2010年3月29日月曜日

奇妙な国 日本

大学生の卒業制作だそうです。
とてもわかりやすいので貼らせてもらいます。

Japan - The Strange Country (Japanese ver.) from Kenichi on Vimeo.



2010年3月26日金曜日

イメージ ジンバブエ

ジンバブエといえば、史上最悪のハイパーインフレーション。2008年のインフレ率は2億3100万%。
2008年7月、1000憶ドル紙幣発行。翌月、デノミによって0が10個切り捨てられた。
2009年1月、100兆ドル紙幣発行。翌月、デノミによって0が12個切り捨てられた。
もはやジンバブエドルは完全に価値を失い、100兆ドル紙幣をもってしてもパンひとつ買えない紙クズと化した。

冗談のような話だが国内は深刻だ。
失業率は9割。
国民の7割が飢餓に苦しみ、トウモロコシの粒や昆虫を食べて飢えをしのいでいる。
追い討ちをかけるようにコレラが流行。9万人が感染。4000人が死亡。

そんな中、独裁者ムガベ大統領は、85歳の誕生日の祝宴に2400万円をかけた。
大統領夫人は香港に5億円の別荘を購入。その豪邸を撮影したカメラマンを殴って怪我を負わせた。

ムガベは、1980年にイギリス領南ローデシアからジンバブエを独立させた英雄であった。
その英雄が、イギリスに代わって今度は自分が独裁支配し、国をめちゃくちゃにしている。

事の発端は、2000年に白人の農場を取り上げたこと。
以前は、白人農場主による効率的な農業で収穫を上げ、「アフリカの穀物庫」と呼ばれるほどの農業国であった。
(ただし、これを支えていたのは低賃金で過酷な労働を強いられていた黒人。)
これを強制収用して黒人に分配したことで、白人の持っていた技術やノウハウが失われ、農作物の収量が激減。
そして経済が崩壊した。

2005年には、貧しい都市の露店の強制退去と住居破壊を行い、70万人が家や職を失った。

反体制派への暴行、秘密警察による監視、言論統制、外国メディアの報道規制などにより、不満を言うこともできず、「世界最悪の独裁国家」といわれている。

国際社会からの批判や制裁を受けても、ムガベ大統領は強気な態度をとり続けている。

こんな国を自転車旅行者が通り抜けて良いものか、という疑問はある。

民族構成は、ショナ人75%、ンデベレ人20%。
主要言語はショナ語、ンデベレ語。公用語は英語。
「ジンバブエ」はショナ語で「石の家」という意味。かつてそう呼ばれていた石造建築の遺跡がある。

ジンバブエ共和国地図  ジンバブエの位置 



2010年3月24日水曜日

イメージ ザンビア

ここもなじみの薄い国だと思う。
僕も、ヴィクトリアの滝を見るためにちょっと立ち寄る程度の予定。

ヴィクトリアの滝は、言わずと知れた三大瀑布のひとつ。ジンバブエとの国境にある。
イグアスの滝と並んで世界最大級。ナイアガラの滝は、規模としてはこの2つと比べるとだいぶ小さいらしい。

2~5月の増水期は、水しぶきがすさまじすぎて、滝本体を見ることも難しいそうだ。滝に近づくと、下から上に雨が降るような感じだという。信じがたいが、上空に立ち上るこの水しぶきは、50km離れたところからも見えるらしい。満月の夜には、月明かりで虹が見えることもある。

9~1月までの渇水期は、滝全体を見渡すことができ、滝壷周辺を歩くこともできるが、迫力に欠けるらしい。

中間のちょうどいい時期に行ってみたい。

ザンビアは、1964年にイギリスから独立したが、それ以前は北ローデシアという国名だった。
ちょうど東京オリンピックの最中で、開会式の時に北ローデシアの選手だった人は、閉会式にはザンビアの選手となっていた。

トンガ人、ニャンジャ人など、73の民族がいる。
おそらく同じ数だけの言語があるのだろう。
公用語は英語。

ところで、日本で英語を話せる人って、数字で表すなら何%いるのだろう?

