60kgの荷物と70kgの僕を乗せて5万km。
ありとあらゆる過酷な状況を乗り越え、パーツ交換も数知れず、盗難にもあい、ドラマもあり、無事に僕をここまで届けてくれた。
本当によくがんばってくれた。
お疲れさま。
ブルックスサドルの現在の色合いはこんな感じ。
ご存知でない方のために一応説明すると、ブルックスは19世紀設立のイギリスの会社で、約130年前から自転車用サドルをつくり続けている。
皮製で高額だが、使いこむほどケツになじみ、色合いの変化も趣きがあり、長期ツーリストから絶大な支持をされている。
2011年アフリカ走行中はこんな感じだった。
2010年買った当初はこんな感じだった。
2013年一時帰国中に友人につくってもらったステンレスソリッドキャリアは、折れもせず曲がりもせず、ヒビひとつ入っていない。
以前は市販のキャリアを使用していたが、ボキボキと折れまくり、溶接屋を探すのが日課になるほどだった。
これは初めての、折れないキャリア。
うっちー、本当にありがとう(次回もつくってほしいなー)。
海外ではめったに見かけない日本製の1.5L用ペットボトルホルダー。
先日、姪っ子(小6)がふざけてこの自転車に乗っかり、ヘシ折られてしまった。
アフリカでもインドでもネパールでも、現地人に触られまくりいじられまくったが、壊されることはなかった。
まさか日本で小6の女の子に破壊されるとは思ってなかった。
末恐ろしや。
あと、今回の旅で前後計6回もリム割れが生じて、大いに悩まされた。
現在のリムは台湾で新調したものだが、すでに歪みが生じてブレーキに支障が出ている。
割れないリム、が今後の課題だな。
2015年3月30日月曜日
2015年3月29日日曜日
2015年3月21日土曜日
東京
2015年3月19日木曜日
富士五湖 3
河口湖からの眺めも、なかなか。
西湖(標高900m)。
富士観光の拠点として栄える河口湖とは対照的に、西湖はひっそりとしている。
湖自体はとてもきれいでいい雰囲気なのだが、富士山が見えるポイントが一部だけなので人が寄りつかないのだろう。
精進湖はスキップして、、、
本栖湖(標高900m)。
今までまったく知らなかったのだが、千円札の富士山を撮影した岡田紅陽という写真家に突然強い関心が湧き上がり、岡田紅葉写真美術館に行ってみた。
写真展、写真美術館というものにわざわざ入るのは初めてのことだが、いきなりグイグイ惹きこまれた。
約50点の富士山の写真、そのひとつひとつに魂があり、語りかけてくる。
岡田紅陽(1895-1972)は、富士山をこよなく愛し、その人生を富士山撮影に捧げた。
富士山をまるで恋人のように「富士子」と呼び、日々撮影に出かける際に「富士子に会いに行く」と言っていた。
最初は「彼女」の外貌の美しさに打ち込んでいたが、次第に内面、心の良さに魅せられていった。
「一枚として同じ富士は写していません。ましてや心の富士山はいまだ撮りえてはおりません。」
館内は撮影禁止なので、ポストカードを買った。
「湖畔の春」(1935年)。
カメラがデジタル化されてからプロ・アマ問わずよく見る、カメラの機能に依存した写真、加工されて現実離れした写真には、僕はまったく心を打たれない、むしろ嫌悪感を持っている。
この一枚の写真、白黒でごまかしなど一切ないストレートな、この一枚の写真。
こんなにも魂がこめられた写真との出会いに、心が震えた。
忍野八海。
深さ8m、底に落ちたスマホまでよく見える。
新倉山浅間公園。
三脚を使わず手持ちで、きっちり同じ画角で撮る。
これは別に難しいことじゃないかな、性格の表れかな。
河口湖町のホステルに滞在。
ドミトリー1泊2500円。
富士山周辺は安宿が少ないようで、いつも満室に近い状態。
客の大半は外国人。
ありがたいことにここも炊飯器があるが、使っているのは僕だけ。
電気炊飯器というものが存在するのは日本とアジアの一部だけ(一般家庭に常備されている国はおそらく日本だけ)で、世界のほとんどの人は知りもしないのだろう。
日本での「how to eat」を知らずに不味そうなものばかり食べてる外国人旅行者たちに、このすばらしさを教えてあげたい。
山梨県河口湖町
西湖(標高900m)。
富士観光の拠点として栄える河口湖とは対照的に、西湖はひっそりとしている。
湖自体はとてもきれいでいい雰囲気なのだが、富士山が見えるポイントが一部だけなので人が寄りつかないのだろう。
精進湖はスキップして、、、
本栖湖(標高900m)。
今までまったく知らなかったのだが、千円札の富士山を撮影した岡田紅陽という写真家に突然強い関心が湧き上がり、岡田紅葉写真美術館に行ってみた。
写真展、写真美術館というものにわざわざ入るのは初めてのことだが、いきなりグイグイ惹きこまれた。
