2011年3月29日火曜日

タイムリー

今日の現場は某私立小学校で、理科室の壁にこんなポスターが貼ってあった。




日付は地震の10日前。


日本一の防波堤、無念 大津波、圧倒的高さ

三陸海岸には、「ここより下に家を建てるな」という石碑もあるようだ。

理科室の水槽にウーパールーパーがいた。




2011年3月26日土曜日

ニュース多すぎる


NZ地震から間髪を入れずに東日本大震災、そしてまた、ミャンマー・タイでM6.8の地震があった。
ミャンマー東部の地震、死者75人に

そして、火山への影響。
13火山、地震後に活発化「1~2カ月は注意必要」

1707年の東南海地震では、49日後に富士山が噴火した。
危険を煽るわけではないが、注意するに越したことはない。
そういえば、以前このブログでも、イエローストーン大噴火の兆しについて紹介した。
決して危険を煽るわけではないが、想像以上に大規模な地殻変動が起きている可能性もある。

中東からも目が離せない。
僕が通過する予定のシリア、ヨルダンでデモが激化している。
シリアの反政府デモ、20人以上死亡
民主化要求デモで初の死者-ヨルダン


2011年3月24日木曜日

チケット確保

大変な事態の中、恐縮だが、僕としては旅の計画を遅らせるわけにはいかない。
出発は6月30日に決定。

6月30日 11:30 成田発 → 17:45 シンガポール着 →
7月1日 2:10 シンガポール発 → 7月1日 10:15 ケープタウン着

航空券 ¥84500 + 海外諸税等(燃油サーチャージ含む) ¥29990 + 空港施設使用料 ¥2540
= 合計 ¥117030

南アフリカは日本より7時間遅れなので、日本時間の17時15分に到着。
つまり移動時間はトータルで約30時間。
経由地のシンガポールでの8時間ほどの待ち時間も含む。

シンガポール経由より500円安いマレーシア経由は、すでにすべて満席だった。

前回の旅では、飛行機の乗り方がいまいちわかっておらず、大失敗をした。
今回はさすがに大丈夫だと思うが。



2011年3月23日水曜日

米入荷

昨日、近くのスーパーに米が入荷されたので買った。

やはり弁当は米に限る。

トイレットペーパーやティッシュペーパーもあった。
ガソリン不足も今週中には解消される見通し、とニュースに書いてあった。



2011年3月22日火曜日

スパゲッティ弁当

ついに我が家の米が尽きたので、スパゲッティに切り替えた。

特に不便はない。
米がなくても生きていける。

ガソリンスタンドには相変わらず大行列ができている。
出張帰りに静岡で給油して、その残りでもたせているが、今週中にはなくなるだろう。
いずれ並ばなければならない。
ただ、ガソリンが不足しているおかげで、最近道がとてもすいている。
普段いかに無駄に運転している人が多いかがわかる。

スーパーやコンビニは照明を最低限に落としているが、これで十分だ。
普段いかに無駄な電力を使っているかがわかる。
耳障りなBGMもない。
静かでいい。



2011年3月20日日曜日

軍事介入へ

国連安保理の決議によるリビアへの軍事介入が始まった。

まずはフランスがリビア政府軍の戦車や軍用車を破壊し、続いてアメリカとイギリスがリビアの防空施設などに向けてトマホーク110発を発射した。
ほかにカナダとイタリアも作戦に加わっている。

カダフィ大佐は、この攻撃に対しても徹底抗戦する構えを示した。

市民による革命が内戦となり、ついに国際戦争へと発展した。
リビア国民の間には、あくまで自分たちの手で革命を成し遂げたいという思いと、他国に助けを求めなければ犠牲者が増え続けるという思いの、ふたつの声があったようだ。

バーレーンやシリアなど、他の中東諸国も情勢は良くないようだ。

日本は今それどころじゃない、という人もいるかもしれないが、リビア反体制派の最高責任者アブドルジャリル議長は大震災に対して、

「日本の人々に心から追悼の意を表したい。」
「我々も日本も同じように苦しい状況にある。他人事とは思えない。」

とメッセージを送ってくれた。

僕も中東を応援したい。

سدّ حيلك ليبيا!