ザンビア人の平均寿命は41歳。世界第2位の短さ。
平均寿命の短い国トップ10のすべてが、アフリカのサハラ以南にある。
主な原因は、貧困による栄養不足、エイズの流行、乳幼児死亡率の高さ、など。
生まれたばかりの赤ん坊が育たずに死んでしまうと、当然平均寿命がぐっと短くなる。
(50年前は、30歳台の国も多かった。これでも寿命は年々伸びているようだ。)

ちなみに、世界一の長寿国は日本。平均寿命82歳。
ザンビア人は日本人の半分しか生きない。
82歳まで生きるのが当たり前の国と、41歳で死ぬのが普通の国とでは、人の生き方も違ってくると思う。

ザンビア共和国地図  ザンビアの位置 



2010年3月22日月曜日

イメージ ボツワナ

あまり知られていない国だが、意外に経済力があり、観光資源もあり、治安も良い。

1966年にイギリスから独立し、翌年ダイヤモンドが発見された。
ダイヤモンドの生産量は世界第2位。
その収益は、一部の権力者が独占することなく、教育、医療、インフラ整備などに当てられ、国を発展させてきた。
政情は安定していて、汚職も少なく、独立以来内紛は一度も起こっていない。
アフリカではかなりの優等生といえる。
世界金融危機により鉱物資源の価格が下落したため、ダイヤモンド依存の経済から脱却すべく、産業の多角化を図っているらしい。

日本の1.5倍の面積に、人口は188万人。人口密度は3人/k㎡。

79%がツワナ人。どんな人たちなのかは不明。
主要言語はツワナ語。これもわかるわけない。
「ボツワナ」は「ツワナ人の土地」という意味らしい。
公用語は、またしても英語だが、話者は2%。

カラハリ砂漠、マカディカディ・パン(世界最大の塩湖)、オカバンゴ湿地帯(世界最大の内陸デルタ)など、なかなか壮大だ。
世界最大の塩湖はボリビアのウユニ塩湖だと思っていたが、本当にマカディカディ・パン(言いにくい)の方が大きいのだろうか?それともマカディカディ・パンは塩湖ではなく塩地なのか?

国立公園、動物保護区なども豊富にある。

難点は、物価が非常に高い。あまり長居できない。

ボツワナ共和国地図  ボツワナの位置 



2010年3月20日土曜日

イメージ ナミビア

美しいナミブ砂漠。
魅力的な国だ。

19世紀にヨーロッパ諸国がアフリカを奪い合った時、ここは砂漠ばかりで何もないと見向きもされず、後に遅れてきたドイツが植民支配した。
20世紀には南アフリカ領となり、戦後はアパルトヘイトも経験した。
ナミビア共和国として独立したのは1990年。できたての新しい国だ。
今はウラン、ダイヤモンドなどの産出で注目されている。

日本の2倍の面積に、人口はたった210万人。人口密度は2人/k㎡。これは世界2位の希薄さ(1位はモンゴル)。

アフリカの南部には、かつてブッシュマンと呼ばれて有名になったサン人がいる。
現在は「ブッシュマン」は蔑称だということで使われない(「サン」もまた侮蔑のニュアンスがあるというが)。
舌打ちをするようなクリック音と吸着音を使う、相当変わった言葉を話す。
「ナミブ」はかれらの言葉で「何もない」という意味らしい。

オバンボ人、カバンゴ人など、謎の民族が大多数で、白人は6%。
白人は主にドイツ系とオランダ系(アフリカーナー)。

公用語は英語となっているが、英語を第1言語とする人は1%以下だという。
公用語とはいったい何なのか?
アフリカーンス語やドイツ語の方が通用度が高いらしい。
アフリカーンス語、勉強しておくべきだろうか。