約50点の富士山の写真、そのひとつひとつに魂があり、語りかけてくる。
岡田紅陽(1895-1972)は、富士山をこよなく愛し、その人生を富士山撮影に捧げた。
富士山をまるで恋人のように「富士子」と呼び、日々撮影に出かける際に「富士子に会いに行く」と言っていた。
最初は「彼女」の外貌の美しさに打ち込んでいたが、次第に内面、心の良さに魅せられていった。
「一枚として同じ富士は写していません。ましてや心の富士山はいまだ撮りえてはおりません。」
館内は撮影禁止なので、ポストカードを買った。
「湖畔の春」(1935年)。
カメラがデジタル化されてからプロ・アマ問わずよく見る、カメラの機能に依存した写真、加工されて現実離れした写真には、僕はまったく心を打たれない、むしろ嫌悪感を持っている。
この一枚の写真、白黒でごまかしなど一切ないストレートな、この一枚の写真。
こんなにも魂がこめられた写真との出会いに、心が震えた。
忍野八海。
深さ8m、底に落ちたスマホまでよく見える。
新倉山浅間公園。
三脚を使わず手持ちで、きっちり同じ画角で撮る。
これは別に難しいことじゃないかな、性格の表れかな。
河口湖町のホステルに滞在。
ドミトリー1泊2500円。
富士山周辺は安宿が少ないようで、いつも満室に近い状態。
客の大半は外国人。
ありがたいことにここも炊飯器があるが、使っているのは僕だけ。
電気炊飯器というものが存在するのは日本とアジアの一部だけ(一般家庭に常備されている国はおそらく日本だけ)で、世界のほとんどの人は知りもしないのだろう。
日本での「how to eat」を知らずに不味そうなものばかり食べてる外国人旅行者たちに、このすばらしさを教えてあげたい。
山梨県河口湖町
2015年3月18日水曜日
富士五湖 2
再び山中湖。
白虹または霧虹と呼ばれる、レアな現象。
通常の虹は、太陽光線が水滴の中で屈折して七色に分散されるが、水滴の大きさが太陽光線の波長と一致した時、光は分散されずにそのままの色で目に映る。
ここは、僕の自転車旅の原点。
21歳の大晦日、埼玉の実家からここまで、自転車で来た。
なぜそんなことをしようと思ったのか?
そんなのわかるわけない。
得体の知れない衝動に駆られて、だ。
持ち物は、地図と飲み物だけ。
何も考えてなかった。
ただただ、自転車をこぐ。
そのひとこぎひとこぎが、言いようもなく気持ち良かった。
満天の星空の下(なぜか夜出発した)、いつ終わるのかわからない長い長い登り。
ようやく峠を越えて、下りになり、重力に従うまま滑り落ちた。
不意に視界が開けて、闇夜に、富士山の白い頂きが浮かび上がった。
圧倒的、あまりに圧倒的。
あらゆるものを吹っ飛ばす。
当時の僕にとっては、ここへ来ただけでも、立派な冒険だった。
今の感覚からすれば他愛のない距離だが、あの時体験したあの感じは、今もはっきりと脳裏にあり、それはその後も旅を続ける原動力となっている。
あれから18年。
その興奮が冷めぬまま、地球2.5周分の距離を走った。
ずいぶん飛び出しちゃったな。
その後、6回ほど自転車で富士五湖に行ったが、やはりこの山中湖から見る富士山が、一番しっくりくる。
山梨県河口湖町
白虹または霧虹と呼ばれる、レアな現象。
通常の虹は、太陽光線が水滴の中で屈折して七色に分散されるが、水滴の大きさが太陽光線の波長と一致した時、光は分散されずにそのままの色で目に映る。
ここは、僕の自転車旅の原点。
21歳の大晦日、埼玉の実家からここまで、自転車で来た。
なぜそんなことをしようと思ったのか?
そんなのわかるわけない。
得体の知れない衝動に駆られて、だ。
持ち物は、地図と飲み物だけ。
何も考えてなかった。
ただただ、自転車をこぐ。
そのひとこぎひとこぎが、言いようもなく気持ち良かった。
満天の星空の下(なぜか夜出発した)、いつ終わるのかわからない長い長い登り。
ようやく峠を越えて、下りになり、重力に従うまま滑り落ちた。
不意に視界が開けて、闇夜に、富士山の白い頂きが浮かび上がった。
圧倒的、あまりに圧倒的。
あらゆるものを吹っ飛ばす。
当時の僕にとっては、ここへ来ただけでも、立派な冒険だった。
今の感覚からすれば他愛のない距離だが、あの時体験したあの感じは、今もはっきりと脳裏にあり、それはその後も旅を続ける原動力となっている。
あれから18年。
その興奮が冷めぬまま、地球2.5周分の距離を走った。
ずいぶん飛び出しちゃったな。
その後、6回ほど自転車で富士五湖に行ったが、やはりこの山中湖から見る富士山が、一番しっくりくる。
山梨県河口湖町
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