3日で走り抜けたので、ちょっと除き見た程度。
最初の南ア、ナミ、ボツは90日以内の滞在ならビザ不要だったが、ザン以降はほとんどの国でビザが必要になる。
今のところは面倒な申請をすることなく、国境で金を払うだけ。
ビザと称して通行料を取りたいだけなのだろう。
それもUSドルで払わなければならないので、外貨がほしいのだろう。
ザンビアUS$50、ジンバブエUS$30、モザンビークUS$30。
いずれも30日の滞在許可で、延長するならまた国境に行って同額を払う。
アフリカを縦断するには、ビザ代だけで数百ドル用意する必要がある。
主要言語はポルトガル語。
ちょっと探せば英語を話せる人をみつけられるが、まったく話せない人も多い。
僕はスペイン語の記憶が残っているので、なじみある単語がけっこう聞こえてくる。
特に数字はよく似ているので、買い物する時の金額はだいたいわかる。
アフリカで「Amigo!」と呼ばれるのはちょっと不思議な感じだ。
1992年まで内戦をしていて、いまだ地雷が残り、かつての子供兵は大人になった今も心の病を抱えているなど、ひどい傷跡を残したようだ。
僕が見た現在のモザンビークは平和で、人々は僕を歓迎してくれた。
村はやっぱり、小屋とバオバブな感じ。
「モザンビークで自転車に乗るなら、この蛍光ジャケットを着用する義務がある。」と国境で買わされた。
でも、地元民誰も着てない。
これは、ハメられたか。
ザンベジ川。
ボツワナからザンビアに入国した時に越えたのもザンベジ川。
ビクトリアの滝もザンベジ川。
この川岸に、テテという、僕のルート上では唯一の都市があった。
しかし人口が多いだけで店は少なく、ATMでお金をおろせなかった。
どのATMにも長蛇の列ができ、やっと番がまわってきてもカードが合わなくておろせず、また並んでいる途中でATMのお金が尽きて解散させられたりした。
やむをえず、その辺で立ってる両替商にドルを替えてもらったのだが、おそろしくレートが悪い。
いくら今ドル安でももうちょっともらえるはずだ、とちょっとゴネてみたが、ぼったくろうとしている感じではなかった。
ネットカフェでレートを調べようとしたが、あいにく祝日のようで、閉まっていた。
(その後ネットでモザンビークメティカルのレートを調べようとしたが、どういうわけか情報が出てこない。)
スーパーも、祝日ということで3時に閉まってしまった。
僕がスーパーに着いたのは3時01分だった。
何もできやしない。
することないので、子供たちに遊ばれてやった。
村にバスが停まると、バナナ売りの女性たちが大勢バスに群がる。
僕が自転車を停めると、やはり群がってくる。
バナナ一房5メティカル(13円?)。
甘くてうまかった。
Blantyre, Malawiにて
2011年9月30日金曜日
2011年9月29日木曜日
闇の街
お金おろせました。
朝一番で郊外のショッピングモールに行き、またかたっぱしから試し、一番最後の一番チンケな雰囲気のATMでおろせた。
ちょっと本気であせっていたので、ほっとした。
この程度のトラブルなら今後いくらでもあるだろう。
ジンバブエの残りを報告。
その後のジンバブエ走行もやはり、ジンバブエ人の人柄の良さに癒されながら、一方でクラクションにムカムカしながら、といった感じで続いた。
ハラレのような大都市以外では、当たり前のように停電が起こる。
停電というよりは、そもそも夜は電気がつかないものなのかもしれない。
キャンプだったらたいしたことではないが、高い金を払ってホテルに泊まって一晩中電気が使えないようじゃどうしようもない。
たいていのホテルには発電機があるが、最低限の照明がつく程度で、せっかく冷蔵庫があっても使えず、扇風機も使えず、ポットも使えず、充電すらできやしない。
こういった設備も料金に含まれているはずだが。
突然の予期せぬトラブルならまだしも、最初から停電するとわかっているようなところでは、高いホテルなんかはビジネスとして成立しえない。
僕は、あくまで値引き交渉に応じないホテルのマネージャー(見るからに融通がきかなそうなオバさん)に対して、「この停電があなたのせいでないことはわかっているが、プロならそれを補うようなサービスをするべきだ。何もしないで金だけふんだくるようなホテルなら閉鎖した方がいい。」という内容のことを言った。
震災直後の日本のホテルはどういう対応をしただろうか?
