(通称ベトコン)が結成され、アメリカと南ベトナム政府に宣戦布告、第2次インドシナ戦争が起こった。

1965年、アメリカが北ベトナムを爆撃し、ベトナム戦争が勃発した。

ベトナム戦争は、ベトナムがアメリカを打倒して統一国家の再建をめざす独立戦争と、アメリカを盟主とする資本主義陣営vsソ連を盟主とする社会主義陣営の冷戦を背景とする代理戦争、というふたつの観点がある。
戦争は長期化、泥沼化し、300万人のベトナム人が死亡、6万人のアメリカ兵が死亡した。
アメリカはこの戦争で3520億ドルを費やし、785万トンの爆弾を落とし、7500万リットルの枯葉剤(ダイオキシン)をばらまき、ベトナムの国土を破壊し尽くした。
アメリカの世論は反戦に傾き、政府もこの戦争が第3次世界大戦を誘発するリスクを考え、次第にアメリカの撤退が濃厚となってきた。

1975年、南ベトナムの首都サイゴン(後にホーチミンに改名)が陥落したことでアメリカの敗戦が決定し、1976年、ベトナム社会主義共和国が成立して南北が統一された。

隣国のカンボジアではポル・ポト政権による大量虐殺がおこなわれていたが、1978年、ベトナムはカンボジアに侵攻して第3次インドシナ戦争を起こし、ポル・ポトを倒した。
1979年、ポル・ポトを支援していた中国がベトナムに報復する中越戦争が起こったが、戦闘慣れしていたベトナム軍に歯が立たず、中国は1ヶ月で撤退した。
しかし、世界各国は援助を停止し、ベトナムは孤立した。

1992年には中国と和解、1993年にはフランスと和解、1995年にはアメリカと和解した。

ベト人(キン族)90%、中国人3%、53の少数民族。
公用語はベトナム語。歴史的には漢字文化圏で、現代でも漢字が使われることはあるが、公的には1954年に漢字は廃止されており、代わりにクオック・グーと呼ばれるローマ字が公用文字となっている。フランス語を話す人も多い。
仏教80%、キリスト教9%。

アメリカが散布した枯葉剤は現在までも影響を及ぼし、ベトナムでは奇形、障害を持った子どもが多く生まれる。
結合双生児のベトちゃんドクちゃんも、枯葉剤の被害者である。
1988年の分離手術では日本赤十字社が支援し、日本の医師と医療機器が提供され、無事成功した。
その後兄のベトさんは障害が残って寝たきりの状態となり、2007年に亡くなった。
弟のドクさんは現在30歳で、すでに結婚して双子の父。
そのドクさんが、今月14日に義援金を携えて来日した。
2008年に気仙沼で講演したこともあるという。

ドクさん、義援金携え来日 ベトナムから「恩返しを」

ベトナム地図

ベトナムの位置



2011年3月7日月曜日

イメージ カンボジア

6世紀にクメール人による国家が成立し、9~15世紀にアンコール王朝(クメール王朝)が栄えた。
有名なアンコール遺跡群は主に12世紀に建設され、東京23区ほどの広大な敷地に、ヒンドゥー教と仏教の混合する寺院や城壁などが残っている。
その後衰退した王国は元やアユタヤに侵攻され、1887年にはフランスの植民地となった。
大戦後の1949年にフランス連合内として独立、1953年にカンボジア王国として完全独立した。

1965年にアメリカが北ベトナムへの空爆を開始すると、国王シハヌークはアメリカと断交し、反米国家となった。
1970年、将軍ロン・ノルがクーデターを起こしてクメール共和国を樹立し、親米国家となった。
ロン・ノルは自国在住のベトナム人を迫害、虐殺し、またアメリカに自国を空爆させ、数十万人が犠牲になった。
一方、中国に亡命したシハヌークは、毛沢東に心酔したポル・ポト率いる共産主義勢力「クメール・ルージュ」の助けで帰国し、ロン・ノル政権と内戦になった。
1975年のベトナム戦争終結でロン・ノルは追放され、1976年、ポル・ポトによる民主カンプチアが建国された。

