「全人類に対する犯罪」といわれたアパルトヘイト(人種隔離政策)が撤廃されたのは1991年。もちろん、制度が廃止されても差別や格差は根強く残るだろう。だが、各国はこれを受けて長年の経済制裁を解除し、投資を始めた。南アフリカは、世界有数の金、ダイヤモンド、プラチナを産出する資源国として大国から注目されている。現在急速に経済成長しているBRICs(Brazil、Russia、India、China)のsは従来は複数形のsだったが、昨今はSouth AfricaのSでBRICSという呼称が定着しつつあるようだ。急速に経済成長する国というのは、どこの先進国もかつてそうだったように、様々な副作用が生じる。自由を得た黒人たちは、元々白人の居住区であった都市ヨハネスブルグに流れ込んだ。だが、アパルトヘイト時代には教育を受けることも許されなかったかれらは仕事に就けず、失業者であふれている。そして、生きていくために犯罪に走り、ギャングと化す。ヨハネスブルグが「世界一危険な都市」と呼ばれているのは有名だ。警察は公式サイトで、「赤信号でも停止しないように」と書いている。前方の信号が赤の時は、スピードを落とし、青に変わるまで少しずつ進む。とにかく止まってはいけない。旅行者は、公共の交通機関の利用は避け、宿泊先に出迎えを依頼する。昼夜を問わず、生身で外出はするものではない。ヨハネスブルグにある日本人学校では、防災訓練ならぬバスジャック訓練というものが実施されているらしい。
こんな街が、次の旅の出発点となる。インターネットでヨハネスブルグの治安について調べてみると、恐ろしいエピソードが次々と出てくるが、噂話の類は僕は信じない。その人自身が現地で実体験した話だけ参考にする。
それでもやはり、ヨハネスブルグには、他にはない危険な雰囲気を感じる。もし、荷物満載の自転車でダウンタウンなどを走ったら、抵抗しようのないやり方で襲われることになるだろう。抵抗しようのないやり方とは、大人数で、問答無用でいきなり殴られ、あるいは刺され、あるいは撃たれ、そして全財産を奪われる。お金はどこに隠しても無駄だろう。ストレートで原始的な強奪。なんかアフリカらしい。 「世界一危険」の称号はダテではないようだ。
飛行機から降りたら、街には寄らずにノンストップで首都のプレトリアに向かおうと思う。