2011年3月18日金曜日

停電が始まった14日から、出張で大阪にいて、昨日帰ってきた。

首都圏の混乱ぶりは、ニュースで見ていた。
大阪は食料もあり、ガソリンもあり、電気もあり、平穏だった。
でも、関西の人も大震災を経験している。
関東の人よりも、ずっと震災の痛みを知っており、今できることを考えてくれていると思う。

10年前、僕は日本一周をしていて、あの海岸線もひと通り走った。
アップダウンの連続だった岩手のリアス式海岸、宮古でハブが故障して、自分の店ではこれは直せないからと、直せる自転車屋さんを探しまわってもらったこと、陸前高田の道の駅で野宿したこと、相馬の海浜公園で野宿したこと。
あの風景、あの情景が、バケモノのような津波にのまれて壊滅してしまった。

その惨状に言葉を失い、被災者を見て心を痛め、何かしなければという気持ちは、皆同じだと思う。
残念ながら、僕にはたいしたことはできない。
わずかな募金、節電、節約、情報交換ぐらいか。
でも、無力な人間などいないと信じたい。
ひとりひとりの協力が、大きな力となって伝わることを願う。

言葉も、人を突き動かす力を持っている。
海外からの数多くのメッセージにも勇気づけられた。

戦争以来の一国の危機に、世界中の国々が日本を支援してくれている。
本当にありがたいことだ。

アフガニスタンが日本に5万ドル寄付、という話には気迫を感じた。
今なおタリバンと激戦中であり、国民の3分の2が1日2ドルで生活しているかれらにとって、5万ドルという金額がどれほど大金であることか。
アフガン復興のために道路や学校をつくってきた日本への恩返しだという。

無力な人間などいない。



2011年3月7日月曜日

イメージ カンボジア

6世紀にクメール人による国家が成立し、9~15世紀にアンコール王朝(クメール王朝)が栄えた。
有名なアンコール遺跡群は主に12世紀に建設され、東京23区ほどの広大な敷地に、ヒンドゥー教と仏教の混合する寺院や城壁などが残っている。
その後衰退した王国は元やアユタヤに侵攻され、1887年にはフランスの植民地となった。
大戦後の1949年にフランス連合内として独立、1953年にカンボジア王国として完全独立した。

1965年にアメリカが北ベトナムへの空爆を開始すると、国王シハヌークはアメリカと断交し、反米国家となった。
1970年、将軍ロン・ノルがクーデターを起こしてクメール共和国を樹立し、親米国家となった。
ロン・ノルは自国在住のベトナム人を迫害、虐殺し、またアメリカに自国を空爆させ、数十万人が犠牲になった。
一方、中国に亡命したシハヌークは、毛沢東に心酔したポル・ポト率いる共産主義勢力「クメール・ルージュ」の助けで帰国し、ロン・ノル政権と内戦になった。
1975年のベトナム戦争終結でロン・ノルは追放され、1976年、ポル・ポトによる民主カンプチアが建国された。

戦争によって農業生産は大打撃を受けており、カンボジアは食糧危機に陥っていた。
ポル・ポトは、都市住民に農業をさせるため、強制的に首都プノンペンから農村へ移住させた。
移住に例外はなく、重病人や妊婦も含め、炎天下を何日も徒歩で移動させられ、大量の死者が出た。
子供は親から引き離して集団生活させ、幼いうちから強制労働させた。
知識人、技術者、投資家、富裕層、留学生などは反乱を起こす可能性があるとして、処刑された。
こうした虐殺、餓死、病死で、120万~170万人が犠牲になったといわれている。
当時のカンボジアの人口は800万人であり、国民の5人に1人はポル・ポトに殺されたことになる。
人口比でこれほどの大量虐殺は史上類を見ない。
都市住民の農村入植と強制労働、また貨幣制度の廃止など、極端な原始共産制社会への回帰政策は、非効率的な農業で大干魃をもたらし、逆に食糧危機を深刻化させた。

1978年、元クメール・ルージュのサムリン率いるベトナム軍がカンボジアに侵攻し、ポル・ポトを倒して政権を握ったが、巻き返しを図るポル・ポト派と内戦になった。
1991年、カンボジア和平パリ協定により、20年におよぶ内戦は終結した。
1993年、シハヌークが国王に再即位し、カンボジア王国が再建された。

