昨日のキリマンジャロ。
今朝のキリマンジャロ。
どうも山の周辺は、夜は晴れて昼は雲に覆われる、というパターンのようだ。
朝夕のひとときだけ、姿を見せてくれる。
「キリマンジャロ」はスワヒリ語で「白く輝く山」という意味で、万年雪で覆われた山頂をそう表現している。
その万年雪も、温暖化の影響で年々減少しているという話だが、ちゃんと輝いて見えた。
ただ、汚い街から見る山は、雄大さに欠ける。
写真には現れないが、街はクラクション、エンジン音、排気ガス、爆音BGMで満たされている。
全身五感で眺めを楽しむ、というのはここでは到底できない。
キリマンジャロは、山自体はタンザニアに属しているが、眺めはケニア側のアンボセリ国立公園から見るのが最も雄大だといわれている。
有名国立公園となると費用が問題になってくるが、なんとか日帰りで安くすむ手段を確保できれば、アンボセリに行ってみたい。
せっかくコーヒーの名産地にやってきたので、コーヒーを飲みたい。
店で出されるコーヒーが本当にキリマンジャロの豆を使っているのか確証がないが、とりあえずlonely planetで推奨されているカフェに行ってみた。
これがその店のブレックファーストメニュー。
味の特徴は、薄めで酸味が強い。
僕は、ネスカフェの方が好きです。
コーヒーを飲むことがこの土地に根付いているのなら、ここでしか味わえないものが期待できるが、あいにくキリマンジャロの豆はもっぱら輸出にまわされる。
日本でも、まったく同じものが買えるでしょう。
現地人は、コーヒーを飲むならインスタントだろうし、どちらかというとコーヒーよりチャイの方がポピュラーだ。
だいたいこういう、見た目がちゃんとした外国人向けの店は、本当に見た目だけで、質は期待できない。
lonely planetには、「ホームメイドのパンやケーキが各種・・・」と書かれているが、パンはどうみてもその辺の商店で売ってるものだし(せめてトーストしてくれよ)、ケーキはメニューに十数種類も書かれていたが、全部品切れだった。
ウエイター(マスター?)は僕の目の前でスプーンを落とし、まったく動じることなくそれをテーブルに置き、客の対応より携帯のおしゃべりを優先していた。
なので、コーヒーの味がどうのこうのより、「やはりここはアフリカだな。」が最終的な感想。
Moshi, Tanzaniaにて
2011年11月27日日曜日
キリマンジャロ
今日、モシに着いた。
ここは、かのキリマンジャロ(標高5895m、世界遺産)のふもとの街。
グレートリフトバレーがつくりだしたアフリカ最高峰、あこがれのキリマンジャロ。
この周辺には数多くの有名国立公園、そしてヴィクトリア湖もある。
そろそろアフリカ旅行のハイライトといったところだ。
しかし、今日のキリマンジャロははこんな感じ。
見えるまで、ねばれるだけねばる。
ダルエスサラームの追記。
見おぼえのある信号機。
日本が寄贈したのだろうか?
他国でこれと同じデザインは見たことない。
おそらく、タンザニアで信号がある街はダルエスサラームだけだと思う。
基本的には信号などなく、道路にはこういうバンプが多数ある。
今までの国でも多少はあったが、タンザニアは特に多く、一日に何十回もこれを越えなければならない。
ほとんどの車は、こんなのものともせず猛スピードで突っ込んで行く。
時に大型車でさえも、スピードを落とさず乗り越えて行くことがある。
被害をこうむるのは二輪車だけだ。
特に大荷物を積んでると、こたえる。
下り坂で飛ばしている時も、急ブレーキをかけなければならない。
いったいなんのため?
こういうタイプの方が自転車にやさしく、車に効果ありのようだ。
走行中に二度、トラックに接触された。
一度目は、自転車なんぞよける必要もない、とばかりに道路の端を直進し続け、車体が僕の肩に接触した。
二度目は、途中まではよけていたが突然こちらに急接近してきて、車体がバッグに接触した。
いずれも、対向車や追い越し車が来ている状況ではなく、十分なスペースがあった。
やはり、原始社会に車を持たせるべきではない。
いつか殺される。
こんな立派な部屋が10000シリング(460円)なんて信じられますか?
