2010年11月5日金曜日

イメージ パキスタン

BC2600~BC1800年頃、インダス川流域を中心に、四大文明のひとつであるインダス文明が栄えた。
モヘンジョダロやハラッパーなどの都市遺跡に象形文字が残されているが、いまだ解読されていない。

17世紀からイギリスの会社がインドに進出し、19世紀にはインドとその周辺は完全にイギリスの植民地となった。
第2次大戦後、ヒンドゥー教圏がインド、イスラム教圏が東西パキスタン、仏教圏がスリランカとして独立した。

ヒマラヤのふもと、カシミアのセーターで有名なカシミール地方は、住民の8割がイスラム教徒であったが、ここを統治していた藩主がヒンドゥー教徒であったため、パキスタンに属することを拒み、独立を望んだ。
これに対してパキスタンへの帰属を求めた住民が暴動を起こすと、インド、パキスタン双方が武力介入した。
これが1947年第1次印パ戦争。

以来、60年以上にもわたって、両国はカシミールの領有をめぐって対立している。
現在も世界地図を見ると、この付近の国境は実線ではなく点線で描かれている。

1971年の第3次印パ戦争では、東パキスタンがバングラデシュとして独立した。
この戦争でパキスタンはインドに大敗し、国土の20%、人口の60%を失った。

インドは、1974年と1998年に2度の核実験を行った。
これに脅威を感じだパキスタンは、世界各国からの警告を無視して核実験を決行し、核保有国となった。

その後も、1999年インド旅客機ハイジャック、2000年カシミール爆弾テロ、2006年ムンバイ列車爆破テロ、2008年ムンバイ同時多発テロなど、和解の兆しは見られなかったが、2010年、両国の首脳が会談し、今後も対話を続けていくと決めた。

2008年、アメリカがインドと協定を結び、インドに原子力技術を提供するようになった。
アメリカはイランの核開発を非難しながら、一方でインドにこういった協力をすることはダブルスタンダードである。
パキスタンも、核開発の指導者カーン博士が北朝鮮に技術を提供するなど、管理体制に不安が見られる。

パキスタンは、タリバンをつくりだした国であり、その本拠地でもある。
現在は、アメリカの思惑でパキスタン政府とタリバンは対立し、2008年頃からタリバンによるテロが多発。
兵士だけでなく多くの一般市民も犠牲になり、2009年にはパキスタンの避難民は415万人に達した。
タリバンは、パキスタンの核を奪ってアメリカに向けると宣言した。

・・・この国は無理かもしれない。
外務省は、パキスタンの大部分に「渡航の是非を検討してください」、イランとの国境一帯に「渡航の延期をお勧めします」、アフガニスタンとの国境およびカシミール地方に「退避を勧告します」、を発令している。
中央アジア経由にルート変更すべきか?
あるいは、イランからフェリーでインドに行けないだろうか?

自然災害でも大規模な被害。
2005年、カシミール地方でマグニチュード7.6の地震が発生し、9万人以上の死者。
2010年、洪水で死者1200人以上、200万人が家を失った。

パンジャーブ人56%、パシュトゥーン人16%、シンド人13%、バローチー人4%。
人口増加が激しく、現在は1億8千万人。
国語はウルドゥー語。ヒンディー語と同系だがアラビア文字を用いる。公用語は英語。
イスラム教97%、ヒンドゥー教1.5%、キリスト教1.3%。

  パキスタンの位置



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