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エストニア、ラトビア、リトアニアは「バルト三国」としてひとくくりにされるが、それぞれ独自の民族、言語、歴史を持つ。第2次大戦中の1940年にソ連に併合されたが、1989年の東欧革命では、200万人が手をつなぎ、600km以上におよぶ「人間の鎖」で三国を結び、ソ連からの独立を世界に訴えた。1990年にはリトアニア、ラトビアが、1991年にはエストニアが独立し、2004年には三国同時にEU加盟を果たした。・リトアニアリトアニア人83%、ポーランド人6%、ロシア人5%。公用語はリトアニア語。大半がカトリック。・ラトビアラトビア人59%、ロシア人28%。公用語はラトビア語。東部はカトリック、北部、西部はプロテスタント。・エストニアエストニア人68%、ロシア人25%。公用語はエストニア語。大半がプロテスタント。
6世紀までにポーランド人の祖となるスラブ人がこの地に定住し、966年にポーランドは国家として成立した。14~16世紀にはヨーロッパの大国として繁栄したが、やがて衰退し、18世紀後半にはロシア、プロシア、オーストリアによって分割された。1830年、ロシアからの独立を目指して「十一月蜂起」が起こり、翌年鎮圧された。ショパンはこの事件の知らせを聞いて、「革命」を作曲したといわれている。
第1次世界大戦が終結した1918年、ドイツとソ連から領土が割譲され、ポーランドは国家として再生した。第2次世界大戦が勃発した1939年、ナチス・ドイツとソ連に侵攻され、再び分割。ナチスによるホロコーストの象徴といえるアウシュビッツ強制収容所はポーランドにある。ヨーロッパ各地から、ユダヤ人、ロマ人、政治犯、障害者などが送り込まれ、ピーク時の1943年には14万人が収容され、過重労働、人体実験、ガス室での大量虐殺などが行われた。1979年、「負の遺産」として世界遺産に登録された。大戦後にポーランドは再度復活したが、ソ連の衛星国となり、社会主義国となって共産圏に組み込まれた。1989年、東欧革命で初の民主化。2004年、EU加盟。
97%がポーランド人。公用語はポーランド語。キリル文字ではなくローマ字を用いる。95%がカトリック。・ポーランド出身の有名人ニコラウス・コペルニクス(天文学者、地動説)キュリー夫人(化学者、ラジウムとポロニウムを発見)フレデリック・ショパン(作曲家、ピアニスト)イグナツィ・パデレフスキ(ピアニスト、第3代首相)ルドヴィコ・ザメンホフ(言語学者、エスペラント語の創始者)
今までは週休1日だったが、これからあと1年は、仕事を増やして月休1日でやっていく。そこまでしなくても、旅の資金は目標額に達するのだが、なぜか住民税と国保が毎年数万単位で跳ね上がっていき、とても払えない額になってしまった。所得税も、数年前と比べたらずいぶん上がった。収入は増えてないのに。どう節約しても払いきれないので、仕事を増やすしかない。
一生こんな生活を続けるのは絶対ごめんだが、あと1年の辛抱、と思えばできる。世の中、まったく休まずに働き続ける人もいるし、信じられないほどの高額納税者もいる。そういう人と比べたら、これくらいはたいしたことないはずだ。旅に出てしまったら、もう住民税も国保も払えない。払わずに放置し続けると、財産差し押さえで預金を下ろせなくなるらしい。海外で預金が下ろせなくなったらやばい。どうしよう?他の長期旅行者たちはちゃんと払っているのだろうか?とりあえず今は、仕事があるだけありがたいと思うべきだろう。次の旅から帰ってきたら、仕事ないかもしれない。なんでもいい。とにかくあと1年の辛抱。
第1次世界大戦で敗戦したドイツは、徹底的に痛めつけられ、経済も崩壊状態となった。そんな中で台頭したナチス党は、党首ヒトラーの巧みな戦略によって国民に支持され、1933年に政権を握った。ナチスは、国粋主義のもとにユダヤ人を排斥し、言論、出版、教育を統制するなど、独裁体制を進めた。反対派やユダヤ人は強制収容所に送られた。ナチスに殺されたユダヤ人は600万人といわれている。また、アウトバーン建設などの大規模な土木工事や軍需工業をおこして、失業者を急速に減らした。
1938年にナチス・ドイツはオーストリアを併合し、さらに領土を拡大すべく、1939年にポーランドに侵攻した。これに対してイギリスとフランスがドイツに宣戦し、第2次世界大戦が勃発。1945年、またしてもドイツは敗戦し、領土の25%を失い、戦勝国の米英仏ソによって東ドイツと西ドイツに分裂した。分裂後まもなく、「東(ソ連などの社会主義陣営)vs西(米英仏の資本主義陣営)」の冷戦時代へ突入。1960年代には、貧しい東ベルリンから豊かな西ベルリンに逃げこむ者が増えた。これを防ぐためにソ連が建設したのがベルリンの壁。1980年代の終わりに東欧の共産国が次々に破綻して民主化したことが影響し、経済的困窮が続く東ドイツでも統一の動きが高まり、1989年にはベルリンの壁が崩壊し、翌1990年にドイツは再び統一された。現在のドイツは、世界トップの工業製品輸出国(2008年に輸出額で中国に抜かれた)で優れた技術を誇り、GDPは世界4位(ヨーロッパで1位)の経済大国である。フランスとともにEUの中核国であるが、一方で、長期間の分裂による東西の格差がいまだ残り、成長の妨げとなっている。
ドイツ人は旅行好きで有名で、海外旅行者数は世界1位。年間で延べ7000万人以上が海外旅行をする(ドイツの人口は8175万人)。日本人の海外旅行者数は1700万人ほどで、トップ10にも入っていない。公用語はドイツ語。宗教はキリスト教68%(プロテスタント32%、カトリック31%)、イスラム教4%、ユダヤ教0.25%。・ドイツ出身の音楽家ヘンデル、バッハ、ベートーヴェン、メンデルスゾーン、シューマン、ワーグナー、ブラームス、フルトヴェングラー・ドイツ出身の学者ケプラー(天文学者)、カント(哲学者)、ゲーテ(作家)、ヘーゲル(哲学者)、ガウス(数学者)、マルクス(経済学者)、ニーチェ(哲学者)、アインシュタイン(物理学者)
ゲルマン人というのは、古代ローマ帝国の側から見たゲルマニア地方に住む諸民族の総称で、ゲルマン人という民族がいるわけではないらしいが、やはり「ドイツ人=ゲルマン人」というイメージが強くある。4~5世紀、アジアから来たフン族に押されてゲルマン人がローマ帝国に進入、同化していった。これが有名な「ゲルマン民族の大移動」。フン族の侵攻を食い止めたのは、ローマ帝国で傭兵となったゲルマン人であり、ヨーロッパ世界の成立にとって重要な役割を果たした。この大移動のすぐ後に西ローマ帝国が滅亡し、ゲルマン人による王国が築かれ、フランク王国が統一した。フランク王国において、ラテン語ではなくゲルマン語系を話す人一般に対する「Deutsch」(民衆、大衆)という呼称が、後の国名の由来となった。9世紀、カール大帝の死後にフランク王国は、東フランク王国、西フランク王国、中フランク王国に分割され、それぞれドイツ、フランス、イタリアの原型となった。神聖ローマ帝国、プロイセン王国を経て、1871年、ドイツ帝国が成立した。
分割後のフランク王国 1630年の神聖ローマ帝国
プロイセン王国