2011年2月20日日曜日

スーダンに希望か

僕が旅立つ7月に、アフリカに新しい国が生まれる。

先月、スーダン南部の独立の是非を問う住民投票が実施され、98%の賛成で可決された。
選挙には若干の武力衝突があったものの、国連を中心とする国際社会の支援、監視の下、無事に開票された。

国名は「南スーダン」になる予定。

世界には、出口が見えない解決困難な紛争が多い中、しかもあのバシル大統領が牛耳る国で、これは驚くべき結果である。

バシル大統領は、「南部の人々の選択を受け入れ、尊重する。」と述べた。

アフリカは、サハラ以南には黒人、以北にはアラブ人が住んでおり、スーダンはその境をまたぐ国で、南北の対立が長らく続いていた。
政権は北部のアラブ人にあり、豊富な石油資源は南部にある。
1989年にバシル大統領の独裁が始まってから南北対立は激化し、2度の内戦で200万人、ダルフール紛争で30万人が犠牲になった。
もっとも、ダルフールは戦いではなく、北部アラブ人による一方的な虐殺であり、現在も継続中。
バシル大統領は、「世界最悪の独裁者ランキング」で2005~2007年に3年連続で1位に選ばれ、ICC(国際刑事裁判所)から逮捕状も出ている。

そのバシルがなぜ南部の独立を認めたのか?
まず、パトロンである中国がバシルと距離を置くようになったことが関係しているようだ。
スーダンの経済は石油に依存しており、その80%は中国に供給されている。
見返りとして中国はスーダンに武器を供給してきた。
しかし、油田の75%は南部にある。
中国は、南部独立の動きを見て、このまま悪名高いバシルに肩入れし続ければ国際的イメージがさらに悪化するし、南部との関係も悪化するので、独立承認に鞍替えして南部との関係を構築した方がいい、と考えたのだろう。

バシルにとっても、南部の石油を紅海に送るパイプラインなどの輸送設備は北部にあるので、その使用料を取ることができ、権益のすべてを失うわけではない(南部は北部を通過しないパイプラインの建設を考えているらしいが)。

また、アメリカも、テロ支援国家の指定解除を示唆し、バシルに独立を受け入れるよう促してきた。
実際、アメリカはこの結果を評価して、今月7日、スーダンをテロ支援国家から解除した。
解除されると、経済援助、武器援助、世界銀行の融資などが再開される。
今後、独立に向けて、石油の利権分配や国境の画定を誤れば再び戦争に逆戻りするため、オバマ政権も全面的に関与していくという。

さらにバシルは、現在国が抱えている体外債務はすべて北部が負担していく、と述べた。
何百万人も殺してきた悪党が手の平を返したようにいいヤツになってしまって、拍子抜けする思いだ。
引退を示唆する発言もあったという。

希望が見えてきたスーダンだが、しかし、2月3~5日に南部の町で軍部隊内の暴動で50人以上が死亡、9~15日にはやはり南部の町で武装勢力の襲撃で240人以上が死亡した。
治安の不安定さが浮き彫りになり、予断を許さない状況だ。

独立が実現したからといって必ずしも平和になるわけではない。
1991年に住民投票でエチオピアから独立したエリトリアはいまだに危険な状態であり、南スーダンが第2のエリトリアになることを懸念する声もある。
また、独立後に国家運営を担うスーダン人民解放運動(SPLM)は、北部と戦ってきた武装組織であり、軍事独裁化の危険性を指摘する声も少なくない。

スーダンの歴史的背景についてはこちらこちらを参照

大切なことはすべて世界遺産が教えてくれた ~世界遺産検定マイスターのブログ~
ダルフールが北部に含まれてしまっているのが気になる。
また、最大の油田地帯であるアビエイがどちらに帰属するのかがまだ未定。



2 件のコメント:

  1. 急速にアフリカ及びアラブ諸国が動き出している。
    今までもあったんだろうけど、報道が早くなったのか・・・

    ryoが旅立ち入国するころに影響が無ければいいがね。

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  2. 予想を上回る大きな動きだ。
    国民が一丸となって独裁者に立ち向かう姿は胸が熱くなるが、
    同時に、中東・アフリカの人々がこんなにも圧迫されていたということを知らされ、驚いている。

    たぶん旅行に影響出ると思う。
    デモがいつまで続くかわからないし(エジプトはまだ続いてる)、デモが収まっても、
    はたして体制がどう変わっているか?

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