少なくとも停電が起こりうることを伝えてから金を受け取っていたはずだし、2時間だけという限られた停電なら客も我慢していたか。
どこかの国の人が、「日本は必ず復興する。なぜなら日本だから。」と言ってくれたように、僕もジンバブエの復興を信じて応援したい。
政治が悪いだけで、民族としてのかれらは優秀だから。
ところで、こんなのいた。
形とサイズはイグアナに似ている。
白装束の人たちの集会を何度も目撃した。
写真を撮りたかったが、おそらく宗教的儀式だろうから、怒られそうなのでやめといた。
スーパーに食材がないのでホテルのレストランで。
やはり停電中 & 高い。
水も含めてUS$14。
先進国でも、この程度の料理ならUS$10以下だろう。
食器やテーブルクロスがゴージャスに見えるが、料理自体は貧粗で、特にうまいものでもない。
小さな街のスーパーには、2Lのペットボトルがない。
500mlの水がUS$1するので、2L分買ったらUS$4、4L分買ったらUS$8。
さすがにばかばかしい。
ためしに水道水を飲んでみたら、変な味がした。
そこで、スイス製浄水機の出番。
四重のフィルターで、飲めない水も飲めるようになる(はず)。
これは使える。
出発前に友人から餞別としてもらったもの(かなり高額)。
「不便だけど安い国」だったら旅行者も多く集まるが、ジンバブエは「不便で高い国」。
今はまだ、旅行におすすめできる国ではない。
Blantyre, Malawiにて
朝一番で郊外のショッピングモールに行き、またかたっぱしから試し、一番最後の一番チンケな雰囲気のATMでおろせた。
ちょっと本気であせっていたので、ほっとした。
この程度のトラブルなら今後いくらでもあるだろう。
ジンバブエの残りを報告。
その後のジンバブエ走行もやはり、ジンバブエ人の人柄の良さに癒されながら、一方でクラクションにムカムカしながら、といった感じで続いた。
ハラレのような大都市以外では、当たり前のように停電が起こる。
停電というよりは、そもそも夜は電気がつかないものなのかもしれない。
キャンプだったらたいしたことではないが、高い金を払ってホテルに泊まって一晩中電気が使えないようじゃどうしようもない。
たいていのホテルには発電機があるが、最低限の照明がつく程度で、せっかく冷蔵庫があっても使えず、扇風機も使えず、ポットも使えず、充電すらできやしない。
こういった設備も料金に含まれているはずだが。
突然の予期せぬトラブルならまだしも、最初から停電するとわかっているようなところでは、高いホテルなんかはビジネスとして成立しえない。
僕は、あくまで値引き交渉に応じないホテルのマネージャー(見るからに融通がきかなそうなオバさん)に対して、「この停電があなたのせいでないことはわかっているが、プロならそれを補うようなサービスをするべきだ。何もしないで金だけふんだくるようなホテルなら閉鎖した方がいい。」という内容のことを言った。
震災直後の日本のホテルはどういう対応をしただろうか?
少なくとも停電が起こりうることを伝えてから金を受け取っていたはずだし、2時間だけという限られた停電なら客も我慢していたか。
どこかの国の人が、「日本は必ず復興する。なぜなら日本だから。」と言ってくれたように、僕もジンバブエの復興を信じて応援したい。
政治が悪いだけで、民族としてのかれらは優秀だから。
ところで、こんなのいた。
形とサイズはイグアナに似ている。
白装束の人たちの集会を何度も目撃した。
写真を撮りたかったが、おそらく宗教的儀式だろうから、怒られそうなのでやめといた。
スーパーに食材がないのでホテルのレストランで。
やはり停電中 & 高い。
水も含めてUS$14。
先進国でも、この程度の料理ならUS$10以下だろう。
食器やテーブルクロスがゴージャスに見えるが、料理自体は貧粗で、特にうまいものでもない。
小さな街のスーパーには、2Lのペットボトルがない。
500mlの水がUS$1するので、2L分買ったらUS$4、4L分買ったらUS$8。
さすがにばかばかしい。
ためしに水道水を飲んでみたら、変な味がした。
そこで、スイス製浄水機の出番。
四重のフィルターで、飲めない水も飲めるようになる(はず)。
これは使える。
出発前に友人から餞別としてもらったもの(かなり高額)。
「不便だけど安い国」だったら旅行者も多く集まるが、ジンバブエは「不便で高い国」。
今はまだ、旅行におすすめできる国ではない。
Blantyre, Malawiにて
ピンチ!
ジンバブエとモザンビークを通過し、今日マラウイに入国した。
しかし、なぜかお金がおろせない。
モザンビークでもそうだったが、ATMをかたっぱしから試してみたがだめだ。
とりあえずはUSドルを両替して切り抜けるしかないが、そんなに多くは持っていない。
国際空港のATMならおろせるだろうか?
明日シティバンクに電話してみるが、有料なのでやはりお金かかる。
ジンバブエとモザンビークのレポートをしたいところだが、今はちょっと余裕がない。
メールくれた方、すみませんが返信少々お待ちください。
Blantyre, Malawiにて
Dst.5922km
しかし、なぜかお金がおろせない。
モザンビークでもそうだったが、ATMをかたっぱしから試してみたがだめだ。
とりあえずはUSドルを両替して切り抜けるしかないが、そんなに多くは持っていない。
国際空港のATMならおろせるだろうか?