トイレ、シャワー、扇風機、テレビ付きで、停電も断水もなかった。
カナダでは、キャンプ場でC$30(当時のレートで3000円ぐらい)以上するところもあった。
世の中わからない。
ザンビアあたりからそうだが、たいていの部屋には蚊帳がある。
マラリア防止のためだろう。
窓には、鉄格子と固定の網戸がはめられている。中級以下のホテルには、窓ガラスというものがない。
換気扇などの空調機というものも見たことない。
アフリカの部屋はやけに照明が暗い。
夜になると本も読みづらい。
テレビは面白くないのでほぼ見ない。
小さな街では、5000シリング(230円)の安宿しかない、ということも多い。
安宿は水が出ず、バケツ1杯の水だけ与えられる。
不便でも不衛生でもかまわないが、この酷暑で扇風機がないというのは、ちときつい。
気温が下がる時間帯(23~24時ぐらい)まで、じっと耐え忍ぶしかない。
暑いのでドアを開放したかったが、昼間から隣の部屋の黒人女性に猛烈にアタックされていたので危険を感じ、ドアを閉めてカギをかけ、iPodで音量を大きめにして耳をふさいでいたが、それでもノックする音と、ドアを開けようとガチャガチャする音が何度か聞こえた。
次の日は、思い切って30000シリング(1380円)の高級ホテルに泊まった。
先進国並みの設備で、エアコンと冷蔵庫付き。
いやー、これは快適だった。
決して悪いことをしてるわけじゃないのに、かすかな罪悪感があった。
タンザニア人が街にスーパーをつくらないのはなぜだろう?
地図上ではやや大きめに書かれた街でも、店は数多くあるが、どれも品ぞろえの悪いキヨスク程度の商店ばかり。
クソ暑いので冷たい炭酸をガブ飲みしたいのだが、こういう商店には350mlの瓶しかない。
基本的に、瓶はその場で飲んで空瓶は返却する。
瓶を持ち去るなら倍の料金を取られる。
せっかく冷蔵庫付きのホテルに泊まっても、冷蔵庫に入れるべきドリンクが街に売っていない!
何十分も歩き回って、ようやく500mlのペットボトルを発見し、5、6本買って冷蔵庫に入れてキンキンに冷やした。
次の日は、うってかわって久々のキャンプ。
めずらしくキャンプ場があった。
川沿いを散歩し、サルや大トカゲやヘビ、それから未開の部族みたいな人たちにも出くわした。
このキャンプ場はドリンクは売っていたがレストランがなく、近くに街もなかった。
僕がまったく食料を持っていないことをオーナーに伝えると、晩飯をごちそうしてくれた。
ここの川で釣った魚のフライ、ライス、サラダだった。
うまかった。
ちなみに、客は僕ひとりだけ。
久々に満天の星空も堪能できた。
やっぱりキャンプはいい。
さすがに熱帯だけあって、タンザニアもフルーツ大国。
オレンジがあり余っているようだ。
この小さな集落でオレンジを3つ買ったのだが、おまけにもう1個食べていけと、次から次へと皮をむいてさしだしてくれて、1個いくらとかもうどうでもいい感じで、何個食べたかわからないほど食べた。
ヘタに英語を話せる人がいるとその人の通訳に頼ってしまうが、こういう集落では完全スワヒリ語。
僕はスワヒリ語はあいさつと数字しかわからないが、不思議なことに、ジェスチャーだけでも十分通じあえて、笑って語り合った。
小雨期はもう終わったのだろうか?
ダルエスサラームを出てから、一度も雨は降っていない。
あとは、雲がとれてキリマンジャロが一望できれば。
Moshi, Tanzaniaにて
Dst. 8929km
ここは、かのキリマンジャロ(標高5895m、世界遺産)のふもとの街。
グレートリフトバレーがつくりだしたアフリカ最高峰、あこがれのキリマンジャロ。
この周辺には数多くの有名国立公園、そしてヴィクトリア湖もある。
そろそろアフリカ旅行のハイライトといったところだ。
しかし、今日のキリマンジャロははこんな感じ。
見えるまで、ねばれるだけねばる。
ダルエスサラームの追記。
見おぼえのある信号機。
日本が寄贈したのだろうか?
他国でこれと同じデザインは見たことない。
おそらく、タンザニアで信号がある街はダルエスサラームだけだと思う。
基本的には信号などなく、道路にはこういうバンプが多数ある。
今までの国でも多少はあったが、タンザニアは特に多く、一日に何十回もこれを越えなければならない。
ほとんどの車は、こんなのものともせず猛スピードで突っ込んで行く。
時に大型車でさえも、スピードを落とさず乗り越えて行くことがある。
被害をこうむるのは二輪車だけだ。
特に大荷物を積んでると、こたえる。
下り坂で飛ばしている時も、急ブレーキをかけなければならない。
いったいなんのため?