戦争によって農業生産は大打撃を受けており、カンボジアは食糧危機に陥っていた。
ポル・ポトは、都市住民に農業をさせるため、強制的に首都プノンペンから農村へ移住させた。
移住に例外はなく、重病人や妊婦も含め、炎天下を何日も徒歩で移動させられ、大量の死者が出た。
子供は親から引き離して集団生活させ、幼いうちから強制労働させた。
知識人、技術者、投資家、富裕層、留学生などは反乱を起こす可能性があるとして、処刑された。
こうした虐殺、餓死、病死で、120万~170万人が犠牲になったといわれている。
当時のカンボジアの人口は800万人であり、国民の5人に1人はポル・ポトに殺されたことになる。
人口比でこれほどの大量虐殺は史上類を見ない。
都市住民の農村入植と強制労働、また貨幣制度の廃止など、極端な原始共産制社会への回帰政策は、非効率的な農業で大干魃をもたらし、逆に食糧危機を深刻化させた。

1978年、元クメール・ルージュのサムリン率いるベトナム軍がカンボジアに侵攻し、ポル・ポトを倒して政権を握ったが、巻き返しを図るポル・ポト派と内戦になった。
1991年、カンボジア和平パリ協定により、20年におよぶ内戦は終結した。
1993年、シハヌークが国王に再即位し、カンボジア王国が再建された。

現在も、国内には多くの地雷や不発弾が埋まっている。
危険標識があるものの、識字率が低いために標識が読めず、危険地帯に立ち入ってしまう者が多いという。
主産業は農業で稲作がさかんだが、生産性は低く、最貧国のひとつである。

クメール人90%、ベトナム人5%、中国人1%。他に36の少数民族。
公用語はクメール語。インド文化の影響でサンスクリット語の借用が多い。文字はこんな感じ→ព្រះរាជាណាចក្រកម្ពុជា
フランス語もある程度通じる。
90%以上が仏教、4%がイスラム教。

カンボジア地図  カンボジアの位置



2011年2月18日金曜日

イメージ ラオス

ラーオ族による王国が成立したのは14世紀で、18世紀には分裂してタイやカンボジアの支配下となった。
19世紀にはフランスがインドシナに進出し、フランス領インドシナ連邦が成立するとフランスの植民地となった。
第2次大戦で日本に占領された後、1949年にフランス連合内として名目上独立、1953年に完全独立した。
1975年、王政が廃止されて社会主義国となった。

GDPは鳥取県の4分の1ほどの規模で経済的には貧困国だが、8割が農業に従事しており、食料は豊富で飢餓などはない。
経済は貧しいが豊かな国といわれる。
市場経済が導入されて初めて自分たちが貧しいことに気づいたという。

タイとの国境を流れるメコン川は東南アジア最大の川で、流域は大稲作地帯となっている。
国土の大部分が山岳地帯で、豊富な森林資源があるが、近年は森林破壊で減少している。
水力発電で隣国タイなどに電力を輸出し、「東南アジアのバッテリー」と呼ばれているが、一方でインフラは整備されておらず、電気は夜間しか使用できなかったり、自動車のバッテリーを使って発電していたりする。
幹線道路の多くは舗装されておらず、鉄道もない。

60%がラーオ族。その他49の少数民族。
公用語はラーオ語。タイ語と同一言語の地域変種。文字はこんな感じ→ພາສາລາວ フランス語も広く通じる。
60%が仏教。

  ラオスの位置



2011年2月14日月曜日

イメージ タイ

タイ族による王国は13世紀に成立し、14~18世紀のアユタヤ王朝期はアジアの貿易を独占し、中国、日本、琉球などにとどまらず、ペルシャやアラブ、オランダやポルトガルなどともさかんに交易して莫大な富を蓄え、華やかな文化が栄えた。
19世紀に隣国ビルマがイギリスに敗戦すると、ヨーロッパ諸国の植民地化の脅威にさらされるようになった。
第2次大戦では日本と同盟を結んで枢軸国として戦ったが、一方でイギリスを中心とする連合国側につく勢力を黙認するなど、二重外交を行っていた。
日本の敗色が濃くなると連合国側に寄り、戦後の敗戦国の裁きも免れた。

