2011年11月15日火曜日

ダルエスサラーム



きったねえ街だ。
なんだここは。
どこもかしこもグチャグチャで、ドブくせえ。
クラクションもうるせえ。

タンザニアはアフリカ有数の観光国のはずで、観光収入で多少は都市も整備されているかと思いきや、とんでもない。
ここまでくると手のつけようがないというか、もうどうしようもない。
リロングウェやルサカの方がよっぽどまともだ。

アラブ人の存在感が強い。
というよりアラブ人に支配された街なのか。
マラウイ湖あたりからイスラム教徒をよく見るようになったが、あくまでそれはマイノリティだった。
しかしここでは、店やホテルのオーナーや経営者クラスはアラブ人で、下っぱ従業員は黒人。
ここでも黒人は被支配者か。

アラブ人がリーダーシップをとってまともな街づくりをしてくれれば、と思うのだが、もしかしてアラブ人が街を汚しているのか?
中東の街もこんな崩壊しているのだろうか。

ダルエスサラームは天然の良港だそうで、古くから海上の交易がさかんだった。
海の向こうにはアラビア半島があり、歴史的にアラブ世界と深い関係を結んできた。

そもそも「スワヒリ」とはアラビア語で「端、岸、辺境」といった意味で、サハラ砂漠の「サヘル」と語源が同じらしい。
「スワヒリ人」とか「スワヒリ文化」とか、もともとはアラブ側からの呼称。
「ダルエスサラーム」もアラビア語で、「平和な港」という意味。
アラビア語で「こんにちは」というあいさつの「アッサラームアレイクム」(あなたの上に平和がありますように)にも「サラーム」という単語が含まれている。

宿泊しているホテルは1泊22000シリング。
地方の相場が15000なので高く感じるが、それでも22000は965円。
5階建てでエレベーターなし。
まさかとは思ったが、5階の部屋の鍵を渡された。
クソッタレだ。
自転車と荷物を運ぶのに3往復した。

5階スイートルームからの眺め。


このホテルで最初に会った客が、サイクリストだった。

 

イギリス人で、モロッコからスタートしてアフリカを反時計回りで一周し、その後中東、アジア、オーストラリアへと向かう。
僕と出会った日が、出発してちょうど2年だと言っていた。
彼とも、またどこかで再会するかもしれない。
 

東アフリカは小雨期に入った。
僕は小雨期というものをナメていて、スコールが一時的に降る程度だと思っていたのだが、断続的にけっこうしっかり降る。
道路の排水もなっていないため、やんだ後も大きな水たまりがなかなか消えない。

 

さんざん街をけなしたが、僕は1泊すれば次の日には足が地になじんでいるいうか、文句を言いながらも違和感なく街を歩いている。

このドブ臭さも初めてではなく、僕の記憶の中にまったく同じドブ臭さがあった。
子供の頃の日本だ。
今でこそ日本の川はきれいになったが、僕が子供の頃はまだドブ川があって、臭かった。
ゴミだってたくさん落ちていた。
そんなに大昔のことじゃない。



心を安らげるのは、やはり音楽。
教会から聞こえてくるキリスト教の歌声。
モスクから聞こえてくるイスラム教の怪しい歌声。
音楽は美しい。

クジャクっぽい鳥を目撃した。




この写真を撮った直後、周辺にいた警備員たちが騒ぎ始めた。
 

「おい待て! チナ! 止まれ!」
 

チナというのはスワヒリ語で中国人を指すのだろう。
アフリカの黒人は人を呼び止めるのに、口笛
ピーっと吹いたり、手をパンパンたたいたり、それから口でクスクスと変な音を発したりする。

「パンパン! ヘイ、チナ! クスクス。パンパン! ヘイ、チナ! クスクス。」

なんて野蛮
下等なやつらだ。
完全無視。
通りすがりのタクシーに「おい、呼んでるぜ。」と言われたが、「知らねえよ。」と答えて無視し続けた。
まもなく警備員が車に乗ってやってきて、僕の行く手をふさぎ、4人で僕を包囲した。

「なんだよ。」
「おまえ英語わかるか? あそこで写真撮っただろ。あの建物は撮影禁止だ。」
「は? あんな建物なんか興味ねえよ。鳥の写真を撮っただけだ。」
「鳥だと? 見せてみろ。」
 

僕は写真を見せた。
「我々は何度も制止を呼びかけた。なぜ止まらなかった? 我々が止まれと言ったら止まらなければダメだ・
・・

怒り爆発。

「ふざけんなバカどもが! 人を呼び止めるのに手をたたいてヘイ、チナなんて言うバカがいるか! おまえらサルか? ヒトだったら礼儀を学べ! 誰がチナだ! 無礼者め! Excuse meとかSamahaniという言葉を知らないのか? 教育を受けてないのか? それにおまえら何人がかりだ? 4人? 写真撮っただけの旅行者つかまえるのに4人! どんだけヒマなんだ? それともひとりじゃ何もできないチキンなのか
・・

まだしゃべってる途中だったが、やつらは黙って退散し始めた。

「失せろ! 二度と話しかけんな!」

全然関係ないアラブのおっさんが寄って来て、「You are nice.」とか言って握手を求めてきた。
「誰だおまえ? 今ムカついてんだから話しかけんな。」と追い払った。