こういうタイプの方が自転車にやさしく、車に効果ありのようだ。
走行中に二度、トラックに接触された。
一度目は、自転車なんぞよける必要もない、とばかりに道路の端を直進し続け、車体が僕の肩に接触した。
二度目は、途中まではよけていたが突然こちらに急接近してきて、車体がバッグに接触した。
いずれも、対向車や追い越し車が来ている状況ではなく、十分なスペースがあった。
やはり、原始社会に車を持たせるべきではない。
いつか殺される。
こんな立派な部屋が10000シリング(460円)なんて信じられますか?
トイレ、シャワー、扇風機、テレビ付きで、停電も断水もなかった。
カナダでは、キャンプ場でC$30(当時のレートで3000円ぐらい)以上するところもあった。
世の中わからない。
ザンビアあたりからそうだが、たいていの部屋には蚊帳がある。
マラリア防止のためだろう。
窓には、鉄格子と固定の網戸がはめられている。中級以下のホテルには、窓ガラスというものがない。
換気扇などの空調機というものも見たことない。
アフリカの部屋はやけに照明が暗い。
夜になると本も読みづらい。
テレビは面白くないのでほぼ見ない。
小さな街では、5000シリング(230円)の安宿しかない、ということも多い。
安宿は水が出ず、バケツ1杯の水だけ与えられる。
不便でも不衛生でもかまわないが、この酷暑で扇風機がないというのは、ちときつい。
気温が下がる時間帯(23~24時ぐらい)まで、じっと耐え忍ぶしかない。
暑いのでドアを開放したかったが、昼間から隣の部屋の黒人女性に猛烈にアタックされていたので危険を感じ、ドアを閉めてカギをかけ、iPodで音量を大きめにして耳をふさいでいたが、それでもノックする音と、ドアを開けようとガチャガチャする音が何度か聞こえた。
次の日は、思い切って30000シリング(1380円)の高級ホテルに泊まった。
先進国並みの設備で、エアコンと冷蔵庫付き。
いやー、これは快適だった。
決して悪いことをしてるわけじゃないのに、かすかな罪悪感があった。
タンザニア人が街にスーパーをつくらないのはなぜだろう?
地図上ではやや大きめに書かれた街でも、店は数多くあるが、どれも品ぞろえの悪いキヨスク程度の商店ばかり。
クソ暑いので冷たい炭酸をガブ飲みしたいのだが、こういう商店には350mlの瓶しかない。
基本的に、瓶はその場で飲んで空瓶は返却する。
瓶を持ち去るなら倍の料金を取られる。
せっかく冷蔵庫付きのホテルに泊まっても、冷蔵庫に入れるべきドリンクが街に売っていない!
何十分も歩き回って、ようやく500mlのペットボトルを発見し、5、6本買って冷蔵庫に入れてキンキンに冷やした。
次の日は、うってかわって久々のキャンプ。
めずらしくキャンプ場があった。
川沿いを散歩し、サルや大トカゲやヘビ、それから未開の部族みたいな人たちにも出くわした。
このキャンプ場はドリンクは売っていたがレストランがなく、近くに街もなかった。
僕がまったく食料を持っていないことをオーナーに伝えると、晩飯をごちそうしてくれた。
ここの川で釣った魚のフライ、ライス、サラダだった。
うまかった。
ちなみに、客は僕ひとりだけ。
久々に満天の星空も堪能できた。
やっぱりキャンプはいい。
さすがに熱帯だけあって、タンザニアもフルーツ大国。
オレンジがあり余っているようだ。
この小さな集落でオレンジを3つ買ったのだが、おまけにもう1個食べていけと、次から次へと皮をむいてさしだしてくれて、1個いくらとかもうどうでもいい感じで、何個食べたかわからないほど食べた。
ヘタに英語を話せる人がいるとその人の通訳に頼ってしまうが、こういう集落では完全スワヒリ語。
僕はスワヒリ語はあいさつと数字しかわからないが、不思議なことに、ジェスチャーだけでも十分通じあえて、笑って語り合った。
小雨期はもう終わったのだろうか?
