ロブチェの山小屋で寝込んでいる間も、日中は数時間ごとに従業員が激しくドアをノックしてくる。
うるせえなー。
喉が涸れているので、声で応答することもできない。
ゆっくり起き上がってドアを開ける頃には、すでにいなくなっている。
1時間に1回ペースで尿意をもよおしてトイレに行くのも、昼夜を問わず続いている。
食欲はない。
そんなこんなでも、少しずつ回復しているように感じたが、それでもひとりで歩くのはまだ危険と判断し、ここでポーターを雇うことにした。
料金は、1日につきUS$30。
2日間、お願いすることにした。
「くれぐれも、スローペースで頼むよ」と念を押した。
天気は崩れ、雲の中を歩く。
雲の水分が髪や服に付着し、凍って結晶化する。
標高差を考慮しても、行きに比べたら確実に寒くなり、本格的な冬の到来を感じた。
これからカラパタールへ向かうトレッカーもいる。
さぞかし寒いだろう。
いや、今は他人の心配より自分の心配。
帰りは下りだから楽だろう、と思われるかもしれないが、それは大間違いで、登りよりむしろ下りの方がしんどい。
ふだん自転車をこいでばかりいる僕の足の筋肉は、ガチガチに固くなって柔軟性がなく、下る時に垂直方向に負担がかかると、特に太ももの筋肉がひどく痛む。
健常な時でも、調子良くトントンと下ることができない。
と、こんな細かい説明をポーターにすることもできず、下りでゼーゼー言っている僕を彼は不思議そうにみつめる。
聞いた話では、シェルパたちにも出世のステップがあるようだ。
最初は荷物運びのポーターから始めて、次はガイド、ゆくゆくはロッジの運営や旅行会社の経営へとのし上がっていく。
だから、ポーターは若者が多い。
ただでさえ屈強でタフなシェルパ、特に若者は力があり余っているようで、僕の超スローペースに合わせるのは退屈で苦痛のようだ。
休憩は、少なくとも3分ぐらいは座っていたいのだが、こいつは1分30秒ぐらいで僕を立たせて行かせようとする。
フェリチェ(標高4240m)で1泊。
ポーターも同じ山小屋で泊まる。
山小屋はとても寒い。
ダイニングには、唯一の暖房システム、暖炉がある。
寝るまでは部屋に行く気になれず、トレッカーもシェルパも皆、暖炉に集まってひたすら体を暖める。
ちなみに暖炉の燃料は、ヤクのフン。
日本人トレッカーがひとりいて、話をした。
僕はふつうに会話できるぐらいには回復していた。
食欲も出てきて、まともに一食食べた。
物価が高いので、食欲がない方が金銭的に都合良かったのだが。
ここは別料金でホットシャワーを浴びれる。
もう何日もシャワーを浴びていないし、洗濯もしたかった。
しかし、なんとなく嫌な予感はしていたのだが、2分ほどで突然水が止まってしまった。
タンクの水が尽きたのだろう。
髪を洗っただけで、体も洗えていないし洗濯もできないまま、タオルで体を拭き、暖まるどころか逆に冷えた。
金返せ。
翌日。
うっすらと雪化粧した山景色、凍った川。
写真を撮ろうとすると、ポーターが若干煽り気味に僕をみつめてくるし、僕も手がかじかむので、あまり多くは撮れなかった。
テンボチェ(標高3860m)に到着。
ポーターとの契約はこれで終了。
だいぶ煽られはしたが、常に僕を気遣ってくれたし、よく助けてくれた。
感謝。
テンボチェの宿では、Wi-Fiが使えた。
Wi-Fiも充電も別料金だけど、ネットをやりたかった。
フェイスブックで、写真とメッセージを放出した。
体力の回復度はまだ40%ぐらいだけど、もうひとりで歩ける。
再びダンフェ。
体暖まるスープモモ。
ナムチェ(標高3440m)に到着。
もう所持金が残り少ない。
ナムチェには両替屋があり、いざという時のために所持していたドルとユーロをすべてルピーに替えた。
翌々日。
ついに、スタート地点でありゴールでもあるルクラ(標高2840m)に到着。
一時は馬やヘリも考えたが、やはり自分の足で歩いてきてよかったなと感じた。
体力の回復度は50%ぐらいで、歩くスピードはまだ老人レベルだが、ここまで来ればもう安心。
あとは、飛行機でカトマンズへ飛ぶだけ。
Kathmandu, Nepal
やはり過酷だ、サガルマータ…
返信削除恐るべし…
所持金大丈夫か?
ネパールで出費がかさんでいるようだが…
ガイドブックではポピュラーなコースとして軽く紹介されているけど、予想以上に過酷で、甘く見てはいけないと思う。
削除これは数日前の出来事で、この時は所持金ピンチだったけど、今は大丈夫だよ。
動物たちは悠然と、人間どもは、、、ですね。
返信削除冬山だけは行くの止めとこ、思いましたわ。
人間も、シェルパたちはこの雪道を、大荷物を背負って手袋もせず素手で、悠然と歩いて同じ人間とは思えませんでした。
削除ヒマラヤは夏だと晴天率が低くてほぼ山は見えないらしく、なかなかタイミング難しいですね。