2010年10月17日日曜日

イメージ スペイン

紀元前からイベリア人、ケルト人、バスク人が住み、やがてローマ人に支配され、ローマの属州ヒスパニアとなった。
711年、北アフリカから侵入したイスラム帝国ウマイヤ朝に敗れ、イベリア半島はイスラムの支配下となった。
1492年、800年近くにおよぶキリスト教の抵抗により、イスラムは追放された。
ちょうどこの年にコロンブスがアメリカ大陸を発見し、ヨーロッパの大国による植民支配時代へと突入する。

スペインは1521~32年にかけて、アステカ、マヤ、インカの3つの文明を滅ぼし、中南米の大部分を征服した。
都市は壊滅し、財宝は略奪され、銀をはじめとする資源が収奪され、スペインに莫大な富をもたらした。
この過程で多くのインディオ(コロンブスは新大陸をインドと勘違いしたため、先住民はインディオと呼ばれた)が虐殺され、あるいはヨーロッパからもたらされた疫病に免疫がないため病死し、インディオの人口は10分の1以下にまで激減した。
生き残ったインディオはキリスト教に改宗させられ、過酷な労働を強いられた。
キューバ、ジャマイカ、プエルトリコなどの島では、虐殺と病死で純血インディオは絶滅し、不足した労働力はアフリカからの黒人奴隷でまかなわれた。
暴虐の限りを尽くした植民支配により、スペインは世界覇権国家として君臨し、「太陽の没することなき帝国」と呼ばれ、スペイン史上最も繁栄した「黄金の世紀」であった。

その後、スペインは数々の戦争に敗れて衰退し、19世紀にはナポレオンの台頭によってフランスの衛星国となった。
まもなくフランスから独立するも、中南米の国が次々と独立したことにより、植民地を完全に失った。
1936年のスペイン内戦では50万人が死亡、50万人が国を捨て、社会基盤が崩れて国力も疲弊した。
ピカソの「ゲルニカ」はこの内戦の様子を描いたもの。
1939年、内戦で勝利したフランシスコ・フランコ率いるファランへ党の一党独裁が始まった。
二度の世界大戦には参戦しなかったが、戦後も独裁国家として国際社会から孤立した。
1975年のフランコの死によって独裁政権が終わり、王政復古がなされた。
60~90年代は日本と並んで高度経済成長し、現在GDP世界9位の経済大国だが、低迷が続き、世界金融危機の影響も受け、失業率は20%に達し、深刻な経済危機に瀕している。

2004年、スペインがアメリカに同調してイラクに派兵したことに対し、イスラム過激派が首都マドリードの列車を爆破し、191人が死亡、2000人が負傷する事件が起きた。

ラテン系のカスティーリャ人、カタルーニャ人、ガリシア人、アンダルシア人、バスク人などで構成される。
世界屈指の移民受け入れ大国で、人口の11%が外国人。不況が深刻な現在は社会問題となっている。
バスク人だけは系統不明の民族で、言葉も文化も他のヨーロッパ民族と異なる。
バスクの独立を求める組織、ETAは1959年の結成以来、テロや暗殺を続け、スペインの政治家や軍幹部、警官など1000人以上を殺害している。

カスティーリャ語が標準スペイン語として定められており、カタルーニャ語、ガリシア語、アラン語、バレンシア語、バスク語が地方公用語になっている。
使用国数は20ヶ国(世界3位)、総話者数は4億2千万人(世界3位)。アメリカ南西部での通用度も非常に高い。
長らくイスラムの支配を受けていたため、アラビア語の影響も見られる。
バスク語だけはまったく系統が異なり、スペイン語とは通じ合えない。

94%がカトリック。

スペイン出身の有名人
フランシスコ・ザビエル(イエズス会宣教師)
ミゲル・デ・セルバンテス(「ドン・キホーテ」の著者)
アントニ・ガウディ(建築家)
パブロ・カザルス(チェリスト)
パブロ・ピカソ(画家)
アンドレス・セゴビア(ギタリスト)
サルバドール・ダリ(画家)
パコ・デ・ルシア(ギタリスト)

スペイン地図  スペインの位置 

スペイン帝国の支配


スペイン語圏



2 件のコメント:

  1. スペインといえば「サグラダ・ファミリア」であろう。
    生きているうちにやはり見ておきたい。

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  2. スペイン出身の有名人にガウディを入れるの忘れてた。

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