2001年に首相となったタクシンは、地方農村部の貧困層への財政支出を拡大するバラマキ政策をとった。
これに対して都市部の権力者や富裕層が、既得権益を脅かすとして反発した。
また、タクシンは南部に住むマレー系イスラム教徒にもタイの仏教教育を強要した。
これに対してイスラム過激派が組織され、2004年に警察との大規模な武力衝突が発生し、過激派に100人以上の死者が出た。
さらに、タクシンは親族を入閣させて私腹を肥やすなど汚職にまみれており、2006年に反タクシン派によるクーデターで失脚した。
しかし、地方の権力者や農民はタクシンを強く支持しており、以後、タクシン派と反タクシン派との激しい衝突が繰り返されることとなる。
2008年には反タクシン派による首相府占拠、国際空港占拠、2009年にはタクシン派による東アジアサミット乱入。
大規模なデモは頻繁に発生しており、多数の死者を出している。
首相も短期間で入れ替わっており、現在の首相は反タクシン派。

カンボジアとの国境紛争も問題となっている。
国境付近にある世界遺産プレアビヒア寺院の領有をめぐって両国とも一歩も譲らず、2008年と2009年に銃撃戦でともに2人死亡、つい1週間前の2月7日にも銃撃戦で6人の死者が出た。

立憲君主制なので国王は国の象徴となっているが、国民は国王を崇敬しており、その影響力はきわめて大きい。
政治的な危機に瀕した時はしばしば国王が介入、仲裁することがある。
現在の国王であるプミポン(ラーマ9世)は、その人柄と高い見識から、特に国民からの人気が高い。
タイで国王を侮辱すると不敬罪となる。

世界最大の米の輸出国であり、観光業もさかん。

首都のバンコクの正式名称は世界一長い。
一般的にはクルンテープと呼ばれる。

タイ族75%、中国人14%、他にマレー族、クメール族、インド人、モン族、カレン族など。
公用語はタイ語。文字はこんな感じ→ราชอาณาจักรไทย
仏教95%、イスラム教4%。

タイ地図  タイの位置



2011年2月4日金曜日

イメージ ミャンマー

軍事政権の支配する独裁国で、北朝鮮と肩を並べるといってもいいほどの異端国家。
自由に個人旅行できるのか、怪しい。
87ヶ国を自転車で旅した石田ゆうすけ氏も、この国は飛行機で飛ばしているようだ。
でも、ビザは問題なく取得できるようだし、旅行ガイトなどを見ても、特に制限はなさそうだ。
それに、98mの仏塔シュエダゴン・パゴタや、三大仏教遺跡のひとつバガンなどの美しい建築物には惹きつけられるし、人々は敬虔な仏教徒で危険はないと思われる。

9世紀からビルマ族が王朝を建て、19世紀にはイギリスの植民地となった。
第2次大戦ではアウンサン率いるビルマ独立義勇軍が日本軍と共に戦ってイギリスを追放し、1943年に日本の後押しでビルマ国が建国された。
しかし、日本が敗戦すると再びイギリス領となり、建国の父アウンサンは真の独立を見ることなく32歳で暗殺された。
その翌年の1948年、独立が実現してビルマ連邦となった。

1988年、軍部がクーデターを起こして政権を握った。

1989年、軍事政権は国名の英語表記をBurmaからMyanmerに変更した。
「ビルマ」は口語で「ミャンマー」は文語、いずれも古くから用いられてきた呼称。

1990年の総選挙では、アウンサンの娘アウンサンスーチーが民主化の指導者となって圧勝したが、軍部は政権を移譲せず、民主化勢力の弾圧を始めた。

アウンサンスーチーは、数度にわたって自宅軟禁されている。
1991年にはノーベル平和賞を受賞。

2006年、首都がヤンゴンから、人工的につくられた行政都市ネピドーに遷都された。

2007年、燃料価格が突如500%引き上げられたことに対して、僧侶たちが大規模な抗議デモを行ったが、軍部によって武力弾圧され、多数の死傷者が出た。
外国人も攻撃の対象となり、日本人ジャーナリストが射殺された。

2009年のジャーナリスト保護委員会による「ブロガーを弾圧する国ワースト10」では、ミャンマーが1位となった。
ミャンマーではネット検閲が行われており、メールの内容もチェックされ、携帯電話も厳しく制限されている。
ミャンマーを襲ったサイクロンの被害状況を動画で配信したブロガーは、懲役59年の刑を受けた。
ちなみにこのランキングでは、中国が8位、そして現在騒乱のエジプトが10位に入っている。

