小さな田舎街で、60元(979円)のボロ宿に投宿。
かすかに嫌な予感はしていたのだが、まさか夜10時に公安が部屋までやって来て叩き起こされて、署まで連行されるとは思ってなかった。
たいていこういう小さな街には、外国人宿泊可の宿はない。
ここの宿は、外国人宿泊不可のルールを知らずに僕を受け入れてしまったようで、それが発覚してしまったのか。
署に連行されたものの、警察も誰一人として英語を話せないので、何のやりとりもできない。
しばらく待たされて、英語を話せる警察官と電話がつながり、どこの何者か知らぬがその者に電話で質問攻撃された。
「中国に何しに来た? どこの国境から入ってきた? 今日で滞在何日目だ? 自転車で2週間以内にマカオにたどり着けるのか?」
といった質問ならまだわかるが、
「日本では何の仕事をしている? クリーナー? 英語はどこで何年勉強した? 中学高校で6年? 英語を6年も勉強して英語を話せるのになぜクリーナーの仕事を選んだ? 家族はどこにいる? 妻子は? 独身? その年齢でなぜ結婚していない?」
なんじゃこの質問は?
夜11時、怒涛の質問攻撃が終わり、警官3人がかりで車で僕を宿まで送った。
ようやく解放かと思いきや、部屋まで来て今度は3人がかりで家宅捜査(?)が始まった。
バッグをひとつずつ開けて中身をチェック。
ラップトップ、iPad、iPhone、カメラの写真をチェック。
引き出しの中、ベッドの下までチェック。
宿のおばちゃんも不審な目でドアの隙間から部屋をのぞきこんでいる。
田舎街に外国人が1泊しただけで、この騒ぎ。
僕は、拘束されて自由を奪われると人一倍イライラしてしまう性格なのだが、この時はなんかおもろくて、けっこう落ち着いて状況を見つめていた。
国によっては、街を歩いていて「外国人だから」というだけで職質されることもめずらしくない。
所持品チェックをされることもある。
ふつうそういう時は、ドラッグや凶器などを所持していないかをチェックすると思うのだが、ここでかれらが探していた物は、ダライ・ラマの写真とか、天安門の写真とか、その手のものかな。
国内の人民を管理できたとしても(実際には管理しきれていないだろうが)、外国人に変な政治活動をされても困る、ということか。
たしかに我々は、チベットやウイグルの現状を知っているし天安門事件も知っている。
2008年の北京オリンピックの時も、「中国人以外は皆、それぐらい知ってるよ」ということを見せつけた。
ラップトップとiPadには、インドで撮ったダライ・ラマのポスターの写真が入っているのだが、1万5千枚ほどある写真をすべてチェックされたわけではないので、大丈夫だった。
もしそれを見られていたら、もっと面倒なことになっていたのかな。
一応フォローしておくと、警官も、電話の向こうの英語話者も、決して高圧的ではなく、礼儀正しかった。
「業務上やむをえないことなので気を悪くしないでほしい」という態度で接してくれたので、僕としてもあえて「ムキーッ」となる気も起きず、おとなしく従った。
社会主義。
その根本思想としては平等社会を理想とするため私有財産を否定し、国内に存在するものは国有のものとして国家が管理しようとするので、外国人に自由に旅行させるのも好ましくないことなのである。
ベトナムやラオスでは特に問題なかったが、旧ソ連の中央アジア諸国などは、外国人が旅行するには、面倒なビザ取得、無意味な滞在登録などの慣例がいまだに残っている。
元をたどればマルクスの思想、それをレーニンがソ連の政治に適用し、毛沢東が中国の政治に適用し、極限化して一国を崩壊させたのがポル・ポト。
ポル・ポト政権下のカンボジアなら僕は100%殺されていただろうから(外国語を話す人→死刑)、この程度ですむなら楽なものかもしれない。
でも、程度の差こそあれ、中華人民共和国も民主カンプチアも根底ではつながっているということを忘れてはならない。
いつの日か、この国が世界の覇権を握るのかもしれないと思うと・・・おっと、誰か来たようだ。
Yangjiang, China