明日シティバンクに電話してみるが、有料なのでやはりお金かかる。
ジンバブエとモザンビークのレポートをしたいところだが、今はちょっと余裕がない。
メールくれた方、すみませんが返信少々お待ちください。
Blantyre, Malawiにて
Dst.5922km
2011年9月22日木曜日
ハラレ
果たして経済崩壊した国とはどんな有り様なのか、少々不安を抱きながらの入国であったが、意外にも、すれちがう人々はこぎれいな服装で、笑顔で僕にあいさつしてくれた。
小村では相変わらず手造りの掘っ立て小屋が並んでいるが、街の建物は比較的しっかりしていると感じた。
人も建物も、ザンビアの方がよっぽど崩壊している。
街に着いて、「安宿はないか」とたずねると、何人も集まってきて、親切に案内してくれる。
ザンビアでは僕を見るなり、「金をくれ」とか、「靴をくれ」とか、「自転車をくれ」とか言われることが多かったが(そう言われて「はいどうぞ」とさし出す人がいるだろうか?)、ジンバブエでは純粋にフレンドリーに話してくれる人が多い。
そして、アフリカではめずらしく、接客がまともだ。
今まであえて触れなかったが、ナミ、ボツ、ザンでは接客はひどいもんで、態度やマナーが悪いのは言うまでもないが、効率も悪くてムダに待たされることが多く、こんな仕事をしているようじゃ経済発展などするわけがない、と常々思っていた。
でもまあ、中南米なんかよりはまだましだし、これが世界標準なのだから、日本人的感覚は忘れて、こちらが相手に合わせなければ、と自分に言い聞かせていた。
ところがジンバブエに来て飛躍的に接客レベルが向上したので、お互いに気持ち良く「Thank you!」と言えるようになった。
仕事だから仕方なしに接客するという感じではなく、常に他人を気づかう民族性を感じる。
主な民族はショナ族(75%)とンデベレ族(20%)。
僕が出会った人はほとんどがショナ。
一方で、僕が最も忌み嫌うクラクションが増えた。
これまでの国は、路肩が1mほど舗装されている道が多かったので問題なかったが、ジンバブエの道路は路肩未舗装なので車道を走ることになる。
輸送トラックが異常に多く、ヘビートラフィックで、後方から「どけどけ」と言わんばかりにブーブー鳴らされまくる。
中南米の、悪夢のようなクラクション地獄の記憶がよみがえる。
これが、僕の自転車旅行で最大のストレスとなる。
街中も車優先で、容赦なくガンガン突っ込んでくる。
ドライブマナーは完全に後進国レベル。
僕個人の愚痴はさておき、食料不足が深刻だ。
大きな街では一通りそろっているが、小さな街では閉鎖している店があったり、営業している店でも、缶詰やクッキーの類しかない。
値段は先進国並みに高い。
日本人の感覚ならまだ買えるが、現地の人にとっては非常に厳しいだろう。
御存知の通り、ムガベ大統領の失策が原因で農業生産がストップし、輸入に依存するようになったからだ。
しかしここは独裁国家で、言論統制もされているので、誰もそういったことは話題にしないし、彼の名を口にすることさえタブーだ。
公共の建物はもちろん、スーパーなどの店内にも、彼の写真が掲げられている。
失業率は9割以上という話だが、他の国でも、平日の昼間から多くの人が、何をするわけでもなく突っ立っていたり、座ったりしていて、ジンバブエが突出して失業率が高いという実感はない。
通貨はUSドルだが、紙幣だけでコインはない。
買い物をすると必ず、「お釣りがない」と言われる。
お釣りの数十セントを埋め合わせるため、強制的に駄菓子を買わされたり、「こんな駄菓子いらないよ」と言うと、レジ袋代として繰り上げられたりする。
南アフリカのランドでお釣りがくることもある。
各街には宿があるが、US$30~35と高い。
それなりのクオリティでこの料金ならわかるが、扇風機なし、テレビなし、トイレとシャワーは共同でお湯は出ず、おまけに停電と断水が頻発する。
どうみてもUS$20以下のクオリティだ。
アメリカのモーテルなら、エアコン、冷蔵庫、電子レンジ、ポット、コーヒー、紅茶まで付いて$30台で泊まれる。
僕は必ず値切らせるか、あるいはキャンプ場でもないのにテントを張らせてもらったりして、いまだ正規料金を払ったことはない。
今は、首都ハラレのホステル兼キャンプ場でキャンプしている。
1泊US$7で少々高いが、ここはクリーンでちゃんとしたつくりで、サービスもいい。
かつての農業大国は見る影もなく、農地は荒れ果てている。
と思ったらけっこう育っているところもある。
首都ハラレはけっこうビッグシティだ。