2010年の総選挙では、アウンサンスーチーは前年に明らかな言いがかりで逮捕され、選挙をボイコットした。
軍部は独自に集計し、議席の8割を獲得したと勝利宣言した。
アウンサンスーチーはその後解放された。

ビルマ族68%。他にシャン族、カレン族、ラカイン族、モン族、華僑、印僑など。
150万人ほどいるイスラム系のロヒンギャ族は政府に存在を認めてもらえず、ミャンマーの国籍法でも排除されてしまっている。かれらは教育を受ける自由も移動する自由もなく、ボートで脱出して他国へ移住しようとしても受け入れられずに海上で放置されたり、日本にも200人ほど来たが、難民認定されていない。
公用語はビルマ語。文字はこんな感じ→ပြည်ထောင်စုသမ္မတမြန်မာနိုင်ငံတော်
89%が仏教徒。キリスト教4%、イスラム教4%。

ミャンマーの地図  ミャンマーの位置



2011年2月1日火曜日

イメージ バングラデシュ

日本の4割にも満たないほどの国土面積に、ロシアより人口の多い1億6千万人が住む、超過密国。
人口密度は982人/k㎡で、世界5位。
ただし、1~4位はモナコやシンガポールなどのミニ国家なので、まともな国土面積を持つ国では世界一の人口密度。
ちなみに日本は337人/k㎡で、世界21位。

紀元前よりインドであり、仏教およびヒンドゥー教圏であったが、13世紀からこの土地はイスラム化が始まった。
16世紀にはムガル帝国の一部となり、18世紀末にはイギリスに植民支配された。
大戦後の1947年にインドのイスラム圏は東パキスタン・西パキスタンとして独立した。
やがて東・西パキスタンは対立し、東パキスタンは独立戦争を起こした。
この鎮圧にあたった西パキスタンにインドが介入し、第3次印パ戦争が勃発した。
これにインドが勝利した結果、東パキスタンは1971年にバングラデシュとして独立した。
「バングラデシュ」は「ベンガル人の国」を意味する。

ガンジス川をはじめとするヒマラヤ水系が形成するデルタ地帯で、土地は肥沃。
米の生産量は世界4位を誇るほどだが、人口が多すぎて消費量が上回り、米の輸入国となってしまっている。

毎年のようにサイクロン、洪水、竜巻などに襲われ、2004年の大洪水では国土の60%が水没し、628人が死亡、農業も大打撃を受けた。

衛生状態はきわめて悪く、コレラや赤痢が頻繁に流行する。
飲用水として多くの井戸がつくられたが、その水は元来地層中にあった高濃度のヒ素に汚染されており、多くの国民がヒ素中毒の危険にさらされている。

このような人口過多や自然災害、劣悪な環境、また政治汚職などもあって、アジア最貧国となっている。
最近は中国の労働コストの上昇により、人件費が中国の3分の1ですむバングラデシュが注目されつつあり、軽工業製品の輸出は増大している。

98%がベンガル人。
公用語はベンガル語。インドにも話者がおり、総話者数は2億人以上、日常会話の言語人口としては世界で7番目に多い。文字はこんな感じ→গণ প্রজাতঁত্রী বাংলাদেশ
イスラム教83%、ヒンドゥー教16%。

  バングラデシュの位置



2011年1月21日金曜日

イメージ チベット

ヒマラヤの北には、世界最大級の高原、チベット高原が広がる。
平均標高は4500m、面積は日本の6倍、中国の国土の26%を占める(チベット自治区はこの半分ほどの領土)。
ヤク、チベットガゼル、チベットレイヨウ、冬虫夏草をはじめとする希少な動植物が生息する。
最大最強の犬といわれるチベタン・マスティフは体高80cm、体重100kg、ライオンのようなたてがみがある。→参照
あのチンギス・ハーンも、ヨーロッパ遠征時に3万匹のチベタン・マスティフを連れて行ったという。
自転車をこいでいる時にこんなのが追いかけてきたら死ぬ。