政情は安定していて、治安は良いようだ。
意外に物価が高い。

ナミビアは、世界一所得格差が大きい(ジニ係数0.74)。
資源の恩恵を受けて経済力を伸ばす一部の富裕層と、昔ながらの伝統的な生活を守り続ける部族との間に、格差が広がっていくのは当然といえば当然かもしれない。そもそもかれらに所得なんてあるのか?
中国(ジニ係数0.46)で問題になっている貧富の差とは、また意味が違うのかもしれない。
ちなみに、日本は、所得格差の小ささで世界2位(ジニ係数0.24)。
しかし、日本はジニ係数は小さいが、貧困率(年収が平均に満たない人の割合)は高い。

ナミビア共和国地図  ナミビアの位置 



2010年3月18日木曜日

イメージ 南アフリカ 2

国際空港はヨハネスブルグだけだと思っていたが、ケープタウンも日本から1ストップで行けることがわかった。
スタートはケープタウンがふさわしいかもしれない。

スタート地点をどこにするかはけっこう重要である。気分的に。
ヨハネスブルグについて調べていたら、重苦しい気分になる一方だった。
ケープタウンはなんだかすがすがしいイメージだ。

喜望峰、テーブルマウンテン、ペンギン。

大陸の先端近くにあるので、大陸走破のスタートとしてはなおさら良い。
いい一歩が踏み出せそうだ。

(※調べながらイメージを描いているので、これからも予定はガンガン変わります。)

南アフリカは長らく白人が支配してきたため、アフリカらしくない、西欧に近いイメージがある。
だが、現在の白人の人口は10%足らず。主にイギリス系と、アフリカーナーと呼ばれるオランダ系。
77%が黒人だが、ひとくくりに黒人といっても、多くの民族に分かれている。

公用語は11もある。
英語が共通語だと思うのだが、英語を話す人はわずか8%。
残りの大多数の人とはどうやって通じ合えばいいのか?
オランダ語から派生したアフリカーンス語が西部で話されているが、これもよくわからない。

国の内部に、別の国が2つある。これもよくわからない。

首都が3つもある(行政、立法、司法に分かれている)。

日本の常識も西欧の常識も通用しない国であることは確かだと思う。



2010年3月16日火曜日

イメージ 南アフリカ 1

「全人類に対する犯罪」といわれたアパルトヘイト(人種隔離政策)が撤廃されたのは1991年。
もちろん、制度が廃止されても差別や格差は根強く残るだろう。
だが、各国はこれを受けて長年の経済制裁を解除し、投資を始めた。
南アフリカは、世界有数の金、ダイヤモンド、プラチナを産出する資源国として大国から注目されている。
現在急速に経済成長しているBRICsBrazilRussiaIndiaChina)のsは従来は複数形のsだったが、昨今はSouth AfricaSBRICSという呼称が定着しつつあるようだ。

急速に経済成長する国というのは、どこの先進国もかつてそうだったように、様々な副作用が生じる。

自由を得た黒人たちは、元々白人の居住区であった都市ヨハネスブルグに流れ込んだ。
だが、アパルトヘイト時代には教育を受けることも許されなかったかれらは仕事に就けず、失業者であふれている。
そして、生きていくために犯罪に走り、ギャングと化す。
ヨハネスブルグが「世界一危険な都市」と呼ばれているのは有名だ。

警察は公式サイトで、「赤信号でも停止しないように」と書いている。
前方の信号が赤の時は、スピードを落とし、青に変わるまで少しずつ進む。とにかく止まってはいけない。
旅行者は、公共の交通機関の利用は避け、宿泊先に出迎えを依頼する。
昼夜を問わず、生身で外出はするものではない。
ヨハネスブルグにある日本人学校では、防災訓練ならぬバスジャック訓練というものが実施されているらしい。