後になってわかったことだが、その建物とは、ヨーロッパの某国の大使館だったらしい。
大使館の写真を撮ったからっていったい何が問題なのか理解できないが、それとは別に、アフリカの人は、写真を撮られると言うことに対して驚くほどナーヴァスだ。
これほど無神経で無配慮で無秩序な人たちが、写真撮影という一点においてのみナーヴァスになるというのは興味深い。
あの警備員たちも、ここは大使館だから云々、というよりは、「写真を撮った悪者外国人をとっ捕まえろ!」みたいなノリで熱くなっているように見えた。
かれらにとって、写真撮影とはそこまで「悪」なのか?
南ア、ナミ、ボツではそうでもなかったが、ザンビアあたりからこの傾向が強まっている。
今まで撮った街や市場の風景なんかも、けっこう苦労の賜物だったりするのだ。

ところで僕は元来めったにけんかなどしない、いたって温厚な性格だが、海外ではけっこう頻繁にこういう衝突を起こす。

ダルエスサラームに着く前日も、田舎街でちょっと騒ぎを起こした。
ホテルに併設されているレストランで料理を注文したのだが、いくら待っても来ない。
「どれだけかかるのか?」と聞いたら「1時間。」と言われた。
1時間?
そんな難しい料理を注文した覚えはないが。
話を聞くと、どうやら注文を受けてから市場に行って食材を買ってきて調理する、というジョークのようなことを地でやっているらしい。
それならそうと最初に説明してほしかった。
時間のムダなので、買い物に出かけた。

戻ってきて、そろそろできる頃かと様子をうかがったが、まだのようだ。
「いつできるんだ?」と聞いたら「あと1時間かかる。」と言う。
おい、いいかげんにしろよ、と言いたい気持ちをおさえ、「部屋にいるよ。」と伝え、部屋に行ってシャワーを浴びた。
いや、違った、バケツで水を浴びた。

しばらくして、若い男が料理を持って部屋にやってきた。
注文して2時間、この時点で謝罪がまったくないのもおかしい。
僕はイライラをおさえて、「いくら?」と聞いたら「5100
」と言われた。
僕は10100渡した。
当然お釣りは5000だが、そいつが僕に渡したのは4500だった。
「どうした? 5000だろ。」
男は英語が話せないから説明できない、といった感じで黙っている。
そしてなぜか顔が笑っている。
言葉は通じなくても、こんな計算は全世界共通だ。
「もう一度言うぞ。おまえ5100と言ったよな? 今10100渡した。釣りは5000だろ。早くしろ。」
まさか、手持ちのお釣りがないからこれで勘弁してくれ、というわけじゃないだろうな?
「早くしろ。」
男はまだ黙っている。
そして笑っている。

怒り爆発。

「早くしろって言ってんだよ! この野郎!」(←日本語)

僕はドアを殴った。
男はビクッとなり、数歩あとずさりした。
怒られることなどまったく予期していなかったような反応だった。
僕は怒りにまかせて日本語で悪態をついた。
男はオドオドしている。

近くにいた女性従業員がおびえた様子で悲鳴をあげた。
「What's the problem?」
こいつは英語がわかるようだ。
「Five thousand change! Quick!」
彼女は走ってレセプションに行き、すぐさま5000シリングを持ってきて僕に渡した。
アフリカの黒人がこんな迅速に行動するのは初めて見た。
男はまだオドオドしている。

まもなくオーナーのおっさんがやってきて、僕に謝罪した。
「あんたに謝られてもしょうがない。おい、おまえだよ。いつまで黙ってんだ? 料理出すのに2時間もかけやがって、その上釣りもまともに渡せねえでヘラヘラ笑いやがって。」
するとオーナーが必死にそいつをかばうようにして、
「ミスター! マイフレンド! どうか落ち着いてくれ! 私がこのホテルのオーナーだ。問題があるならすべて私に言ってくれ!」


どうもこちらの常識と違う。
どうして張本人に謝らせない?
しかし僕が反論しようとしても、「ミスター!」「マイフレンド!」「ミスター!」「マイフレンド!」とさえぎる。
落ち着くべきはあなたでしょう。
言葉による話し合いで解決、ではなく、なだめて怒りを冷ませば解決、といった感じだった。
気づけば、まるで僕が若い従業員をいじめる悪者外国人で、それを必死にかばう正義のオーナー、といった構図になっていた。
結局うやむやのまま終わった。

繰り返すが、僕はいたって温厚な性格で、けんかは好きじゃない。
でも海外旅行中は、自分の中の一線を越えるような出来事が多い。
よその国に勝手にやってきて、気に障ることがあったからといって憤慨し、自分の常識を押し付ける。

これは傲慢だと批判されるかもしれない。
しかし、人と人が接する以上、どこの国であれ、真っ向から衝突することも、時に必要だと僕は思う。

今日、フェリーでザンジバル島に渡った。

ここはまた異次元に迷い込んでしまったかのような、不思議な空間だ。



Stone Town, Zanzibar, Tanzaniaにて




2 件のコメント:

  1. 熱いぜ!亮くん。最高です。
    僕は先週15年ぶりにベトナム1週間行ってきました
    (一人旅)
    サパという山岳地帯で少数民族と戯れてきました。
    改めて亮くんの旅の偉大さを感じていました。
    ライオンキング アーメン。

    110-U

    返信削除
  2. 110-U 君
    唐突だね!
    こんな時期に休み取れるのか。
    ベトナムは文化圏としては中国らしいけど、山岳地帯の少数民族はどんな民族なんだ?
    伊藤君アジア詳しいだろうから、いろいろ情報教えてください。

    返信削除