2012年2月17日金曜日

ペトラ(世界遺産)

ペトラ観光の拠点となる街、ワディ・ムーサ。




カッパドキアのなりそこねのような奇岩。




ペトラは、BC4世紀~AD2世紀に栄えたナバタイ人の王国の都市。
ナバタイ人とは聞きなれない名前だが、アラブ人の一種で、アラビア語を話し、かれらの使っていた文字が現在のアラビア文字の起源となった。
ギリシャからの影響も色濃く、「ペトラ」はギリシャ語で「岩、崖」という意味。
この遺跡が人を惹きつけるのは、マチュピチュと同じく、人を寄せつけない奥地にひそむ隠れ家のような要塞都市に、ロマンを感じるからだろう。

入場料は、驚愕の50ディナール(5594円)。
ほんの数年前まで、20ディナールだったらしい。
どういった事情で値上げしたのか知らないが、ペトラはヨルダン観光の目玉なので、たとえ値上げしても、せっかくヨルダンに来てペトラをスルーするわけにはいかない、という外国人旅行者の心理につけ込んでいる気がする。
しかし、そうなるとこっちの財布のヒモも固くなり、極力、他のことに金を使わなくなる。
ぼったくりや客引きには、毅然とした態度で対応する。
ちなみにエジプトでは、ギザをはじめとするメジャーな遺跡でも60ポンド(788円)が相場。



街から見えたカッパドキアのなりそこねは、ペトラの一部だったのか。

狭い岩の隙間を入っていく。


 

これは、なんと神秘的な・・・



 

ここに遺跡がなくても、ここを歩いているだけでも、十分いい。







まだまだ奥の細道を行く。








そして、現れる。




なかなか盛り上げ方がうまいつくりになっている。
じっくり眺めて雰囲気を味わって、カメラをかまえて、シャッターを押そうとしたら、後ろから大声で、

「Hello! Do you want a camel?」

こういうところはヨルダン人もエジプト人と変わらない。
たのむから話しかけないでくれ。

高さ43m、幅30m。


エジプトやインカのように、石を切って運んで積み上げるという作業に比べたら、これは岩をくりぬくだけだから労働力的には楽だと思うが、それにしても、これだけ巨大なものを美しくつくりあげる技術はたいしたものだ。

ギリシャの影響を受けたきめ細かい彫刻がきれいに残っている。






人の彫像は破壊されている。














その後も、岩をくりぬいた建物が続く。


キャメルやらホースやらドンキーやらの客引きも続く。














円形劇場。















大地震で壊滅的な被害を受けて以来、ペトラには誰も住みつかなくなってしまったらしい。


ナバタイ人はどこへ行ってしまったのか?






しばらく登り。






登りきったところで、またデカいのが現れる。












何気なく埋まっている石も、遺跡の一部だろう。


なにやら大げさな表現の標識。


まあ、そこそこの眺望。








帰りは同じ道を戻ったのだが、これから向かう大勢の人たちとすれ違った。
朝一で行っといてよかった。

ホテルのロビーに、リュートが置いてあった。
 

リュートは、中世からバロック期にヨーロッパ流行した弦楽器だが、実はアラブから輸入されたもので、ベドウィンなどは現在でもこれを弾いている。
複弦もふくめて10弦のようだが、これは複弦なしで4弦しか張られていない。
チューニングも怪しい。
ちゃんとセッティングしてみないことにははっきりとは言えないが、音色はクラシックギターにかなり近い。
これは、もしかして、ギターのルーツに出会えたと言ってもいいのか?




ロビーの本棚には、日本語の本もけっこう置いてあった。
アガサ・クリスティの「ナイルに死す」(翻訳版)を読んでみた。
僕はもともと推理小説はまったく読まないが、旅行中は日本語の本だったらなんでも読む。
アガサ・クリスティは、1930年代にエジプトを旅行し、帰国してまもなく、エジプトを舞台としたこの長編を書いた
だが、そこに興味深い描写がいくつかある。

以下抜粋。
ポアロはこの人間蠅の群れを払いのけるような身振りをした。

ロザリーはまるで夢遊病者のように彼らの真中を、空をみつめて歩きぬけた。
「目も耳もきこえない真似をしてるのが一番いいのよ」とロザリーは呟いた。

別のシーンの抜粋。
「このエジプトがもう少し静かだと、もっと気に入ると思うんですけど」と、ミセス・アラートン。
「どこにいっても一人きりにしてくれないから困るわ。誰かうるさくつきまとって、お金をせびったり、ロバに乗れ、ビーズを買え、村の見物を案内しよう、鴨射ちはどうだって、もう本当に・・・」
「いや実際困ったものですね」とポアロは相槌を打った。

今とまったく同じではないか!