現在も、国内には多くの地雷や不発弾が埋まっている。
危険標識があるものの、識字率が低いために標識が読めず、危険地帯に立ち入ってしまう者が多いという。
主産業は農業で稲作がさかんだが、生産性は低く、最貧国のひとつである。

クメール人90%、ベトナム人5%、中国人1%。他に36の少数民族。
公用語はクメール語。インド文化の影響でサンスクリット語の借用が多い。文字はこんな感じ→ព្រះរាជាណាចក្រកម្ពុជា
フランス語もある程度通じる。
90%以上が仏教、4%がイスラム教。

カンボジア地図  カンボジアの位置



2011年3月4日金曜日

医療品

前回の旅では特に怪我もなく、薬もあまり使わなかった(よくわからない病気高山病にはなったが)。
一応、今回も最低限の医療品は持って行く。

正露丸(¥698)、風邪薬(¥880)、酔い止め(¥498)、消毒液(¥298)

前回買った薬は期限が切れてしまったので新たに買い替えた。

そういえば、乗り物酔いで死にそうになったこともあった。

絆創膏、包帯、ガーゼ、テープ

この辺は前回買ったものをそのまま持って行く。

ポイズンリムーバー

毒を吸い出す器具。
使うことはないとは思うが、念のため。

毒を持つ生物は多い。
不用意に手を出さなければだいたい防げるが、草むらにひそんでいたヘビを踏んづけて咬まれたとか、靴の中にクモがひそんでいて足を入れたら刺された、という話も聞く。
毒グモにやられた人の画像(グロ閲覧注意)。

あと日焼け止めか。
日本よりはるかに紫外線の強い地域が多い。
必ずしも暑い地域が紫外線が強いとも限らない。
パタゴニアは夏でも平均気温が10℃以下だが、普通に走行していたら肌がボロボロになった。



2011年3月2日水曜日

その他の持ち物

ヘッドランプ(¥4620)

生活防水。
ライトってどうしてこんなに高いのだろう?

自転車カバー(¥2352)

雨天時のキャンプで自転車を濡れっぱなしにするわけにはいかない。

折りたたみ傘


手袋


洗濯ロープ


洗濯ばさみ


裁縫セット




2011年3月1日火曜日

国保に関する愚痴

今日、国保の保険料を、泣く泣く全額まとめて払い切った。
旅の貯金には手を付けたくなかったが、思い切って貯金を削って払ってしまった。

今回の旅の資金稼ぎで、最も重い負担としてのしかかってきたのが、この国保の保険料だった。
また愚痴になってしまうが、これが信じがたいほど高い。
僕は収入も生活状況も昔からさほど変わっていないが、保険料や住民税などは、以前と比べて4~5倍になった。
この1、2年で急激に上昇した。
昨年度まではなんとか払えていたが、今年度はあまりの高さになんとかして逃げたくて、滞納していたのだ。

複数の知り合いから、「役所に相談してみるといい。けっこう融通がきくらしいよ。」と言われたので役所で相談してみたが、まったくもって融通はきかなかった。
まず、この金額で正しいのかどうか確認してもらったが、間違いはないようだった。
高額になってしまうのは、独身で扶養なしなので控除するものがないからだという(昔から独身で扶養なしなのだが)。
それから、なんとか減額あるいは免除できないものか聞いてみたが、これは1円たりとも減額されないし、どこまでもついて来る、滞納が長く続けば財産差し押さえ、つまり預金が下ろせなくなる、という。
海外旅行中にこれをやられたらたまったもんじゃない。
横暴きわまりない。

もはやこれは保険ではない。
僕は、病院といったら歯医者ぐらいしか行かないので、保険に加入せずに実費で払ったほうがはるかに安くすむ。
有無を言わさず強制的に加入させられるのは、子供や老人や働けない人の医療費を負担するためだろう。
自分のための保険料なんてごくわずかだ。
自分のためじゃない、子供や老人のためだ、と言い聞かせて、支払いに踏み切った。

それでも、「全額払いきってスッキリした」感はない。
強引にむしりとられたようで、泣きたい。