ダルエスサラームを出てから、一度も雨は降っていない。
あとは、雲がとれてキリマンジャロが一望できれば。
Moshi, Tanzaniaにて
Dst. 8929km
2011年11月22日火曜日
iPhone壊れた
ザンジバルのホテルで充電後、まったく使えなくなった。
なんかおかしなコンセントだったので、変な電圧がかかってしまったのかもしれない。
ダルエスサラームには一応修理屋があって、今日一日がかりで見てもらったのだが、結論としては、ソフトではなくハードの故障で、修理するならフタを開けて基盤交換となるのだが、それだと数万円かかるので、中古で安いのを買った方がいい、という。
そして驚くべきことに、そのアラブ人の携帯修理屋が言うには、そもそも僕のiPhoneは中古品らしい。
僕はザンビアでこれを買った時、中古品でないか、まがいものでないか、慎重に確認しながら箱を開けたのだが、僕の目には完璧に本物の新品に見えた。
しかし、中国あたりで中古iPhoneをクリーニングして新品として売る、というのはよくあることらしい。
僕のiPhoneは3GSで、2010年の何月だかに完全に製造販売を中止しているので、2ヶ月前に3GSが新品として売られていることはありえないらしい。
誰よりも携帯オンチの僕がそんなことを知るはずもない。
これが本当なら、たいしたもんだと逆に感心する。
しかしたとえ中古でも、今まで問題なく使えていたのだからよかったが、壊れてしまっては中古だろうが新品だろうが、同じことだ。
やはり買うべきでなかったか。
なんだか失敗が多い、今回の旅は。
Wi-Fiは普及しているが、無料のところは少ない。
最初に支払ってその後は無制限に使えるようなシステムならまだいいが、30分単位で料金を取られるところが多い。
結局Wi-Fiもけっこう金がかかる。
そして、電話の機能は一度も使わなかった。
Skypeも、僕の知り合いで利用している人はほとんどいないようで、一度も使わなかった。
(Skypeがインストールされているネットカフェはけっこう多いので、今後ネットカフェで使えないこともない。)
またバカな買い物をしてしまったのかもしれない。
もう買わない。
それからおかしなことに、いつのまにかダルエスサラームが居心地良くなっている。
相変わらずクラクションや「チナ!」は嫌だが、もう2、3日いてもいいかなという気分。
でも、明日には出発する。
Dar Es Salaam, Tanzaniaにて
なんかおかしなコンセントだったので、変な電圧がかかってしまったのかもしれない。
ダルエスサラームには一応修理屋があって、今日一日がかりで見てもらったのだが、結論としては、ソフトではなくハードの故障で、修理するならフタを開けて基盤交換となるのだが、それだと数万円かかるので、中古で安いのを買った方がいい、という。
そして驚くべきことに、そのアラブ人の携帯修理屋が言うには、そもそも僕のiPhoneは中古品らしい。
僕はザンビアでこれを買った時、中古品でないか、まがいものでないか、慎重に確認しながら箱を開けたのだが、僕の目には完璧に本物の新品に見えた。
しかし、中国あたりで中古iPhoneをクリーニングして新品として売る、というのはよくあることらしい。
僕のiPhoneは3GSで、2010年の何月だかに完全に製造販売を中止しているので、2ヶ月前に3GSが新品として売られていることはありえないらしい。
誰よりも携帯オンチの僕がそんなことを知るはずもない。
これが本当なら、たいしたもんだと逆に感心する。
しかしたとえ中古でも、今まで問題なく使えていたのだからよかったが、壊れてしまっては中古だろうが新品だろうが、同じことだ。
やはり買うべきでなかったか。
なんだか失敗が多い、今回の旅は。
Wi-Fiは普及しているが、無料のところは少ない。
最初に支払ってその後は無制限に使えるようなシステムならまだいいが、30分単位で料金を取られるところが多い。
結局Wi-Fiもけっこう金がかかる。
そして、電話の機能は一度も使わなかった。
Skypeも、僕の知り合いで利用している人はほとんどいないようで、一度も使わなかった。
(Skypeがインストールされているネットカフェはけっこう多いので、今後ネットカフェで使えないこともない。)
またバカな買い物をしてしまったのかもしれない。
もう買わない。
それからおかしなことに、いつのまにかダルエスサラームが居心地良くなっている。
相変わらずクラクションや「チナ!」は嫌だが、もう2、3日いてもいいかなという気分。
でも、明日には出発する。
