2010年7月8日木曜日

クルド人について

クルド人は、世界最大の「国を持たない民族」。
主にトルコ、イラン、イラク、シリアにまたがるクルディスタンという地域に居住しており、中東のその他の地域やヨーロッパ居住者も含めると総人口は2500~3000万人。
大半がイスラム教スンニ派で、言語はクルド語。

第1次大戦後の1920年、オスマン帝国の崩壊にともなって、クルド人の自治を認める条約が結ばれたが、クルディスタンに埋蔵されている豊富な石油の利権がからみ、イギリスとフランスの思惑によって反故された。

第2次大戦後の1946年、イラン北部に駐留していたソ連軍の後押しがあって、クルド人民共和国として独立が実現したが、ソ連軍撤退後にイランに侵攻され、わずか1年で国は消滅した。

最もクルド人が多いのはトルコで、1200~1500万人がトルコ南東部にいる。
しかし、単一民族主義をとるトルコ政府は、クルド人という民族を認めず、かれらを「母国語を忘れた山岳トルコ人」と呼び、クルド語の放送やクルド語の教育を禁止した。
1999年、トルコ治安部隊は、独立を目指して武力闘争を展開してきたPKK(クルド労働者党)の党首を逮捕、死刑宣告したが、EUに批判され、2002年に終身刑に減刑した。党首は現在も投獄されている。
EU加盟を切望するトルコは、クルド人問題に難色を示すEUの顔色をうかがい、クルド語の使用を認めるなど、迫害の手を緩めつつある。

トルコに次いでクルド人の多いイラクでは、フセイン政権時にクルド人掃討が行われていた。
1988年、毒ガスや爆撃で18万人を殺害、4000の村を壊滅させた。
イラクのクルド人は米軍駐留を歓迎し、自治政府の設立を呼びかけてきた。
一方でクルド人は、反宗教的な行為をした者に対しての制裁が国際的な批判を受けている。
2007年イラクで、駆け落ちするために改宗した17歳のクルド人少女が、家族らによってリンチを受けて虐殺される映像がインターネットで公開された。

埼玉県蕨市には、約300人のクルド人がいる。
90年代にトルコの迫害から逃れて来日し、クルドの文化を紹介するイベントを開催するなどしている。
しかし、日本政府は一貫してトルコ政府側であり、かれらを難民として認定せず、強制退去や、逮捕された人もいた。
トルコと日本は、PKKをテロ組織とみなしているため、日本にいるクルド人もテロ支援者として疑われることがある。

複数の国に分割されてしまっているクルディスタンでは、各国で独立運動をしても連携がとれず、少数派による反政府運動としかみなされない。
互いに敵対しあう中東諸国に、石油地帯かつ水源地帯でもあるクルディスタンを手放して独立させろというのは、現実的には厳しいかもしれない。
もし将来独立が実現したら、イスラエルのような悲劇が繰り返されないことを祈る。



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