トビリシ出発。
ドンヨリ。
結局、最後までグルジア走行はドンヨリ曇天。
レストランでワインをたくさんもらってしまった。
もらったワインを飲みながら走行していたら酔っ払ってしまった。
いかん。
酒飲みじゃないので加減がわからん。
グルジアラリ。
酔っ払いながらアゼルバイジャンに入国。
車は長蛇の列ができていたが、僕は問題なくスムーズに国境通過。
ソ連の崩壊にともなって1991年に独立。
隣国のアルメニアとの間にあるナゴルノ・カラバフをめぐる領土紛争でアルメニアとは対立しており、アルメニアとの国境は閉鎖されている。
もともとナゴルノ・カラバフはアルメニア人が多く居住する地域で、アルメニアのバックアップで現在独立状態だが、国際的にはほとんど承認されていない。
このナゴルノ・カラバフに渡航歴のある者は、アゼルバイジャンに入国できない。
カスピ海に面するアゼルバイジャンは、豊富な天然資源を有するバクー油田で潤っている。
特に近年は資源高により物価が上昇していると聞く。
物価が高く、特に観光名所もなく、あと欧米人は多額のビザ代を必要とするため、アゼルバイジャンに行く旅行者はそう多くはない。
民族的にも文化的にも、トルコに近い。
黒髪で濃い顔立ち。
言葉もトルコ語に似ている。
「サオール」(ありがとう)や「イスティヨルム」(~したい)なんかはそのままトルコ語で通じる。
文字もトルコと同じく、もともとアラビア文字を使用していたがオスマン崩壊後にローマ字に切り替えられた。
英語はほぼ通じない。
大多数がイスラム教徒だが、髪を隠している女性はごく一部。
モスクも少なく、アザーンも聞こえてこない。
今まで行ったイスラム国の中では最もイスラム感が薄い。
自転車に乗った外国人がよっぽどめずらしいのか、人々は異様に僕を凝視し、アフリカ並みに注目を浴びる。
大声でなにやらわめく人もいるが、歓迎してくれているのか、おちょくっているのか・・・
きっと歓迎してくれているのだろう、と良い方に解釈する。
人に道を尋ねたり売店で買い物するためにちょっと自転車から降りると、10人ぐらいに囲まれる。
気兼ねなく話しかけてきてワーワー騒いだりするところなんかも、トルコ人やアラブ人と同じノリだ。
最初の街には、ホテルがなかった。
「ホテルはないか?」と聞くと、皆「あっちだ」、「むこうだ」といかにも適当に答える。
十中八九ウソだろうなと思いながら進んでみると、やっぱりどこにもホテルはない。
トルコ的ということはメシも期待できないが、ためしにレストランに入ってみたら・・・
うん、全然うまくない。
しかも、だいぶボラれたっぽい。
アゼルバイジャンは自炊+パン+お菓子で乗り切るぞ。
車がすれ違う時に無意味に鳴らすクラクション率が一気に上がった。
その鳴らし方がまたあまりに乱暴で、非常にうるせえ。
イヌもトルコ的なアグレッシブさが復活し、よく追いかけてくる。
ギャンジャ。
中国? モンゴル? アラブ? ペルシャ?
なんとなく、アゼルバイジャン人は撮影に抵抗を感じているように見える。
街の風景1枚撮るにも、さりげなくコッソリ撮って、すみやかに立ち去る。
グルジアあたりから、カキの木をよく見る。
なんだか、一部だけがオイルマネーの恩恵を受けていびつに発展しているような印象を受けた。
今のところ、食料や物品の値段はトルコやグルジアと大差ない。
ただ、安宿がない。
ホテルといったらこんな感じ。
ギャンジャでは3軒のホテルを見たが、いずれも5ツ星か4ツ星クラスのいかにも高そうな面構えだった。
これじゃ旅人が寄り付かないのもわかる。
大平原。
風も穏やか。
ここはサクサク進んだ方がいい。
人と出会ったらきまってチャイをごちそうしてくれるのも、トルコと同じ。
アゼルバイジャンでは急須ごと出してくれるので、ついつい何杯も飲んでしまう。
1杯につき角砂糖5個×6杯=角砂糖30個か。
などど小さなことを考えてしまったりする。
黙々とチャイを飲み続けていると、他の客がパンを差し出してくれたりする。
路上の果物売りもトルコと同じだが、こんな荒野でどれだけ売れるのか?
トリを売る人も。
一日中荒野で突っ立ってたらやっぱりヒマなのか、何度も声をかけられる。
今までにない建築様式。
雨。
野宿が続いているのでちょっとホテルに泊まりたい気分なのだが、ホテルはまったくない。
街があって、店もあって、でも宿泊施設が一切ない。
こんな国は初めてだ。
屋根付きの広大なスペースがあるスーパー兼レストラン兼GS。
ここで「テントを張らせてほしい」とお願いしたが、あえなく断られた。
次のGSでは、「日本人が来た! 日本人が来た!」とスタッフ一同興奮してもてなしてくれた。
これはおいしい。
すごく感じのいい人たちだった。
「ところで、この裏にテント張ってもいい?」と聞いたら、またあえなく断られた。
そもそも、アゼルバイジャン人はテントという物の存在を知っているだろうか?
ジェスチャーや絵を描いたりして説明しているのだが、「建物の中に泊めてほしい」と勘違いされているかもしれない。
次に廃墟同然のカフェが現れ、そこのおじさんはOKしてくれた。
しかも、家の中で寝ていいと言う。
なんてありがたい。
おじさんは次々に食べ物を持って来てくれた。
「女と一緒に旅しないのか?」
「ああ、ひとりだよ。」
「オレもひとりもんだ。女房も子供もいない。」
日本では中年の独身はまったくめずらしくないが、世界ではこういう人はめずらしい。
人それぞれ、事情があるもんだ。
そろそろ寝仕度をしようとしたところ、おじさんがやって来て、いきなりズボンを下ろして生ケツを振り始めた。
えっ、生ケツダンス?
ふざけてるのか?
「いやいや、おじさん、そういうおふざけは笑えないよ」と言ってもなかなかやめない。
じゃあ本番はダメならこれは? と前戯を意味するジェスチャーを始めた。
・・・これはちょっとヤバいかも。
そしてついに生ケツを突き出して迫ってきた。
「アイラブユ~ ♡ 10マナト(1047円)払うからちょうだい~!」
いかん!
こいつはガチだ!
僕はおっさんをはねのけ、土砂降りの闇の中を爆走した。
1億マナトもらったって、お断りする。
見たところおっさんは女役のようだったので、こっちがその気にならない限り行為は成立しないだろう。
でももし、なんらかの凶器を使って脅されてなんらかの行為を強要されていたら・・・
我が人生最大の惨事となっていたかもしれない。
しばらくして、野宿可能な廃墟が現れ、そこにテントを張った。
翌日。
リアホイールに異変を感じたので調べてみたら、リムが歪んでいた。
ぶつけたり力を加えたりしたおぼえはない。
なんだろう?
こんな現象は初めてだ。
しかもだんだんひどくなってきた。
世界最大の湖、カスピ海。
日本とほぼ同じ面積。
世界の湖水の4割を占める。
黒海と違い、カスピ海は完全に閉ざされた湖。
550万年前までは外洋とつながっていた。
現在も塩水で、流入河川のみで流出河川はない。
リムはこんなになってしまった。
もう走行不能。
タイヤに空気を入れると、この周辺のタイヤがコブのように膨張して、フレームに触れてしまう。
この国でホイールは入手できるのだろうか?
Bakı, Azerbaijan
24310km