ヒマラヤは長らく人の移動を断絶してきたため、チベットの民族、言語、文化などはインド文化圏とは明確に異なる。
独自の文化が育まれたチベットは、古来から独立国であったが、1720年には清に、1904年にはイギリスに侵入されるなど、国としての危機に瀕した。
1949年に中華人民共和国が成立すると、中国共産党は「チベット人民を解放する」との名目で人民解放軍を派遣し、武力によってチベットを保護地域とした。
その後、協定に反して社会主義が強行されたため、反共産党、反漢族感情が高まり、武装蜂起が頻発した。
1959年、大規模な反政府運動「チベット動乱」が発生したが、人民解放軍によって数万人のチベット人が殺害され、数千の寺院が破壊された。
指導者であったダライ・ラマ14世はインドに亡命した。
1966年から約10年続いた文化大革命、1989年のデモ、2008年の北京オリンピックの暴動などにおいても、中国はあくまで徹底的に弾圧し、多くの犠牲者が出た。

中国は民族の弱体化を狙い、チベットに大量の漢族を移住させ、現在は漢族の人口の方が上回ってしまっている。
2006年に開通した世界最高地の鉄道、青蔵鉄道(最高標高5072m、平均標高4500m)も、支配強化が目的だといわれている。
また、チベット高原は核兵器の格納および核廃棄の場となっている。

ダライ・ラマは現在も亡命中だが、その影響力はいまだ絶大である。
チベットの人々にとって、ダライ・ラマは精神的な支柱となっているが、チベットでは彼の写真や関連図書を所持することさえ禁じられている。
共産党による報道規制、ネット検閲は厳しく、「ダライ・ラマ」もNGワードのひとつとなっている。
多くの中国人は、チベットは中国の一部であり、中国に保護されていると信じている。

ダライ・ラマの帰国は許されていないが、仮に帰国できたとしてもすでに独立は諦めており、「高度な自治」を要求する立場をとっている。
彼の非暴力による世界平和の訴えやチベット文化の普及に対する貢献は高く評価され、1989年にノーベル平和賞を受賞した。

言語はチベット語。「エベレスト」はチベットでは「チョモランマ」と呼ばれる。文字はこんな感じ→ཇོ་མོ་གླང་མ
宗教は仏教。ラマと呼ばれる高僧を尊崇することから、かつてはラマ教と呼ばれたが、仏教とは異質なものととられることもあり、不適切な呼称として現在は使用されない。

  

チベット自治区の位置



2011年1月12日水曜日

イメージ ネパール

狭い国土ながら、南部の低地から一気に世界最高峰のエベレスト(8848m)まで登りつめる、ヒマラヤ登山の玄関口となっている国。
ヒマラヤ山脈には、8000m級の独立峰が14、付属峰も含めると7000m級が100以上ある。
インダス川、ガンジス川、長江などの大河の水源となっており、このヒマラヤ水系には7億5千万人が生活している。
「エベレスト」はイギリスによる呼称で、ネパールでは「サガルマータ」と呼ばれる。

BC5世紀頃、現在のネパール(文化圏としてはインド)で、シャカ族の王子として生まれたゴータマ・シッダールタは、菩提樹の下で瞑想中に悟りをひらいて「ブッダ」(目覚めた人)となり、仏教を創始してガンジス川流域で布教した。
ブッダは、無常を自覚することで人生の苦から解放される道を見出した。
彼の教えは、バラモン教の苦行やカースト制度を否定し、すべての人に平等に門を開いたため急速に普及し、やがてアジア東部全域に広まった。
ただし、ネパールとインドではその後生まれたヒンドゥー教に吸収されてしまい、仏教徒はわずかしかいない。

ネパールは近代まで諸王朝に分かれていたが、1769年、ゴルカ王が全土を統一した。
18~19世紀、イギリスはインドを征服するために多大な力を注いでいたが、ネパールには手が回らず、現在までネパールは植民支配されずに独立国家を維持することができた。
運良く独立が維持できただけのネパールでは、民主化も進まず、王家では内紛が絶えず、暗殺、虐殺、クーデターが繰り返された。
2001年、王族の晩餐会にてディベンドラ皇太子が銃を乱射し、多数の王族が死亡、自身も直後に自殺した。
その後即位したギャネンドラ国王は、その時の晩餐会を欠席しており、彼の家族も全員無事だったことから、彼の陰謀ではないかという疑惑がある。
その後、ギャネンドラは内閣停止、憲法停止、絶対君主制をとった。
この独裁に対して、主要政党や、以前から武装闘争をしていたマオイスト(毛沢東主義者)、インド系少数民族マデシなどの抗議活動が高まった。
2008年、240年続いた王政がついに廃止され、ギャネンドラは退位、共和制国家へと移行した。
国名も「ネパール王国」から「ネパール連邦民主共和国」となった。
2010年12月、ギャネンドラの長男が泥酔し、副首相の娘婿と口論になって発砲、逮捕される、という騒動があった。