1930年代にヨーロッパの人たちがさかんにエジプトを旅行していたというのも驚きだが、すでにその頃からエジプト人たちは旅行者にたかって、そして嫌がられていたとは。
詐欺やぼったくりの手口は巧妙化して進化した部分があるのかもしれないが、「たかるエジプト人とたかられる外国人」という構図は、少なくとも80年前から変わっていないということになる。
おそらく、この先の数十年も変わらないだろう。

エジプトでこんな感じなら、ブラックアフリカはもっとひどいかもしれない。
数十年どころか百年以上は、あんな感じなのかもしれない。

僕はアフリカ旅行中(中東や中南米も同様だが)、「どうしてこの人たちは効率的な仕事ができないのだろう?」とか、「もっと生産的になれないものだろうか?」と思わされることが多かった。
でも、それは「こちら側」の発想で、かれらはまったく別次元の枠組みで思考している。
かれらは、数百年も数千年も、原始的な農耕や牧畜や狩猟で生活してきた。
別に、ずっとそのままでもよかった。
でも、ある時、欧米の貨幣経済やら資本主義経済やらのシステムを無理矢理はめ込まれてしまった。
日本は、最も上手にはめ込まれた国だと思うが、かれらはそううまくはいかなかった。
半分近代化したが半分原始のまま、という中途半端にはめ込まれた状態で、前進することも後退することもなく、時が止まっている。
数字の上では、BRICSをはじめ、急成長しているかもしれない。
今後は豊富な資源を武器に、発展して豊かになればいい、というのは「こちら側」の思考法。
かれら自身は、何を望んでいるのだろう?
どんな未来像を思い描いているのだろう?


Madaba, Jordanにて

Dst. 12246km



4 件のコメント:

  1. お元気そうで何よりです。相変わらず日に焼けてますねー。そろそろ寒い地方になってくるのかと思いますが気を付けてください。発展ってなんなのかなと俺もいつも考えます。確かに気候が良くて作物が豊富なら自然の恵みのまま原始的な生活ができてそれでよいともいえるのかもしれません。そういう人でもTVや車を見ると「欲しい」と思っちゃうみたいです。幸せとはほしいものを手に入れることではなく、欲を捨てることで幸せにつながるという考えが仏教にあるそうです。俺は世俗的なので、ほしい物は欲しいよねやっぱり。世界を旅行していろんなこと知りたいし、バイクも車もほしいし、新型電化製品もほしいし。ま、それも一つの人生でしょう。ではまた。

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    1. アフリカ全域で、貧しい農村の家庭が、立派な家を持ち、電気水道ガス完備で(お望みならオール電化でも)、エアコン、テレビ、パソコン、車までそろった生活を得る、というのはちょっと想像しがたいですが、もし今までの貧しい生活とどちらか選べと言ったら、かれらはやはり物質的に恵まれた方をとると思います。
      でもそういった生活を維持していくには、ちゃんとした教育を受けさせ、それ相応の仕事を続けていくことが必要です。
      やっぱり想像できないですね。
      でも、戦後の日本人のようにがむしゃらに働けば、かれらも欲しい物を手に入れることができたはずですし、今までそうするだけの時間は十分あったはずです。
      そうしないのはなぜなんでしょう?
      かれらは何を望んでいるのでしょう?
      アフリカ旅行を終えても、依然として僕のこの疑問は解決されないままです。
      こちらは寒いです。
      ウガンダは一年中すごしやすい気候なのでしょうか?

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  2. ペトラ遺跡の建築様式は、ギリシャから伝わったのであろう。
    柱頭にその影響が出ている。
    奥深くまで行ってからあの遺跡が出てくると鳥肌が立つかもしれない。

    ずいぶんと日焼けしているが、痛くないのか?

    寒暖の差が激しいと思うが、寒くないのか?

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    1. ギリシャの遺跡を見るのも楽しみだな。
      入場料高くなければいいが。
      日焼けは、現地人からも旅行者からもよく指摘される。
      痛くはないけど、サングラスの跡がみっともなくてね。
      すごく寒いよ。
      雪が降ってもおかしくないくらい。
      これから山を下れば暖かくなるとは思うけど。
      日本もまだまだ寒いでしょう。

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