Dar Es Salaam, Tanzaniaにて
2011年11月19日土曜日
パジェ
ザンジバルの海岸の多くはビーチリゾートになっているようで、安宿がない。
東海岸のパジェというビーチには、有名な日本人宿がある。
その日本人宿も僕には高すぎるが、どうせ他の宿も高いので、思い切ってそこに泊まってみた。
宿はビーチの真ん前。
すさまじい遠浅。
すさまじい普段着。
天気が残念。
ずっとぐずついた天気で、すっきり晴れることはなかった。
コロブス。
どうも、思い描いていた日本人宿とはかけ離れていた。
まずそもそも、日本人がいなかった。
従業員は全員現地人(マサイ族を含む)で、オーナーさんはいなかった。
日本人宿泊客が3人ほどいたが、シーンとしてあまり話せる空気ではなく(えんえんノートパソコンまたはiPhoneをいじり続けていた)、ひとり話しかけてみたが、いたって事務的に切り返され、会話らしい会話はできなかった。
しかしそうかといって、あまり日本人だらけでにぎやかすぎるのも、僕は苦手なのだが。
食事は、テリヤキチキンとご飯と味噌汁だった。
限りなく日本の味に近かった。
黒人が味噌汁でこんなにちゃんと日本の味が出せるとは、驚きだった。
ただ、ディナーは7時半といわれたのに、実際に料理が出てきたのは9時だった。
そして、お約束の停電。
暗闇の中、ご飯も味噌汁もよく見えないまま、黙々と久々の和を味わった。
後でたまたま貼り紙を見て知ったのだが、これは計画停電で、あらかじめ停電の曜日と時間が決まっているらしい。
それなら最初に言ってほしかったが、停電なんか当たり前すぎて言うまでもない、という認識なのかもしれない。
図書室があって日本の本が読めるのだが、鍵がかかっていて自由に出入りできるわけではなく、いちいちマサイ族の人に開けてもらわなければならない。
図書委員のマサイ君。
ようやく撮らせてもらったマサイ。
撮影は難なくOKで、チップも不要。
同じマサイ族でも、人によって全然対応が違うようだ。
走行中はずっと雨。
タンザニア本土よりいっそう熱帯雨林な風景だったが、カメラが防水でないので、写真は撮らなかった。
巨大カタツムリだけ撮っといた。
長さ約10cm。
明日、フェリーで本土に戻る。
Stone Town, Zanzibar, Tanzaniaにて
Dst. 8343km
東海岸のパジェというビーチには、有名な日本人宿がある。
その日本人宿も僕には高すぎるが、どうせ他の宿も高いので、思い切ってそこに泊まってみた。
宿はビーチの真ん前。
すさまじい遠浅。
すさまじい普段着。
天気が残念。
ずっとぐずついた天気で、すっきり晴れることはなかった。
コロブス。
どうも、思い描いていた日本人宿とはかけ離れていた。
まずそもそも、日本人がいなかった。
従業員は全員現地人(マサイ族を含む)で、オーナーさんはいなかった。
日本人宿泊客が3人ほどいたが、シーンとしてあまり話せる空気ではなく(えんえんノートパソコンまたはiPhoneをいじり続けていた)、ひとり話しかけてみたが、いたって事務的に切り返され、会話らしい会話はできなかった。
しかしそうかといって、あまり日本人だらけでにぎやかすぎるのも、僕は苦手なのだが。
食事は、テリヤキチキンとご飯と味噌汁だった。
限りなく日本の味に近かった。
黒人が味噌汁でこんなにちゃんと日本の味が出せるとは、驚きだった。
ただ、ディナーは7時半といわれたのに、実際に料理が出てきたのは9時だった。
そして、お約束の停電。
暗闇の中、ご飯も味噌汁もよく見えないまま、黙々と久々の和を味わった。
後でたまたま貼り紙を見て知ったのだが、これは計画停電で、あらかじめ停電の曜日と時間が決まっているらしい。
それなら最初に言ってほしかったが、停電なんか当たり前すぎて言うまでもない、という認識なのかもしれない。
図書室があって日本の本が読めるのだが、鍵がかかっていて自由に出入りできるわけではなく、いちいちマサイ族の人に開けてもらわなければならない。
図書委員のマサイ君。
ようやく撮らせてもらったマサイ。
撮影は難なくOKで、チップも不要。
同じマサイ族でも、人によって全然対応が違うようだ。
走行中はずっと雨。
タンザニア本土よりいっそう熱帯雨林な風景だったが、カメラが防水でないので、写真は撮らなかった。
巨大カタツムリだけ撮っといた。
長さ約10cm。
明日、フェリーで本土に戻る。
Stone Town, Zanzibar, Tanzaniaにて
Dst. 8343km
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