国民の半数ほどがパルバデ・ヒンドゥーという民族だが、これは総称で、カーストによって細分化されている。
この他30以上の民族。ヒマラヤガイドとして有名な少数民族シェルパもいる。
公用語はネパール語。ヒンディー語やウルドゥー語と似ている。文字はこんな感じ→गणतन्त्र नेपाल 
この他民族ごとの言語が50以上。
ヒンドゥー教80%、仏教10%、イスラム教4%、キラント教3%。

  ネパールの位置



2010年11月27日土曜日

イメージ インド

11億の人口を抱え、世界7位の国土(日本の8.6倍)を有する南アジアの大国。
僕が子供の頃はインドの人口はたしか7億だった。

中国と同じく人口の多さが資本だが、単に人が多いだけはない。
古代より数学先進国で、現在も高度な数学教育で優秀な人材を生み出し、IT産業を中心に活躍している。
英語圏の国に移住するインド人は多く、アメリカの科学者の12%、NASAの科学者の36%、医師の38%、マイクロソフトの従業員の34%、IBMの従業員の28%がインド系アメリカ人だという。
また、アメリカの億万長者の10%がインド系で、ITの中枢を担うシリコンバレーに多く住んでいる。

GDPはまだ上位に入ってこないが、BRICSの一角としてめざましく成長している。
しかし、インフラ整備が遅れているようで、国民の半数は携帯電話を持っているのに、3分の1はトイレがないという。

BC1500年頃、中央アジアから来た遊牧民アーリア人は、インダス文明を築いたドラヴィダ人を征服した。
一部のドラヴィダ人はアーリア人から逃れてインド南部へ移動したため、今も南部はドラヴィダ人が多く住むが、現在のインド人の大半は、アーリア人とドラヴィダ人の混血民族。

さらにアーリア人はガンジス川流域に進出し、そこで都市や王国が形成され、インドの歴史の表舞台となった。
アーリア人が移動する過程で、先住民を差別するためにつくられた世襲的身分制度が、カーストである。
バラモン(司祭者)を最上位とするかれらの宗教はバラモン教と呼ばれ、輪廻転生を説き、また牛を神聖視する風習なども、現在まで受け継がれている。

4世紀には、バラモン教を母体として発展したヒンドゥー教が浸透した。
ヒンドゥー教は、創始者も経典もない民間宗教で、インド人独特の思考様式、社会習慣の総合であり、現在のインド人の生活とも深く結び付いている。

1526年、トルコ系民族が北インドに侵入してムガル帝国を建て、インド史上最大の帝国となった。
支配者のイスラム教とインドのヒンドゥー教とが融和してインド・イスラム文明が成熟した。
ムガル帝国最盛期の王妃ムムターズ・マハルの霊をまつるためにつくられた墓廟が、タージ・マハルである。
2万人の職人を使って22年間かけた代表作で、現在もインドのシンボルであり、新・世界の七不思議にも選ばれた。

17世紀にはポルトガル、オランダ、フランス、イギリスが、アジアとの貿易をめぐって競い、東インド会社を設立した。
これに勝ったイギリスがインドの商業を支配し、インド側の大反乱を抑えて1877年にイギリス領インド帝国を成立させた。

第1次大戦中、イギリスはインドに戦後の自治を約束したが、これを反故した。
これに対して、マハトマ・ガンディーが独立をめざして「非暴力・不服従」主義による抵抗運動を起こし、やがてインド全土に広まって民族運動に発展し、イギリスの統治を揺るがした。