こんな街が、次の旅の出発点となる。

インターネットでヨハネスブルグの治安について調べてみると、恐ろしいエピソードが次々と出てくるが、噂話の類は僕は信じない。その人自身が現地で実体験した話だけ参考にする。

それでもやはり、ヨハネスブルグには、他にはない危険な雰囲気を感じる。
もし、荷物満載の自転車でダウンタウンなどを走ったら、抵抗しようのないやり方で襲われることになるだろう。
抵抗しようのないやり方とは、大人数で、問答無用でいきなり殴られ、あるいは刺され、あるいは撃たれ、そして全財産を奪われる。お金はどこに隠しても無駄だろう。ストレートで原始的な強奪。なんかアフリカらしい。
「世界一危険」の称号はダテではないようだ。

飛行機から降りたら、街には寄らずにノンストップで首都のプレトリアに向かおうと思う。
南アフリカ共和国地図  南アフリカの位置 



2010年3月10日水曜日

計画発表



2011年7月~2月  アフリカ+中東(8ヶ月)
2012年3月~12月 ヨーロッパ(10ヶ月)
2013年1月~6月  中東+アジア(6ヶ月)
2013年7月~2月  北米(8ヶ月)
2014年3月~6月  南米(4ヶ月)

あくまでも現時点での大まかな構想、イメージ。
スーダン、パキスタン、アマゾンなど、本当に通過できるかどうか不確かなところもある。
今後さらに練り上げて、出発直前にまた改めて発表する。

ちょっと欲張りすぎたルートになってしまったかもしれない。
時間はあるが資金には限度がある。
季節に合わせてペースを調整する必要もある。
このルート通りに走るとしたらけっこうハードではある。
いざとなったら現地で働くのもいいかもしれない。

欲張りすぎかもと言ったが、こうして見ると、まだ空白の方が圧倒的に多い。
大陸走破なんかしても、世界はまだ知らないところだらけなんだろうな。



2010年3月8日月曜日

またしても

敗れた。
半年間の沈黙を破り、懲りずにクレジットカードの申し込みに挑戦したのだが、やはりダメだった。

インターネットで「審査が甘い」と言われている会社を調べて厳選した。

「ここで通らなかったら諦めろ」
「無職の私でも受かりました」

こんな評判の会社を2社、少しタイミングをずらして受けたが、無情にも2社とも僕を蹴落とした。
いよいよわからない。
前も書いたが、僕は一定の収入はあるし、住居はあるし、過去に金銭のトラブルを起こしたことはない。

以前、職場の後輩が、思い悩んでいる僕を嘲笑うかのように、審査に受かってカードをゲットした。
同じ会社で、僕とほぼ同じような条件で生活している彼が、難なく一発で通ってしまった。
そいつは1ヶ月もしないうちに、無駄使いしすぎたと言って、カードをへし折って捨てた。
こんなやつにカードを与えて、なぜまっとうな僕に与えてくれないのか?
何が問題なのか、本当に心当たりがない。

普通はメールで通知が来るのだが、2社目は電話で来たので、ちょっと絡んでみた。

「なんでダメなんだ? どうすれば審査に通るんだ? どうしてもクレジットカードが欲しいんだよ!」

(電話の相手)
「当社の審査基準により、総合的判断として、今回は見送りとさせていただきました。」
「何か一点、問題があるということではなく、総合的に判断して・・・」

この人は、しきりに「総合的判断」という言葉を繰り返した。
これは意味としては、
「特にまずい部分があるってわけじゃないんだけど、全体的に見てオマエは信用できないんだよ。」
ということだ。
何気に傷つくようなことを、電話の相手は淡々と話し続けた。
結局、明確な理由も有用なアドバイスも得られなかった。

いずれにしても、短期間に複数申し込んでも無駄みたいなので、また最低半年は間を置かなければならない。
難しい。
クレジットカードの審査に受かるのは、大学受験より難しいかもしれない。