外国人旅行者は少ない。
あと、すみません。
おみやげジンバブエドルがみつかりません。
しかも旅行者の話では、イミテーションらしい。
やけにきれいな紙で、見てすぐ偽物だとわかるとか。
小村では相変わらず手造りの掘っ立て小屋が並んでいるが、街の建物は比較的しっかりしていると感じた。
人も建物も、ザンビアの方がよっぽど崩壊している。
街に着いて、「安宿はないか」とたずねると、何人も集まってきて、親切に案内してくれる。
ザンビアでは僕を見るなり、「金をくれ」とか、「靴をくれ」とか、「自転車をくれ」とか言われることが多かったが(そう言われて「はいどうぞ」とさし出す人がいるだろうか?)、ジンバブエでは純粋にフレンドリーに話してくれる人が多い。
そして、アフリカではめずらしく、接客がまともだ。
今まであえて触れなかったが、ナミ、ボツ、ザンでは接客はひどいもんで、態度やマナーが悪いのは言うまでもないが、効率も悪くてムダに待たされることが多く、こんな仕事をしているようじゃ経済発展などするわけがない、と常々思っていた。
でもまあ、中南米なんかよりはまだましだし、これが世界標準なのだから、日本人的感覚は忘れて、こちらが相手に合わせなければ、と自分に言い聞かせていた。
ところがジンバブエに来て飛躍的に接客レベルが向上したので、お互いに気持ち良く「Thank you!」と言えるようになった。
仕事だから仕方なしに接客するという感じではなく、常に他人を気づかう民族性を感じる。
主な民族はショナ族(75%)とンデベレ族(20%)。
僕が出会った人はほとんどがショナ。
一方で、僕が最も忌み嫌うクラクションが増えた。
これまでの国は、路肩が1mほど舗装されている道が多かったので問題なかったが、ジンバブエの道路は路肩未舗装なので車道を走ることになる。
輸送トラックが異常に多く、ヘビートラフィックで、後方から「どけどけ」と言わんばかりにブーブー鳴らされまくる。
中南米の、悪夢のようなクラクション地獄の記憶がよみがえる。
これが、僕の自転車旅行で最大のストレスとなる。
街中も車優先で、容赦なくガンガン突っ込んでくる。
ドライブマナーは完全に後進国レベル。
僕個人の愚痴はさておき、食料不足が深刻だ。
大きな街では一通りそろっているが、小さな街では閉鎖している店があったり、営業している店でも、缶詰やクッキーの類しかない。
値段は先進国並みに高い。
日本人の感覚ならまだ買えるが、現地の人にとっては非常に厳しいだろう。
御存知の通り、ムガベ大統領の失策が原因で農業生産がストップし、輸入に依存するようになったからだ。
しかしここは独裁国家で、言論統制もされているので、誰もそういったことは話題にしないし、彼の名を口にすることさえタブーだ。
公共の建物はもちろん、スーパーなどの店内にも、彼の写真が掲げられている。
失業率は9割以上という話だが、他の国でも、平日の昼間から多くの人が、何をするわけでもなく突っ立っていたり、座ったりしていて、ジンバブエが突出して失業率が高いという実感はない。
通貨はUSドルだが、紙幣だけでコインはない。
買い物をすると必ず、「お釣りがない」と言われる。
お釣りの数十セントを埋め合わせるため、強制的に駄菓子を買わされたり、「こんな駄菓子いらないよ」と言うと、レジ袋代として繰り上げられたりする。
南アフリカのランドでお釣りがくることもある。
各街には宿があるが、US$30~35と高い。
それなりのクオリティでこの料金ならわかるが、扇風機なし、テレビなし、トイレとシャワーは共同でお湯は出ず、おまけに停電と断水が頻発する。
どうみてもUS$20以下のクオリティだ。
アメリカのモーテルなら、エアコン、冷蔵庫、電子レンジ、ポット、コーヒー、紅茶まで付いて$30台で泊まれる。
僕は必ず値切らせるか、あるいはキャンプ場でもないのにテントを張らせてもらったりして、いまだ正規料金を払ったことはない。
今は、首都ハラレのホステル兼キャンプ場でキャンプしている。
1泊US$7で少々高いが、ここはクリーンでちゃんとしたつくりで、サービスもいい。
首都ハラレはけっこうビッグシティだ。
外国人旅行者は少ない。
あと、すみません。
おみやげジンバブエドルがみつかりません。
しかも旅行者の話では、イミテーションらしい。
やけにきれいな紙で、見てすぐ偽物だとわかるとか。
Harare, Zimbabweにて
Dst. 5298km
Dst. 5298km
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