第2次大戦後の1947年に独立したが、この時、イスラム圏はパキスタンとして分離独立した。
2006年ムンバイ列車爆破事件、2008年ムンバイ同時多発テロなど、パキスタンのイスラム過激派によるものとみられるテロが相次いでいる。
中国とも仲が悪い。

アーリア人、ドラヴィダ人、モンゴロイド、トルコ系、ペルシャ系など、多様な民族、文化によって構成されている。
公用語はヒンディー語。補助公用語は英語。憲法では22の言語が公的に認められている。
資料によって異なるが、主要言語だけで20ほど、方言も含めると850ほどの言語が日常語として話されている。
ヒンディー語の母語話者数は4億9000万人で、中国語、英語に次いで世界3位。文字はこんな感じ→हिन्दू धर्म
ヒンドゥー教80%、イスラム教13%、キリスト教2%、シク教2%、仏教0.8%。

  


インドの位置



2010年11月5日金曜日

イメージ パキスタン

BC2600~BC1800年頃、インダス川流域を中心に、四大文明のひとつであるインダス文明が栄えた。
モヘンジョダロやハラッパーなどの都市遺跡に象形文字が残されているが、いまだ解読されていない。

17世紀からイギリスの会社がインドに進出し、19世紀にはインドとその周辺は完全にイギリスの植民地となった。
第2次大戦後、ヒンドゥー教圏がインド、イスラム教圏が東西パキスタン、仏教圏がスリランカとして独立した。

ヒマラヤのふもと、カシミアのセーターで有名なカシミール地方は、住民の8割がイスラム教徒であったが、ここを統治していた藩主がヒンドゥー教徒であったため、パキスタンに属することを拒み、独立を望んだ。
これに対してパキスタンへの帰属を求めた住民が暴動を起こすと、インド、パキスタン双方が武力介入した。
これが1947年第1次印パ戦争。

以来、60年以上にもわたって、両国はカシミールの領有をめぐって対立している。
現在も世界地図を見ると、この付近の国境は実線ではなく点線で描かれている。

1971年の第3次印パ戦争では、東パキスタンがバングラデシュとして独立した。
この戦争でパキスタンはインドに大敗し、国土の20%、人口の60%を失った。

インドは、1974年と1998年に2度の核実験を行った。
これに脅威を感じだパキスタンは、世界各国からの警告を無視して核実験を決行し、核保有国となった。

その後も、1999年インド旅客機ハイジャック、2000年カシミール爆弾テロ、2006年ムンバイ列車爆破テロ、2008年ムンバイ同時多発テロなど、和解の兆しは見られなかったが、2010年、両国の首脳が会談し、今後も対話を続けていくと決めた。

2008年、アメリカがインドと協定を結び、インドに原子力技術を提供するようになった。
アメリカはイランの核開発を非難しながら、一方でインドにこういった協力をすることはダブルスタンダードである。
パキスタンも、核開発の指導者カーン博士が北朝鮮に技術を提供するなど、管理体制に不安が見られる。

パキスタンは、タリバンをつくりだした国であり、その本拠地でもある。
現在は、アメリカの思惑でパキスタン政府とタリバンは対立し、2008年頃からタリバンによるテロが多発。
兵士だけでなく多くの一般市民も犠牲になり、2009年にはパキスタンの避難民は415万人に達した。
タリバンは、パキスタンの核を奪ってアメリカに向けると宣言した。

・・・この国は無理かもしれない。
外務省は、パキスタンの大部分に「渡航の是非を検討してください」、イランとの国境一帯に「渡航の延期をお勧めします」、アフガニスタンとの国境およびカシミール地方に「退避を勧告します」、を発令している。
中央アジア経由にルート変更すべきか?
あるいは、イランからフェリーでインドに行けないだろうか?

自然災害でも大規模な被害。
2005年、カシミール地方でマグニチュード7.6の地震が発生し、9万人以上の死者。
2010年、洪水で死者1200人以上、200万人が家を失った。

パンジャーブ人56%、パシュトゥーン人16%、シンド人13%、バローチー人4%。
人口増加が激しく、現在は1億8千万人。
国語はウルドゥー語。ヒンディー語と同系だがアラビア文字を用いる。公用語は英語。
イスラム教97%、ヒンドゥー教1.5%、キリスト教1.3%。

  パキスタンの位置